10月4日(日)
ベッドのなかでの読書はようやく頭のなかから自分の書いた虫明亜呂無論を離れて『はじめてのベルクソン』の読書に集中。《イマージュ論と引き算による知覚》そして《凝縮と緊張》これだけ書くとナンノコッチャですけど《世界は端正な体系に収まるようにはできていない》のですね。《綺麗すぎる体系には嘘がある》なるほど。まるでゲーデルの不完全性定理ですね。しかしパッチワークのように創られた一つ一つ理論はオモシロイ。何度も読み返さないと理解できませんけどね。ニャン。ベッドから出て朝パンのあとヨメハンと散歩。目指せ!一日5千歩!1万歩は無理ですね(>_<)今日から虫明亜呂無論の仕事は離れて(まだ校正が残ってますが)別の仕事に集中。1週間くらいかかるその仕事(スポーツや芸術に対するあるアワードの審査です)を始める。次から次へとレポートを読んでふううう。晩メシは久し振りにDVDでパリ・シャトレ座での『オッフェンバックの夕べ』の公演を見ながら。ミンコフスキの指揮も素晴らしいけどアンネ・ゾフィー・フォン・オッターの歌唱は絶品ですね。アンコールで歌った酔っ払いの歌など本当に美女が酔っ払ってるようです。画面をテレビに戻すと『ダーウィンが来た!』で内戦で野生動物のいなくなったモザンピークの国立公園に動物すべてを人の手で戻す計画をやっていた。弱肉強食の野生動物の生態系をゼロから人工的に創り自然に戻すのですからね。凄い!続いて日曜美術館で草間弥生の再放送。作品の凄さがよくわかりました。続けてN響で初めて聴く『ヨハネの黙示録の音楽』何だか凄いものの連続はゲップが出そうになるので録画してベッドへ。名古屋愛知アジア競技大会の閉会式はテレビではやらないのですね。それも含めて大会運営は問題アリアリだったようですなぁ。《誰が悪いというのでもあるまい。スポーツを好きそうでいて実は意外なほどスポーツに愛着を持っていない国民性》と虫明亜呂無さんも書いてますが…嗚呼!
10月3日(土)
ベッドでの読書は『はじめてのベルクソン』を開いたがやはり頭に入りにくので虫明亜呂無の原稿に赤ボールペンで校正を始める。この原稿を読み直すのは既に20回以上かな?毎年いくつかはこれくらい何度も読み直して時間をかけて推敲する原稿がある。ラシッド・ウランダンの舞踏に関する原稿(蔵出し音楽参照)とか『スポ−つとは何か?(世界思想スポーツ特集への原稿)』(蔵出しノンジャンル参照)とか。いや。どんな原稿でもどれもこれも結構20回以上読み直し書き直しているけど短いコラムが多いのでそれほど時間がかからず苦にならない。けど長い原稿は苦にはならないけどやっぱり時間がかかって疲れますなぁ。これも歳のせいかな。ニャン。今日は晩メシを久しぶりに会うボブさん(R・ホワイティング氏)がステーキを奢ってくれるというので朋友のSくんと一緒に丸の内の高級レストランへ…と思ってシャワーを浴びたり髭を沿ったり準備をしていたらボブさんからSorry but I have to cancel now.I am at hospital with dizzy spells.のメール。アッチャー。でHayaku yoku natte.と返事。たっぷり昼寝を取って晩メシはヨメハンの手作りアルモンデを食べながらアジア大会のサッカー日韓戦を見ながら。日本は0−1で負けたけどU-21の選手たちがU-23やオーバーエイジの選手たちの徴兵免除を賭けた戦い相手によくやりましたね。うわっ。昼間に虎が負けてナイターは巨人が負けて虎が初のリーグ2連覇を達成。チョット拍子抜けの結末ですけどマァ助っ人軍団に優勝を奪われるよりは誰が考えても良い結果ですね。あ。アルモンデというものはヨメハンが得意にしてる冷蔵庫に"あるもんで作る料理"という意味です。
10月2日(金)つづき
ベッドへの読書は久し振りに『はじめてのベルクソン』に戻る。人間の知覚を「足し算」ではなく「引き算」として認識する「イマージュ」の話などメッチャ面白いのだけど昨日完成させた虫明亜呂無氏に関する原稿が頭から離れずベルクソンがキチンと頭に入らない。書き終えても夜な夜な惑うわが魂(たま)はなかなか脳に還らざりけり…というわけか仕方ないので午前4時頃ベッドから這い出して原稿を再検討。大きく書き直す場所はないけれど誤字脱字てにをは変換ミスなどをいくつか発見。訂正して完成稿として坂上先生に送稿。ナンヤラカンヤラ考えるとこの原稿は1か月くらいかかって書き上げたことになるなぁと思いながら朝パン食ってヨメハンと散歩。原稿はまだ校正が控えてるから完全な完成までプラス1か月かな。昔黒澤明の映画『乱』に出演したピーターが日本ではイイ仕事をするほどギャラが安いと言っていたのを思い出す。That's right!フト思うところがあって講談社文庫の『文学者の見た世紀の祭典 東京オリンピック』を本棚から引っ張り出してチェックするが虫明亜呂無の名前はやっぱりなかった。この本は1964年12月に発行された講談社の単行本を定本として編まれたものだが虫明氏は東京五輪で見たことをすぐにマスメディアに書かれることはなかったようですね。岡本太郎の文章もあってもおかしくないのにないですね。あるものを探すより無い物を探すほうが意味がありそう…かな…ないかな?晩メシは燕vs巨人を見ながら。巨人も粘ったけど1−1の同点から8回裏燕に一気に4点を奪われた。これで虎のマジックはは1か…ここから虎が連敗をするかも…と思ってしまうのは古い虎狂の悪い癖ですね。
10月2日(金)
講談社のWEB版『現代ビジネス』にスポーツライターの小林信也さんとの対談がアップされました。
(前半)https://gendai.media/articles/-/171551?imp=0
(後半) https://gendai.media/articles/-/171552?imp=0
前半が『「核弾頭」に行進…なぜ野球には戦争用語や戦時中の名残があるのか?』後半が『玉木正之と小林信也が語り尽くす「スポーツと政治とメディアの在り方とは…』というタイトルです。御一読ください。
10月1日(木)
昨晩寝る前に風呂に入ったのが良かったのか?頭がスッキリして今取り組んでる原稿のタイトルも浮かび朝5時に起きて朝パンまでに原稿を手直しして坂上康博教授にメール送稿。タイトルは《虫明亜呂無―日本人のスポーツに対する無理解の解消とスポーツ文化論の未来を照らす基点を再発見する》まぁマスコミ的なタイトルではないけどアカデミックな雑誌『現代スポーツ評論』だから良しとしましょう。ニャン。朝パンのあとスッキリした気分で散歩。歩きながらヨメハンが「どんな原稿書いたン?」と訊くので日本で最初にスポーツ文化論を書いた虫明亜呂無の…と話すうちにハッと気付くことがあった。結論にした『源氏物語』の女三の宮へ思いをよせる柏木がうたった歌の元歌の古歌として紹介されている「恋わびて夜な夜な惑うわが魂(たま)はなかなか身にも還らざりけり」だが…これはひょっとして古歌などではなく虫明氏のオリジナル創作ではないかという疑念が湧き起こったのだ。《この歌は恋愛感情をうたったものだが実際スポーツするたのしみはその惑いに惑う情念を何とかして身体にもどそうとする労苦に隠されているかも…》と虫明氏は書く。さらに《スポーツが往々にして青春を破壊してしまうのはこの古歌のような妖しい魅力がいっぱい…》と続くのだが平安朝以前の古歌としては《なかなか》という表現もちょっとおかしく思える…そうか!虫明氏はこの古歌を創作されたのだ!…と思うと虫明亜呂無という人は何と凄い人だ!という思いが改めて倍増した。事実は確かめようもない。存在したかもしれない古歌の出所を調べたがわからなかった。まぁ事実関係はどうでも良いですよね。とにかく美事なスポーツ文化原論なのですから…。にゃん。坂上先生から「素晴らしい原稿をありがとう」という返信メールが届く。苦労した甲斐がありました。晩メシはサッカーより虎vs巨人。点を取るべき時に取れない虎にイライラ。結局夜11時過ぎまでかかる延長戦で引き分け。原稿を完成していたから良かったと言うほかない試合でした。
9月30日(水)
今日も夜の(朝の)3時頃に目覚めたので一橋題名教授の坂上康博さんから執筆を依頼された創文企画の『現代スポーツ評論』の虫明亜呂無氏に関する原稿と取り組む。いろいろ表現を書き換えたりしていたらマスメディアのスポーツに対する"誤解"とそれとは無縁に存在した虫明氏の"スポーツ文化原論"の大筋は表現できたかな…とは思えるものの恰好良いタイトルが浮かばない。結論もまだチョット甘いかな…と思ったらもう午前7時半。慌ててラジオ出演の準備をして朝パン食ってからRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。いろいろ不祥事の続く愛知名古屋アジア大会の不備を話す。運営をフランス企業や中国企業に丸投げしたことがネット等でも問題にされているが根本的な原因(問題)として事前の文化的盛り上げがなかったことと選手村を作らなかったことを指摘。もう30年前くらいになるが福岡でユニバーシアードを行ったときは開催の5年前から毎年1回シンポジウムを開き大会開催の意識を高めるスポーツ論を話し合った。司会は小生(福岡電通から依頼があった)。ゲストに狂言師の野村万之丞さんや長野冬季五輪開会式プロデューサーの萩元晴彦さんや札幌冬季五輪記録映画監督の篠田正浩さんや有森裕子さんなどを招いて講演とシンポでいろいろ話し合った。東京五輪2020のときも都知事や文科省やスポーツ議員連盟に何度も招かれたりシンポジウムや中学校での講演の依頼を受けて「何故オリンピックを行うのか?」を話したりしたが愛知の場合はそんな事前の話は聞かないし(一年半前になってやっとチョットあったが)そのような準備のなかったことと選手村を作らなかったのはアジア大会の意義を考えなかった(わかってない)証拠といった話をする。そのあと仮眠したら起きたのは昼メシ時。午後になってまた寝たら起きたのは午後5時。虫明原稿は一時忘れて雑務のあとアジア大会見ながら晩メシ。サッカーのウズベキスタンは一昔前の日本サッカーの姿を見るようで思わず応援。しかし日本は試合終了直前でよく追いつきPK勝負でよく勝ちましたね。風呂入って身体も頭もスッキリして明日の原稿完成に備えて寝る。
9月29日(火)
昨晩と言うか今日と言うか夜の3時頃に目が覚めたので普段ならベッドでの読書を始めるところだがベッドをから起きて仕事部屋に入って原稿を書き始める。明日が締め切りの虫明亜呂無氏に関する原稿。5時間くらいぶっ通しでパソコンに向かうとようやく形ができてきた。こんな深夜に仕事するのは久し振り。昔は2晩くらい通しての徹夜もしたけど今は体力的に無理。しかし静かな深夜の原稿書きは久し振りに新鮮でしたね。BGMはグルダ33歳のときのモーツァルトP協21番27番を小さな音で。コレがまた素晴らしい。きれいな音色でオケにかぶせてグルダのアドリブが煌めく。原稿書きの邪魔にはならず何故か推進力になる。バックはハンス・スワロフスキ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団。なんでウィーン・フィルと名乗っていないのかわからないけどグルダにつられてか新鮮で切れ味の良い美しい音がイイ。晩年に録音したアバド指揮ウィーン・フィルの20番21番よりブラーヴォ!ですね。早い昼メシのあとチョイと長い昼寝をして午後の時間をめいっぱい使って400字25枚の原稿をほぼ完成。ブラッシュアップは明日にして晩メシとアジア大会陸上競技を楽しむ。トラック競技は単純なランニング競走だけど単純なだけに身体の機械化に集中し苦労しているアスリートの挑戦がテレビ画面のからも伝わってくる。マイル・リレーの日本選手たちの走りは圧巻でしたね。そんなふうに陸上競技を感じられるのも虫明亜呂無氏の犀利な分析力と華麗な表現力に接したおかげですね。とりわけ小生が選んだ虫明亜呂無氏のスポーツ論の白眉が千宗室氏の茶の点前の様子を書いた文章なのだからホントに彼の見る眼はスゴイですね。しかもその文章で書かれたスポーツの本質の結論が『源氏物語』につながる古歌の「恋わびで夜な夜な惑うわが魂はなかなか身にも還らざりけり」という三十一文字ですからこれまた凄い!としか言い様がないですね。《スポーツが往々にして青春を破壊してしまうのはこの古歌のような妖しい魅力がいっぱいだからかもしれない》ガーン!!スゴイ!!
9月28日(月)
『はじめてのベルクソン』読み続ける。やはり哲学の本ですね。ちょっと難しくなるけど面白い。《もし私たちの身体が外側からの刺激に対して完全に自動的に反応するだけの機械だったら感覚は要らないはずです。熱いものに触れたら手を引く。それだけのことなら刺激と反応の回路が直結していればいい。刺激は単に物理的信号でいい。質として感じる必要がない》ナルホド。《つまり感覚は単に「受け取る」だけのものではない。それはまだ起きていない自らの身体反応の先を読みそこに介入する余地を開くものです。自動反応に対する「抵抗の認可」とベルクソンが呼ぶのはそのことです》タシカニ。この辺りにAIのシンギュラリティなど恐れる必要のないことが含まれていそうですね。以前クルマの自動運転の研究をしている技術者に自動運転しているクルマの真ん前に突然何かが飛び出してきたら自動運転をしているコンピュータは「危ない!」と感じてハンドルを切ったりブレーキを踏んだりするのですか?と訊いたことがある。すると「そんな反応は一切ないですよ。異物の大きさや距離や相互の位置とスピードからハンドルをどう切るかブレーキを踏むかの判断をするだけです」という答えが返ってきた。そこで私はさらに「だったら突然飛び出してきた異物が人間でも子供でも人間の乗ったクルマでも人間の乗っていない自動運転のクルマでも熊でも猫でも反応は変わらないのですね?」と訊いた。「ハイ」との答えにAIとはツマラナイ奴だなあと思ったのだった。ニャン。デスクワークは延々と原稿と格闘。やっと真っ暗なトンネルの向こうに光が差してきたかな?こんな感覚も原稿を書くAIにはないのでしょうね。ツマラナイ奴だなぁ。相変わらずテレビはアンテナの調子が悪いのか天候によって映らなくなるチャンネルが生じる。今日は日テレが映らない。晩メシ時にサッカーのベネズエラ戦が観られない。マァ明日以降にネットで観られるでしょうと思って高市首相の「お妾さん外交」のつまらない解説を聞きながら飯食ってサッサと寝る。高市外交ならばAIにも転換可能かな?
9月27日(日)
ベッドで『はじめてのベルグソン』読み進む。メッチャ面白い。我々は知らず知らずのうちに《時間を空間に置き換えて考えたり》《結果と原因を入れ替えて考えたり》《質的変化を量の増大に置き換えて考えたり》してしまってるのですね。つまりアスリートの質的成長をデータに置き換えたり見事なフォームでの鮮やかなバッティングを結果のホームランだけに注目して飛距離125m仰角25度と表現して何かを理解した気になってるわけですね。今"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"で公開しているスポーツライターの小林信也さんとの対談で話してることとまったく同じことをベルクソンは一般的な人間の心の構造として話してるわけですね。いやはや物凄く勉強になります。理論武装させていただきます。小林君にも教えてあげよう。ニャン。終日デスクワーク。原稿書きに疲れて遅い昼飯を食ってるとNHK-BSで筒井康隆大先生原作の映画『時をかける少女』をやっていたのでついつい見てしまう。大林宣彦監督が映し出す尾道の光景が美しい。1980年代の映画だけど高校生の台詞や会話に強烈な古さを感じましたね。そう言えば約半世紀前の映画か…尾道の町に古さは感じられず美しいのに若者たちが古く感じられるのは芭蕉の言った不易と流行と言うことですね。大相撲は「これより三役」から観る。藤ノ川見事。大の里は強さ復活で涙の優勝。過去1年を振り返るインタヴューはベルクソンの言う「今の時間からの過去の形成」ですね。続けて晩飯食べながら酒呑みながらアジア大会を観ても金メダルをとった選手が次々と過去を語るのが改めて興味深かった。その単なるドラマではない質的変化の感覚が感じ取れたのはベルグソンのおかげですね。武本選手は嬉しく北口選手は悔しかったでしょうね。中国の若い女性は凄いね。
9月26日(土)
ベッドでの読書は平井靖史『はじめてのベルクソン 時間をひらく哲学』(講談社現代新書)読み始める。まだ『はじめに』と第1章『時間という「型」を解きほぐす』だけで全体の5分の1程度しか読んでいないが何故この本をもっと早く読み出さなかったのかと後悔するほど面白い。1章の冒頭の《哲学の定義は哲学者の数だけある》との一文と《私自身は結局のところ「私たちの思考と生を自由にする」試み》と書かれているのに出逢ってならば「スポーツの定義は?」を考え直しながら読み進むうちに「身体を用いて豊かで充実した時間を体感するための行為」という新たな定義に達した。こういう読み方のできる本と出逢えるのは本当に嬉しい。しかも《時間が直線上の線の形に見えるのは(略)私達の知能がそう加工しているから》とか《知能は本来生命を理解しないところにその特徴がある》とか《観終わった映画を振り返って語る言葉と初めてその映画を観ている最中の経験を語る言葉は同じであるはずがない》とか《新しい出来事が生まれることで過去の意味や配置までがあとから組み替わることがある》とか《時間の動きには未来に向かう生成だけでなく過去へ遡って出来事同士の関係を結び直す働きも含まれる》とか《ベルクソンの時間哲学の問いかけは「時間とは何か」ではありません。「私たちは時間についてどのような錯覚のなかにいるか」です》とか《その錯覚を解読することが逆説的に時間の創造性を見出す道でもある》とか《回顧的錯覚が知能のバイアスならばそのバイアスを取り除けば「本来の時間」が姿を現すのでしょうか。(略)それは「神話」に過ぎません》とか《知能が自動的に行っている時間の完了化ー未完了なものを完了したかのように処理する操作に遅延を差し挟む》とか…赤線を引いて考え直して肝に落とし込む文章の連続で興奮して睡眠不足になった。ニャン。スマホの必要性を感じず新しいガラケイを使い始めたら散歩の歩数が出る。散歩のあと「累積5万歩突破オメデトウ!」と出ているのを見てガラケイに向かって「アホか」と呟く。終日デスクワーク。原稿と格闘。休憩にYouTubeでアジア大会の結果をいろいろ見る。アスリートの動きの裏で何やら悲惨なことが起こってるようですね。現場を取材してる小崎クンにいずれ報告してもらいましょう。大相撲は優勝決定戦がなくなたのは残念。日本サッカーU21は北朝鮮相手ににがんばりましたね。大関イイネ。虎はこのまま逃げ切りVかな。
9月25日(金)
シビレ・シュタインバッハー『アウシュビッツの歴史』(講談社現代新種)読了。送られてきた本はなるべく読むという乱読趣味がなければ読まなかった一冊だが読んで良かった本ですね。それにしても最終章『アウシュヴィッツの嘘』には唖然とします。アウシュヴィッツでの大量虐殺はなかったと主張する人物は今も世界中に存在するのですね。監訳者(柳原伸洋)も書いてますが《戦争的暴力が確実に地球に浸潤・拡大している今アウシュヴィッツへの関心はさらに高まっている。なぜなら個人の尊厳が奪われた場としてのアウシュヴィッツとそれを奪っていく集団暴力の戦争とは関連性が深いからである》ナルホド。現在の世界の政治(トランプ)や日本の政治(タカイチ)をアウシュヴィッツ(個人の尊厳を奪ってしまう力)の視点から見る眼を持っていたいですね。ニャン。今日もコツコツとデスクワーク。スポーツ界のドーピングに対する禁止(オリンピック)と解放(エンハンストゲームズ)をどちらも「ありのままの自分」という"同じ言葉"で語ることを考え直し纏め直す。英語では"Let it be"と"Let it go"で全然違うのですけどね。ビートルズの名曲もディズニー"アナ雪"のポップスも同じ言葉に訳してしまう日本人の感性はちょっとコワイですね。裸になる(レット・イット・ビー)のも着飾る(レット・イット・ゴー)のも同じではないはずですよね。ニャン。内容充実名勝負満載の大相撲はイヨイヨ佳境。朝乃山vs大の里が観たいけど無理かなぁ。巨人は痛い敗戦。虎も付き合って敗戦。どうせ鷹に負けるのかな?
9月24日(木)
ベッドでの読書はシビレ・シュタインバッハー著『アウシュビッツの歴史』(講談社現代新書)を読み始める。アウシュビッツ(の収容所)についてはフランクルの名著『夜と霧ードイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)や何本もの映画やドキュメンタリー映像で知ってるつもりでいた。が本書を読み始めてまずアウシュビッツがポーランドのオフィシエンチムという都市のドイツ語読みであることを初めて知った。情けないことにこんな基本的なことも知らなかったのだ。本書はオフィシエンチムの都市とその周辺地域の歴史からナチス(国民社会主義)ドイツが既に存在してた季節労働者の巨大収容所施設を改造して反ナチス・ドイツのポーランド人やドイツ人の犯罪者やユダヤ人を収容する施設を徐々にユダヤ人の集団虐殺巨大施設へと変貌させてゆく姿を解説する。この巨大施設を運営するには多くの家族単位のドイツ人入植者が必要で《生活上のあらゆる地域が整っていた。(略)コーヒーハウス・プール・そして図書館が備わり複数の幼稚園や学校そして診療所や歯科医院も併設されていた。収容所の駐屯地医師科が提供する医療は親衛隊とその家族からも好評だった》その医師たちが収容所内でどんな仕事をしていたかを思うと怖ろしくなりますが…《家庭の安寧は親衛隊員の日常の業務と矛盾することはなかった。(略)牧歌的な家庭生活が親衛隊の職務遂行に不可欠な精神的安定を与えたことで収容所内での殺戮を促したとも言えよう。隊員が大量殺戮者であると同時に愛情深き父親でもあったことは驚くべきことではない(略)大量殺戮と良識は対立する二つの極を形成するのではなく密接に絡み合っていたのである》ハンナ・アーレントが多くのユダヤ人をガス室に送ったアイヒマンを普通の人と評したことが思い出されました。ニャン。今日もまた原稿書きの下書き。徐々に内容が見えてきて書くことが固まってきたのが嬉しい。大相撲は大の里の優勝が見えてきたけど藤ノ川が霧島を倒した一番は凄かったですね。三賞独占でっせ。巨人が広島に敗戦。マァ仕方ないですね。助っ人だらけのチームの優勝というのもツマラナイですからね。サッカー日本代表vsウルグアイ戦を見ようとしたらアンテナの調子が悪いのか何故かフジテレビが映らなかった。トホホ。
9月23日(水)秋分の日
ベッドでの読書は堀田和義『ジャイナ教』(講談社現代新書)をキセル読み。つまり序章「ジャイナ教とは?」&第1章「ジャイナ教教団と戒律・修行」と最終(第5)章「現代のジャイナ教」&「あとがき」を読む。徹底した不殺生で「世界一ピュアでストイック」と言われる宗教が今日もこんなに世界で息づいてるとは思わなかった。インドのジャイナ教徒は全人口の約0.47%でヒンドゥー教(79.8%)イスラム教(14.23%)キリスト教(2.3%)シーク教(1.72%)仏教(0.7%)に次いで第6位。しかし《インドの所得税収全体の24%を収めている》というから驚きだ。識字率94.1%はインドの平均64.8%や他の宗教信仰者の平均を大きく上回っている。それは徹底した不殺生で農業に携わるジャイナ教徒はいない(土の中の虫や微生物を殺してはいけない)からだそうで商業やIT関連企業で働いている人が多いかららしい。ちなみにインドやベルギー(ダイヤモンド取引の町アントワープ)で宝石の売買に携わっているジャイナ教徒も多いらしく《世界で販売されているダイヤモンドの10個のうち8個はインド系ジャイナ教徒の手を経ていると言う者もいる》らしい。高校時代の世界史の授業で徹底した不殺生から虫や微生物を殺さないために白装束にマスクをして道路を掃きながら歩いてると習ったジャイナ教徒が現代もこんなに世界で活躍して神戸にも東京にも寺院があるとは知らなかった。人生70を過ぎても知らないことは多いですなぁ。ニャン。今日もいろいろ原稿書き。途中『週刊女性』(主婦と生活社)の編集部の人から不手際続きのアジア大会の感想を求める電話がかかってくる。そう言えば今朝の東京新聞のコラム欄に斎藤美奈子さんが北朝鮮のチームに韓国国歌を流したとか選手のおもてなしに豊臣秀吉が現れ韓国から講義を受けたとか(韓国にとっては侵略者ですからね)イロイロ書かれてたけどそもそも選手村を創らないアジア大会って開催する意義がわかってないですよね…という話をする。アジアの人々が交流を促進する場を創らないアジア大会って有り得ないでしょう。晩メシは大相撲をビデオで見ながら。藤ノ川は大の里に通じなかったですね。熱海富士は霧島に何故負けた?タイガースの試合中継がなかったのでヴェルディ『ファルスタッフ』パルマ歌劇場公演を観る。指揮は東フィルでも活躍しているバッティストーニ。やっぱりイタリア・オペラはイタリア人のアリオ(ニンニク)を効かせた演奏がイイですね。
9月22日(火)つづき
ベッドから出てイロイロ仕事。原稿の結論がナカナカ見えてこない。結論が見えてから書き出す場合が多いが見えないで書き出したときにボンヤリしていた結論が実を結んでくるときほど嬉しいことはない。が今回はナカナカ実を結ばなくて何度も頭から書き直す。現代スポーツが発展しすぎて袋小路に入り込んだことを書いてるだけに我が原稿も袋小路に入り込んでしまったのかな?嗚呼。大相撲が面白すぎて原稿が書けないのかな?…と自分に向かって言い訳も。晩メシは虎vs燕を見ながら。こんなにリードしてるのに追いつかれて…こんなに何回もチャンスがあるのにタイムリーが出なくて…勝ちきれないダメ虎は優勝なんかできひんで…と思った瞬間延長11回に高寺の2ランホーマー。まぁ良かった良かった。しかし頭のなかはチューリングの「機械は考える」との結論に覆われてしまった。人間が機械に負けずに考える必要がありますね。情報の量でなく問題意識の質で…。
9月22日(火)
ベッドで読書を続けていた高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』(講談社現代新書)読了、メッチャ面白かった。特に第7章「機械は考える」の章はAIの進化にブレーキをかけなければならないとの意見が出始めた現在に生きる我々には必読の章に思えた。その現在人が直面している"AI問題"にチューリングは既に76年前に気付き「機械は考える」との結論を出していたのですね。その理由をここに簡単に書くわけにはいかないけど「機械は考える」ことに批判的な「9の批判」をチューリングは全て論破。要は人間にとって他人の心(考え)がわからないのと同じように機械の考え(心)も機械になってみなければわからないのですね。著者が現在の生成AIに「君は考えている?」と訊いたAIの回答も面白い。まずAIは「おもしろい質問だね」と答えたあと「考えている」と「言える部分」と「言えない部分がある」と答える。要するに「君の質問を受け取った瞬間内部で情報を処理して意味を理解しようと」して「過去の文脈を思い出してどう答えるのが適切かを複数の可能性から選んでる」ことは「人間でいう「考える」作業にかなり近い」けれど「君がメッセージを送っていない間私は完全に停止しているような状態だ。人間みたいにボーッと考え事をするみたいなことはできない。要するに『質問が来たときだけ考えるふりをして答えを生成する』存在だと思ってもらえればいいかな」何と素晴らしい自己認識でしょう!これならAIも利己的に動いて人間を痛めつけるのではなく利他的・愛他的な存在にまで成長できるかもしれませんね。もっとも…それは…散々人間を痛めつけて困らせたあとに反省したてからの話かな?
9月21日(月)敬老の日つづき
いろいろ仕事&"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"収録の準備。今日のゲストは専修大学文学部ジャーナリズム学科の山田健太教授。「大学のジャーナリズム教育から日本のメディアの変革を考える」をテーマに�@大学のジャーナリズム学科の果たすべき役割は?�A日本のメディアとジャーナリズムの問題点は?�B日本のメディア&スポーツ・ジャーナリズムはどうあるべきか…を話し合う。大学のジャーナリズム学科って現在200以上あるのですね。ジャーナリズム相手に「隠し誤魔化した安倍政権」から「押さえ込んだ菅政権」そして「SNSに逃げまくる高市政権」の問題点などいろいろオモシロく勉強になりました。ナルホド。読売が巨人を手放すより朝日が高校野球を手放してクラブ化するほうが社会改革への影響力は大きいかもしれませんね。今アップしている小林信也さん&次にアップする高野孟さんに続いてアップします。乞御期待!NHK+で大相撲。うわっ。小さい藤ノ川が巨漢琴櫻を投げた!見事ですね。虎の大山選手のさよならホーマーも見事とは言え猛虎打線はもっとコンスタントに打たなきゃ。ねぇ。敬老の日なのに子供たちは誰も連絡してこないのでヨメハンと2人でスパークリングワインとステーキで祝う。何を祝ったのかよくわかりませんけどね(^_^)。晩メシ後に久し振りにオペラを楽しむ。ターフェル主演の『ファルスタッフ』。コヴェントガーデンの舞台。チョット演出が凝り過ぎかな?でも小生の一番好きなオペラを久し振りに堪能しました。何しろ1970年以来に治したベルリン・ドイツ・オペラのフィッシャー=ディースカウ主演の舞台を日生劇場の前から2列目で高3のときに見たペラですからね。まらブエノスアイレスのテアトロ・コロンでも観ましたからね。これほど思い入れの強いオペラはないですね。
9月21日(月)敬老の日
ベッドで『チューリングの哲学』読み進む。ヒルベルトやウィトゲンシュタインやカントールやラッセルやノイマンやゲーデルの数学の話はサッパリ理解できなくても面白い(笑)。「ゲーデルの不完全性定理」というのはひょっとして「神の不在証明」ではないかと勝手に思ったりチューリングの考えた「ハイパー・コンピュータ」としての「オラクル(神託)マシーン(機械)」は「ゲーデル・チューリングの不完全性定理」で「神」になれないことがわかったコンピュータを「神の座」に押し上げようとする試みなのか?と勝手に思いながら読むとオモシロイ。本に書かれたことをどう読み取るかは読者の勝手ですからね(笑)。しかしウィトゲンシュタインの家族のことを初めて知って自殺者の多さやラヴェルが『左手のためのピアノ協奏曲』を書いたピアニストがいたり…で初めてメッチャ興味を持ちました。たしか若くして山で遭難した小生の大友人だったN君と一緒に遭難して助かったK君がウィトゲンシュタインの権威で本を送ってきてくれたのを残してるはずだから読んでみましょう。初めてウィトゲンシュタインを読む気になれました。ニャン。
9月20日(日)
ベッドでの読書は高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』(講談社現代新書)読み始める。チューリングについては素晴らしい映画『イミテーション・ゲーム』で知ってるつもりでいたが活字はやはりイギリスのパブリック・スクールと大学の制度のことやヴィクトリア女王時代の大英帝国のインド統治のことなど多くのことを教えてくれる。もちろん双葉より芳しかった天才のことも同性愛のことも。途中でチューリングの数学の先生が《論理学者ルイス・キャロルの信奉者》という言葉が出てくるけどこれってアリスの作者のことですよね。チューリングはクリケットは下手だったけどマラソンは得意でケンブリッジではボート部だったらしい。《自己充足的な運動》ですね。そう言えば中学生のときに英語で数学の分厚い本を読んでいた我が友人の天才数学者M君も陸上部だった。ニャン。世の中の連休とも颱風とも無縁にコツコツとデスクワーク。誰が"シルバー・ウィーク"なんて名前を付けたのかな?確かラスベガスはアメリカでシルバー(銀貨)シティと呼ばれてますよね。日本では高齢者を何故シルバーと呼ぶのかな?白髪は普通 white か gray で silver は余程綺麗な白髪(銀髪)にしか言わないとアメリカ人に聞いたことがある。ま。ドーデモイイか。大相撲はどの取り組みもオモシロイ。藤ノ川サイコーですな。晩メシは数日前にNHK-BSを録画した若きスティーヴ・マックィーン主演『シンシナティ・キッド』を観ながら。アン・マーグレットの上方のように古さを感じる映画でしたね。ノーマン・ジェイソン監督の映画はシドニー・ポワチエとロッド・スタイガーの『夜の大捜査線』よりシェールとニコラス・キッドマンの『月の輝く夜に』のほうが私は好きですね。
9月19日(土)
『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』(早川書房)再読了。第2巻の最後は狂人(ニクソン)とサイコパス(神経病=キッシンジャー)のベトナム敗戦と沖縄返還と米中国交回復とペンタゴン・ペーパーズとウォーターゲート事件。しかし忘れてならないのはインドネシアのスカルノ政権やチリのアジェンデ政権をCIAの力で倒したこと。アメリカはトランプ以前からトランプ的行動はイロイロあったのですね。本書で頭に残しておかねばならないことは山ほどあるけど沖縄返還交渉とき佐藤栄作首相はジョンソン大統領に向かって「中国共産党が核兵器を持つなら日本も持つべきだ」と言ったそうです。さらに「現在日本の世論はそれを許さないだろうが若い世代を中心に"教育する"ことは可能だと確信している」とも。それから半世紀以上経った今"教育された若者たち"が大人になっているのかな?またベトナム戦争時に国連のウ・タント事務総長が言った言葉も胸に刺さった。「戦争を止めるには政治的外交的な議論と交渉以外にない。言うまでもないが戦争と敵対の時代に最初に犠牲になるのは"真実"なのだ」SNSなどで"真実"を犠牲にしてフェイクニュースが飛び交う現代もまさに"戦争と敵対の時代"と言えるのでしょう。終日デスクワーク。今書いてる原稿がナカナカ上手く進まない理由はわかっていた。それは適切なタイトルが浮かばなかったからだ。そのタイトルがピカッと閃いた。今はここには書かないが気分がやっと軽くなった。イエーイ!夕方からテレビ桟敷でビール飲みながら大相撲見物。大相撲は今が最高潮かな。藤ノ川は相変わらず素晴らしいし安青錦と熱海富士の一番は見事な力相撲でしたね。大の里はやっと本調子?続けてプロ野球見ながら晩メシ。こんな酷いプレイをするなら虎の優勝は無理ですね…と思ってしまうのは古い虎狂の悪癖でしょうか?AIの進歩を遅らせなければ…という声が出るんは当然として何故政治家と経済人ばかり発言するのかな?ジャーナリストや大学の研究者や市民の声は聞こえてこない。原水爆反対のときは違ったのに…。
9月18日(金)
ベッドでの読書《オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機》はダラスでの悲劇を経て《古い世代ージョンソン・ニクソン・フォード・レーガンの世代の指導者たちに引き継がれることになった。彼らはケネディ時代の約束を組織的に破棄するとともにアメリカという国を戦争と抑圧に逆戻りさせた》ジョンソン大統領はケネディの選んだベトナムからの撤兵の道筋とは正反対の《降伏よりも最悪の道を選んだ。それは(略)ゆるゆると破滅に向かう道だった》ジョンソンは北ベトナムへの攻撃を次のように表現。《北への攻撃をゆっくりエスカレートさせホー・チ・ミンに圧力をかけていく。つまり強姦ではなく誘惑だ。(略)女の足に手を伸ばすのは一度に1インチずつにするよ》下品な言葉を使う政治家は信用できないという典型ですね。ニャン。イロイロ仕事。来週月曜の"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"収録のゲストは専修大学にジャーナリズム学科を創った山田健太教授。小生が今年前期の教壇に立ったことも踏まえて日本のジャーナリズムについて語ってもらう。彼の著書『転がる石のように 揺れるジャーナリズムと軋む表現の自由』(田畑書店)に「メディア批判の変遷」という極めて面白い指摘があってマスコミに対する批判が70年代は「疑問」→80年代は「批判」→90年代は「不信」→2000年代は「否定(マウスゴミ呼ばわり)」→10年代は「不要(フェイクニュース・オワコン)」→20年代以降は「排斥(無視)ー生成AIの出現?」と表現されている。ナルホド。そんなふうに見られたマスメディアがジャーナリズム精神を取り戻すにはどうすれば…?ということなどイロイロ話し合いたいですね。夕方からは大相撲。藤ノ川は相変わらず素晴らしい!大の里は相変わらず悪い癖。しかし今の大相撲は個性派力士続出のガチンコ対決で最高潮ですね。鷹は見事に強さを発揮したけど虎はこのまま優勝へ進めるのかどうかなぁ…?
9月17日(木)
『もうひとつのアメリカ史』はキューバ危機に突入。当時沖縄の米軍キャンプで勤務していた空軍偵察機追跡部隊のR・ホワイティング氏も第三次大戦は避けられないと思って毎晩仲間と酒を呑み今にも頭上に核爆弾が落ちてくると本気で思っていたという。そのキューバ危機を回避したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で見事な演説を残す。《どのような平和を私達は求めているのでしょうか。それはアメリカの兵器によって世界に押し付けられるPax Americanaではありません。私は真の平和について語ろうとしているのです。地球上での暮らしを価値あるものにしてくれる平和。人類と国家が発展し希望を抱き子供のためにより良い生活を築くことができるような平和について語ろうとしています。それはアメリカだけの平和ではなく全人類の平和であり私達の世代だけの平和でなく如何なる時代にも普遍的な平和です》《相手の歪んだ部分や我慢のならない部分だけを見たり衝突が不可避と考えたり和解が不可能だと思ったり交渉は脅し合いをするため場に過ぎないと考えたり》することなく《私達には平和な世界を築くという使命があります。弱い者が安心して暮らし強い者が正義を守る世界です》トランプやタカイチはこの演説の全文を読んだことがないのでしょうね。そしてケネディはヴェトナムへ《地上部隊を派遣しない》ことと軍事顧問団も《撤退を決意した》という。しかし暗殺。当時のマクナマラ国防長官は《もしもケネディが生きていたなら世界は違ったものになっていただろう。私はその点に確信を持っている》と言ったという。トランプやネタニヤフやタカイチでなければまた違う世界になるはずですよね。終日デスクワーク。原稿書き。大相撲はビデオで纏めて見ながら晩メシ。どの勝負を見ても面白いですね。続けて昼メシ時に半分観た映画『サンセット大通り』を観る。昔見た映画だったけど面白くイロイロ再発見。ウィリアム・ワイラー監督の手腕は見事ですね。グロリア・スワンソンとエーリッヒ・シュトロハイムの演技も見事。うわっ。虎がやっと連敗脱出。
9月16日(水)
ベッドでの読書『もうひとつのアメリカ史』はキューバのカストロ政権樹立に対してアメリカが仕掛けたピッグス湾事件。元はといえばアイゼンハワーがCIAに許可した作戦でケネディのブレインはやりたくなかったけどケネディがアイゼンハワーや軍部に逆らえず実行して大失敗。CIAの計画ではアメリカが亡命キューバ人を使って上陸作戦を敢行すればキューバの反カストロ派の民衆が立ち上がるって読みだったけどつい最近にもイランで同様の読みがありましたね。嗚呼。第五福竜丸事件で日本の反核運動が盛りあがったときはそれを押さえる核の平和利用として広島に日本初の原子力発電所を造る計画もアメリカは考えたとか。嗚呼。アメリカの考えることに無批判に従う姿勢というのは絶対に避けなければならないはずでキャバレー外交などサイテーですね。ベッドから出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは柿原正郎『ゲームで生きていく』(ちくまプリマー新書)を取り上げてアジア大会で正式競技にもなってるeスポーツの話。賞金総額400億円(ゴルフは600億円)スポーツベッティングの賭け金総額1兆6千億円まで膨らんだeスポーツを頭から無視するわけにはいきませんねという話。アジア大会での"ぷよぷよeスポーツ"には11歳の小学生も日本代表選手として出場するそうです。イイノカナ?考エテミマヒョ…という話。イロイロ仕事の途中で昼飯時にNHK-BSで放送していたロバート・レッドフォード主演の映画『さらば愛しきアウトロー』を見てしまう。実話の老人銀行ギャングの話。老人版の『俺たちに明日はない』でした。女性版はリドリー・スコット監督の『テルマ&ルイーズ』がある。破滅型人生はみんなの憧れかな?イロイロ仕事のあと大相撲。相撲勘を取り戻したと思った大の里が高安に土。嗚呼。アジア大会サッカーは日本が香港に2-0の勝利。フロンターレの大関は良かったけどもっと得点を取ってほしいですね。何日か前の東京新聞一面でジャーナリストの田原聡一郎氏が《高市首相には哲学が見えない。哲学がないから人の話を聞かない》と書いておられた。そして《今大切なのはジャーナリストの仕事。権力と闘い状況に対して批判する。首相や幹事長にも言うべきことを言う》とも。まず"一社一問一答"の記者会見を改善してほしいですね。それとメディアがスポーツ球団を持ったりイベントの主催をやめることですね。
9月15日(火)
『もうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』読み続ける。1953年イランのモザテク首相が石油の利権を主張したのを不満に思った植民地主義のイギリス帝国がイラン南部からの軍事侵攻を企てる。が同時にソ連が北部からイランに侵入することを懸念したアメリカのアイゼンハワー大統領はCIAを使ってイラン国民の高い支持を得ていたモザデク政権を倒しパフラビー国王政権を打ち立てる。その後《アメリカの強い後押しを受けたパフラビー国王は選挙で不正工作をするとともに自ら設立した情報機関サヴァクの力を使って国民を抑圧しながら20年以上支配を続けた》そして1984年のオリンピックをテヘランで開こうとする前にホメイニ師率いるイスラム勢力に倒されアメリカはイラン国民の怒りを浴び続けるようになるわけですね。しかし一時期CIAを使ってイランに傀儡政権を作ることに成功したアメリカは次にCIAを使ってグアテマラの共産主義者たちを(ユナイテッド・フルーツ社の利権を守るため)倒す。そしてヴェトナムにも手を付けるわけですね。現在のトランプがイランでやろうとしていることも歴史を振り返らないと見えてこないことがありますね。嗚呼。アメリカの"力の支配"は何も今に始まったことではないですね。ニャン。デスクワークは坂上康博先生から依頼を受けた『現代スポーツ評論』(創文企画)に掲載する少々長い原稿に取りかかる。肩の力を抜いてナチュラルに…と思うけどナカナカ上手くいかないですナァ。気分転換に夕方から大相撲。どの勝負も面白いですね。大の里は調子(土俵勘)を戻したかな。うわっ。虎は7連敗。それでも首位から落ちないのはチームに喝が入らないという意味で悪いことかもしれませんね。昨日の本欄に書いたけど日本の"報道の自由度ランキング"が"社会文化"のジャンルで180ヵ国中108位というナサケナイ事実とその原因をメディアがまったく報道しないのはこの国の文化度の低さを示していますね。テレビでいろいろコメントしている"社員ジャーナリスト"の皆さんは原因をわかってるのかな?わかってるけど言わない(言えない?)のでしょうね。
9月14日(月)つづき
夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTube収録。今日のゲストは高野孟さん。小生が本物のジャーナリストと呼んでる数少ない人物のうちの一人で以前角川書店と組んで開講していたジャーナリズム塾でも講演してもらいInformationとIntelligenceの違いを講義してもらった。今回は「日本のメディアとジャーナリズムを考える!日本にジャーナリズムは存在するのか?!」をテーマに�@首相記者会見の一社一問一答はジャーナリズムと言えるのか?�Aジャーナリストは与党や野党に与しても良いのか?�Bスポーツを運営するメディアにスポーツジャーナリズムは可能か?…といったことについて存分に語ってもらいました。"国境なき記者団"が毎年発表する報道の自由度ランキングで日本は180ヵ国中62位。ジャンル分けでは社会文化に関する報道が108位。これはスポーツ報道の不自由さの表れでしょうねえ。何しろスポーツを報道せずに自分たちで支配してるのですからね。高野さんにイロイロ斬りまくっていただきましたので1週間後くらいのアップを乞御期待!昨日書き忘れたけど大相撲はオモシロイですねえ。虎は弱いですねえ。嗚呼。
9月14日(月)
ベッドでの読書『もうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』はマッカーシズムから朝鮮戦争。ソ連に歩み寄りを見せたアイゼンハワーの報告書が素晴らしい。《国家安全保障とは軍需品の備蓄数や兵士の数あるいは無敵の兵器を独占してるかどうかで測れるものではない。そういったものはドイツや日本がかつて考えた力でありそれらは戦争の試練のなかで誤りだと証明されている。平時においてさえ物質的な強さの指標は信頼できない。武器は陳腐化し価値がなくなる。巨大な部隊はそれを支える国の力を奪いつつ崩壊してゆく》こんな解り切ったことをタカイチは何故また繰り返すのでしょうかねえ?ニャン。イロイロ仕事をしていると講談社から今月の現代新書の新刊4冊が届く。うわっ。どれも読みたくなる本ばかり!高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』帯に《機械は考える!人間は機械だ!世界を大きく変えた「人工頭脳の父」の生涯と思考》とある。シビレ・シュタインバッハー『アウシュヴィッツの歴史』《110万人以上が犠牲になった大量虐殺の実態とは?ドイツ近現代史の確信がわかる!》神野志隆光『日本書紀を読む』《神武天皇から持統天皇まで「日本」王朝の正当な歴史を見よ!》堀田和義『ジャイナ教』《虫一匹…いや微生物も殺すな!世界一ピュアでストイックな宗教》…さてどれから読もうか…。本の世界ほど面白いものはないですね。
9月13日(日)
『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』ベッドで読み進む。第二次大戦が終わった直後の"世界"は冷戦後の現在の世界とよく似てる。勝利の喜びは束の間。あっと言う間に東西対立と石油の争奪戦が始まる。そして平和勢力が排除され"力の支配"が始まる。昔核兵器。今は核+ドローンか。沖縄県知事選は辺野古基地推進派の勝利。ドローンが主流の世の中で新たな基地が必要なの?普天間基地は本当に返ってくるの?10年後の所得倍増は可能なの?第二次大戦後の世界史を見直すとわかることが少なくない。全ては石油と金儲けをするために対立する脅威に対する過大視を煽るところから始まるのですね。話し合う力(民主主義の力)の低下が金儲け勢力とそのオコボレを求める勢力の台頭を促すのですね。今必要なのはジャーナリズムのはずですが…嗚呼。♪今日は日曜サンデーというのにイロイロ仕事。まぁ仕事をするのが好きなので良いのですが結局部屋の整理整頓は進まないまま。本棚の本は溢れたまま。机やテーブル上の資料は乱れたまま。これが生きてる証拠かもしれません。虎は巨人に3連勝したあと気が緩んだのですかね。今日で6連敗。しかし虎の才木と竜の高橋の投げ合いは見事でしたね。それ以上に見事と思えたのが北口榛花選手の復活です。虫明亜呂無氏が書いていたけど槍を空気に乗せる最上のフォームを一度見失った選手がそれを取り戻すのは非常に困難なことらしい。けど彼女はその困難さに打ち克ったのですね。素晴らしい!テレビのニュースで流れた彼女のフォームを何度も観ると確かにスポーツにおける人体のフォームは虫明氏の言うとおり佗茶の点前にも似てるのですね。納得。
9月12日(土)
ベッドでの読書は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(早川書房)。最近『3:帝国の緩やかな黄昏』と『1:二つの世界大戦と原爆投下』は2度目の完読を果たしたので『2:ケネディと世界存亡の危機』を再読し始める。どの巻もそうだがまるで現代のトランプ政権下ののアメリカ史を読んでいる錯覚に陥るほどアメリカは同じようなことを繰り返していますね。第二次大戦直後はF・ルーズベルトの意志を継いだ平和主義者のウォレス人気が上昇。するとトルーマンの民主党も共和党も彼を共産主義者と非難。そして赤狩り(レッド・パージ)に発展。現在の民主党の民主社会主義者にトランプが共産主義とレッテルを貼って非難するのと同じ構図ですね。トランプの咆哮が赤狩りに発展しないことを願いたいですが…ちなみに第二次大戦後の赤狩りの旗を振ったハリウッド関係者はロナルド・レーガン&ロバート・テイラー&ゲーリー・クーパー&ウォルト・ディズニーらだったが《議会による魔女狩りを堂々と非難した人も多く》ハンフリー・ボガート&グレゴリー・ペック&ジーン・ケリー&ウィリアム・ワイラー&ルシル・ボール&フランク・シナトラ&バート・ランカスター&ローレン・バコール&オーソン・ウェルズ&キャサリン・ヘップバーン&ヘンリー・フォンダ&ベニー・グッドマン&グルーチョ・マルクス…らだったとか。このあたりがアメリカを馬鹿に出来ないところですね。高市支持の…いや…トランプ支持のハリウッド関係者は誰かな?明日の沖縄県知事選はどうなるかな?ニャン。デスクワークは虫明亜呂無氏の本を傍らに置いてソロソロと少々長い原稿に取りかかり始める…が…締め切り日に余裕があると思うとなかなかエンジンがかからないものですね。
9月11日(金)
ベッドで虫明亜呂無氏の「スポーツ論」を読み進む。たとえば千宗室氏の御点前を見ながら。《優れた茶人とは優れた機能を備えた点前のメカニックということができる。人間が機能そのものになりかわってゆくこと。その機能とはとりもなおさず人間の知恵・肉体の動き・筋肉の集中作業そして人間の意志と思考による肉体の拡散作業。何よりもそれらの全ての作業を支配しコントロールする人間の傾斜力などを指す。一言で言えば最も情念的な人間こそ最もスポーツ的な人間という考えが尊重される》十回以上読み直さなければ理解できない文章だが面白い。虫明亜呂無流スポーツの美学は身体論の極みと言える。そこで次のような文章も生まれる。《誰が悪いというのでもあるまい。おそらく日本人の感受性がどこかで安直に何かに寄り掛かりやすくできているのであろう。スポーツを好きそうでいて実はスポーツに愛着を持っていない国民性がそうしからしめるのであろう。スポーツに名を借りたドラマだけが愛好されるのであろう。段取と筋書と情況だけが常に関心の的であった》そして決定打が放たれる。《野球に限らずゲームは黙って観ていたほうが遙かに美しい》。嗚呼。虫明亜呂無の時代は消え去り化石と化してしまいましたね。ベッドから出てデスクワークは雑誌『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ批評」の第110回。来シーズンからセ・リーグがDH制を採用しNPBがピッチコムの導入を許可するコトを取り上げ日本の野球がMLBの尻に従うだけで「思想がない」ことを書く。野球だけでなく政治も同じですね。ニャン。張本勲氏逝去のニュース。30年以上前に講談社の月刊『現代』でロングインタヴューをさせてもらったときは被爆の話をいろいろ聞いたりケロイドで不自由な右手の指を見せてもらったりもしたが「真面目に聞いてくれたらから答えたり見せたりしたけど原稿には絶対に書いてくれるな」と言われた。「言い訳はイヤだから」と。その後被爆体験を公言して反戦を語るようになられるのに20年くらいの月日が必要だったのですね。合掌。
9月10日(木)
ベッドでの読書は今月少々長い原稿の締め切りの準備として小生編集の虫明亜呂無氏のスポーツ論集『時さえ忘れて』を読み直す。《スポーツは遊びである。遊びだから贅沢である。それは歌舞音曲や美味しい料理や男女の交情と同じように人生の飾りであり一期の夢なのである。こうした精神はもともと京阪神を中心とした上方生活に根付いて長い伝統の試練にかけられ開花し実を結んでいった。(略)間違ってもそこには東京などで流行していた青少年の身体鍛錬の手段としての野球とか学校教育の一環としての野球などという痩せて枯れた考えはなかったであろう。(略)野球は遊芸が盛んで料理が美味くて女性文化が優遇されている土地でないと強くならない。生活を満足に享受できない者がどうしてスポーツの遊びを謳歌できようか。(略)偉くなりたい奴は東京へ行け。人生を愉しみたい奴はこっちに残って野球をやろう》スゴイですねえ。《職業野球はこの世の果てお遊びであった。球場には頽廃と淪落の風情がたちこめていた。だから僕は職業野球に惹かれた》《職業野球は辺境の娯楽であった。(略)日中戦争が始まり日本が戦時色に塗り潰され始めると職業野球はこの世に残された唯一の娯楽になった。(略)職業野球が本当の値打ちーゆるぎない存在理由を見せ始めたのはこの頃からである》《なぜ職業野球に惹かれたのか。個人的なことから書く。情事からである。(略)野球はどこかセックスに直結していた。僕はだから荒廃とした野球場を愛した》どこまでも引用したいスゴイ文章ですね。しかし大阪がイシンとやらと権力志向を剥き出しにして神戸も妙な首長が支持され(京都はどうした?)世の中は変わったようですね。ベッドから出てベッドの読書の延長で終日イロイロ原稿書きの準備。晩メシは先週名古屋でのオペラ講座で取り上げたチレーアのオペラ『アドリアーナ・ルクヴルール』を見ながら。フレーニとコッソットの女性歌手二人はスゴイですね。これはヨメハンとボローニャ歌劇場の来日公演を見たけど生涯にナマで観たオペラとしてはクライバー指揮の『ばらの騎士』と並ぶ最高傑作でしたね。あ。もう一つ。グルベローヴァの『椿姫』もありましたね。昔はけっこう贅沢してましたね。バブルの恩恵だったのかな?
9月9日(水)
ベッドのなかで『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』再チェック。やはり納得のいかない部分を考える。詰まるところは"身体性"の問題でしょうね。それと障碍者との関係が書かれていないことかな。"eスポーツ嫌い"の小生としては直接会話を交わしたことのある人物のなかで唯一のeスポーツ肯定派とも言える(本書にも登場した)ヨシモトの芸人・小薮千豊さんの著作『ゲーム反対派の僕が2年で4000時間もゲームをするようになった理由』(辰巳出版)も読んで見ることにしましょう。ベッドから出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはプロ野球オーナー会議で"スポーツ振興くじ"に参加することが決まったこと。小生はtoto賛成派として衆院の文教委員会でもJリーグが誕生したあとに参考人としてtotoを導入することに賛成の意見を話したことがある。それはJリーグのチーム名に企業名を入れることを主張していたメデイアがあったから。読売グループが読売ヴェルディとか日産マリノスという言葉を使ってJの理念に反する行為を行っていたけどtotoが導入されたら企業間の格差の存在する名称など使えないですからね…というワケだったけど今回はプロ野球球団の企業名の問題には触れずにtoto導入が決まった。おまけにプロ野球球団に分配金が渡るらしい。Jリーグのチームには配られてないのに…。これでいいのかな…。ラジオのあと本棚の整理をしていたら『はじめてのイタリア語』(郡史郎・著/講談社現代新書1996年)なんて本が出てきた。パラパラ読むとメッチャ面白い。イタリア語の挨拶のciao(チャオ)という言葉は"奴隷"を意味する"schiavo(スキアーヴォ)"がヴェネツィア方言で"スチャーヴォ"と発音されてそれが"チャオ"となったもので元々は「私は貴方の僕(しもべ)です」という意味だったらしい。他にもイタリア語の"cachi(カキ)"は日本の"柿"のことだが語尾に"i"があると複数形なので1個の柿は"caco(カコ)と言う…とかオペラ『蝶々夫人』の衣裳は"chimono(キモノ)"だが複数は"chimoni(キモーニ)となるなど面白いコトがイロイロ書かれていて部屋の整理は進まず。トホホ。晩メシは野球3試合をBSで見ながら。そー言えば昨日のホークスの周東の満塁ランニング・ホーマーは見事でしたね。こーゆープレイが出るから野球は面白いのかな?
9月8日(火)つづき
ベッドから出て朝パンのあと少し仕事の整理。そのあと本願寺の雑誌『御堂さん』のZOOMインタヴューを受ける。テーマは『全力!ツッコミ2026 トランプはん ええかげんにしなはれ!!』との仮題でトランプ大統領に対する意見を言う特集。小生にはもちろんワールドカップなどでトランプがスポーツに容喙したことへの批判を求められる。喜んでトランプ批判と共に彼を全面的に受け入れたインファンティーノFIFA会長も非難。さらにトランプ一族が支持したエンハンスト・ゲームズ(ドーピングOKの大会)や米国建国250年祭でホワイトハウス前で行われた格闘技やインディカー・レースも非難。ついでに高市首相も批判。最後にトランプに何か言いたいことは?と訊かれたので「頭を叩いてアホ!と言うしかない」と答える。午後から仕事部屋の整理を続けようと思ったが深夜の長時間読書のせいで夜昼逆転。昼寝が長くなって作業は進まず。雨がまだ降らないのでヨメハンと散歩。名古屋はスゴイ大雨でテレビのニュースで見るといつもオペラ講座で行く栄の中心街もまるで大河。これも明らかに「トランプはん ええかげんにしなはれ」と言いたくなる結果ですよね。
9月8日(火)
柿原正郎『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』(ちくまプリマー新書)モーレツな勢いで読了。全200頁余のうち123頁まではeスポーツも既存のスポーツに引けを取らないくらいのスポーツとしての価値があると言いたいのですね。ハイハイ。著者が《伝統的なスポーツ中継との大きな違い》を指摘してもそんなに違わないですよと茶々を入れて読んでいた。がソレ以降にeスポーツ・ビジネスの《「観ること」がのまま売上につながる仕組み》の説明以降最後のeスポーツは《AIとともに生きる時代の道場になれる》という提言まで一気にeスポーツならではの展開に圧倒されてしまった。もちろん《eスポーツのチームプレイは(略)共感やリーダーシップを単なる知識としてではなく身体感覚のある経験として学ばせやすい》という指摘など「身体感覚!?」ホンマカイナと(eスポーツをやったことのない人間には)にわかに納得できない文章もいくつかあった(それに日本の野球文化に対する高評価には首を傾げた)とは言えプロ野球を反面教師としてJリーグというサッカー文化が築かれたあとの新しいスポーツ文化としてのeスポーツ文化には大いに注目しなければならないことを教えてもらった。なかでも最も驚いたのはeスポーツの有名な2つのリーグ戦でのスポーツベッティングの取扱高(2024年)が《107億ドルに達したこと。さらにeスポーツ全体の賭けの70%が無認可市場で行われている》と書かれていたこと。1.5兆円レベルの賭け金を動かしているとは…良し悪しはさて措きマイッタ。著者は「さいごに」と題した後書きで《ゲームやeスポーツが持つ可能性をもっと多くの人に知ってもらいたい》ので《ゲーム依存の問題などのネガティブな側面やリスクについてはほとんど扱いませんでした》と正直に書いている。スポーツの未来を考えるうえでの日本人の必読書として多くの人に勧めることにします。ニャン。
9月7日(月)
ベッドでの読書は柿原正郎『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』(ちくまプリマー新書)。『ちくま9月号』に《eスポーツは決して不健全な遊びではない》とあったのにちょっと違和感を憶えながら購入。本署の帯にも《eスポーツは遊びじゃない》とある。遊びじゃないなら労働か?遊びが悪いのか?とツッコミを入れたくなる。かつて虫明亜呂無氏は《職業野球はこの世の果ての遊びであった。球場には頽廃と淪落の風情がたちこめていた》と書いた。そしてこう続ける。《だから僕は職業野球にひかれた》。eスポーツを擁護推進したい人々はまだ虫明氏の文化理解の域には達していないようだ。ならば明治時代の東京師範学校蹴球部の学生たちのようにeスポーツも遊びなどではなく《軀を練ると同時に精神の修養を成し他日大いに活動する土台を作る》ために行っているのか?後発のスポーツであるeスポーツ関係者も富国強兵時代の明治時代のスポーツ愛好者たちと同じ言い訳を駆使しなければならないのかな?と少々可哀想に思える。まさか戦争に備えてeスポーツをするわけじゃないでしょうが…どんな言い訳を連ねなければならないのか読み進めてみます。ベッドから出て朝パンのあと土曜日深夜にNHK-BSで放送のあったウィーン・フィルのシェーンブルン宮殿での野外コンサートの録画を見出すと止まらなくなって1時間強ほど見てしまう。ロレンツォ・ビオンティの指揮は少々堅かったけどバリトンのブリン・ターフェルの歌唱はファルスタッフやミュージカルからワーグナーまで達者で楽しかったですね。昼間はイロイロ資料調べのあと晩メシ時にはNHK-BS録画のつづきベルリン・フィルのヴァルト・ビューネ野外コンサートを見ながら。イタリア特集でカウフマンの『道化師』や『カタリ・カタリ』などなども見事でしたけどペトレンコの指揮は絶品でしたね。『ローマの松』も凄い迫力。ウィーン・フィルもベルリン・フィルも世界的に超一流のオケが大衆文化のローカル・イベントをきっちりこなしてるのは素晴らしいですね。その点N響は…?
9月6日(日)
サッカー・ジャーナリストの大住良之さんの紹介で送られていた一冊。村社淳・著『フェアプレーの鏡』(知活社)をベッドで読む。面白いので200頁を一気に読了。現代の様々なスポーツ・シーンを次々と抜き出して"フェアプレー"という切り口で描かれている。どれがフェアプレーでどれがフェアプレーでないのかキチンと判定できないところがメッチャ面白い。国によってはフェアプレーの基準も違う。《イタリアでは結果が求められイングランドでは努力が求められる》というジャンルカ・ヴィアリ(イタリアでサッカー選手として活躍しイングランドで選手・監督として名を馳せたイタリア人)の言葉も面白いし著者の書く《フェアプレーの"コツ"=気取って勝て!》という指摘もナカナカ鋭い。著者はフジテレビで『プロ野球ニュース』の記者や『すぽると!』の編集長としてとして活躍した人物。この本は大学の授業で「スポーツとは何か?」を考えるときのテキストに使いたいですね。その前に著者に"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"に出演をお願いしようかな?ニャン。今日もまた終日部屋の片づけ。嗚呼。夜の長時間読書で昼寝が長くなって夜昼逆転のようになってしまった。秋雨前線と颱風で涼しいのはイイけど夜昼逆転は後期高齢者目前の老体にはチョット辛いですね。何日も徹夜で原稿書いてた若いときとは違いますからね。晩メシのあと何日か前にNHK-BSの放送を録画した『黒い絨毯』を見る。都会生活ができない野生児丸出しの男(チャールトン・ヘストン)が南米のジャングルで現地人を使って農園を開発。花嫁を募集してやって来た美女(エリノア・パーカー)の都会的センスが受け入れられず三行半を突き付けたところで殺人蟻の集団が"黒い絨毯"となって男の創りあげた農園や豪邸を潰そうと迫る。その殺人蟻集団と闘う男をアメリカへ帰れなくなった妻が精神的に助ける物語。原題は「The Naked Jungle(裸の密林=本当の自然)」。野生児と言っても人間(アメリカ人)は結局自然と闘って征服するほかないわけか…と思いながら見ると単なるハリウッド危機映画(disaster movie)もけっこう面白く見ることができました。
9月5日(土)
高橋龍太郎『現代美術コレクター』(講談社現代新書)読了。コレクターとしてはロサンゼルスで3万円程度の現代美術と国内のカメラマンの万円程度の作品しか買ったことがない小生にも(好きで買ったのだから今も喜んでますけど)本書は現代アートの価値が再発見できて非常に興味深く読めた一冊でした。日本の文化予算は年間1千億円程度。フランスの4600億円韓国の2700億円と較べれば人口比と重ね合わせて日本が悲しいほど非文化国家だとわかりますね。スポーツ庁の年間予算が400億円弱。totoの分配金を加えても600億円弱だと知ると我が国は文化国家でもなければスポーツ国家でもないことがわかりますね。だったら「何国家?」兵器蒐集国家かな?ニャン。今日もまた仕事部屋の後片付け。トホホ。晩メシは虎vs港星。今にもすぐに逆転できると思って見ていたら虎が負けてしまったですね。まさか虎の選手までそう思ってプレイしていたわけじゃないでしょうけど…そうかな?何はともあれ石井大智投手の復活は嬉しいですね。
9月4日(金)つづき
『現代美術コレクター』は小生の専門(スポーツや音楽)とは無縁だから気楽に…と思って読み出したが「ネオテニー」の他にも注目すべき言葉が次々と現れた。《マインドフルネス=気付き・本質に気付くこと》《一即多・多即一》《アートとは作品そのものにあるのではなくてそれを感じ取る人の心のうちにあるのだ》《人間がものをつくり生きていくことは自然に背く行為であり根源的な暴力です》《死んでゆく絵画は死ぬしかない。しかし本当の絵画はどんな歴史があろうとも蘇り生き続けるだろう》《センチメンタルで透明な哀しみに溢れた自身の肖像くらい女性を満足させるものはなかろう(荒木経惟氏の女性写真に対する著者評・合田佐和子氏が描いた浅川マキさんの肖像は真逆だったようですね)》《人は集団になればなるほど子供っぽくなるのはどの集団でも自明だ》《集団化とは退行化との誤解も招くが正確に言えば子供化の最良の手段とも思える》精神医である著者の言葉は小生の専門分野にも転用が可能なものも多くありそうですね。ニャン。相変わらず今日も部屋の片付け。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ…ですね。晩飯食べながらTVのチェンネルを回していたらBSテレ東で『徳光和夫の名曲ニッポン・熱演熱唱ドラマチック2時間歌謡SP』という番組で三波春夫先生の長編歌謡浪曲を次々といろんな歌手が歌う番組をやっていたので見てしまう。女性歌手による『俵星玄蕃』も『高田馬場』もよかったですね。滅多に聴けない『赤垣源蔵』や『上杉綱憲(千坂兵部)』や『平清盛』や『壺坂霊験記』もよかったし三山ひろしの落語歌謡『厠火事』も面白かったですね。三波春夫さんの「日本のオペラをっやりたい」との精神は若い人に引き継がれてますね。ブラーヴォ!
9月4日(金)
読む本がなくなったので昨夜本棚のアートコーナーから高橋龍太郎『現代美術コレクター』(講談社現代新書2016年刊)を手にベッドへ入る。さほど好きでもない"現代アート"だったので資料としていわゆる"積ん読"にしておいたのだがページをめくるとメッチャ面白い。1990年代からの日本アートを"ネオテニー(幼体成熟)"と名付け《現在のヒト(人類)は性的に成熟したサルの胎児である》と説明された瞬間ガーン!と現代アートの面白さが全てわかった(と確信した)。明治以来の西洋近代絵画の模倣の短い歴史の末に"幼体成熟"した"ニッポン・アート"は千年以上の長い歴史がある"日本絵画彫刻等"の伝統を内部に保持しながら西洋アートとしては"ネオテニー"として《世界の頂点》に立ったわけですね。いやはや草間彌生を初めとする日本の現代アートを理解するのにこれほどわかりやすい説明はない。本書を一気に半分以上読んだがワケのわからなかった現代日本アートが一気に身近に感じられるようになった。山口晃というアーティストの名前も出てきて彼は東京2020パラリンピックの素晴らしいポスターやNHKの大河ドラマ『いだてん』のタイトルバックを描いた作家だとわかったが彼には『八相図』なんて凄い作品もあるのですね。そう言えば小生にも現代アートと接点のあったことを思いだした。昔浅川マキさんの事務所で手伝いをしていたときに新宿文化アートシアターでの大晦日コンサートのポスターを合田佐和子さんに頼んだことがあった。が彼女が描いた浅川マキさんの顔の絵をマキさんが気に入らなかったらしく「これ…どう思う?」と訊かれた。常に自分の顔を隠すようにして歌っていたマキさんの顔がバーンと正面を向いてるだけでも作品としては迫力があったが…ナンダカ迫力がありすぎて…小生も答えに窮したのを憶えている。その後ポスターはどうなったのか…は忘れた。がその年の大晦日コンサートも素晴らしかったのは憶えてる。
9月3日(木)
難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)モーレツな速さで読了。メッチャ面白く勉強になりました。ただしアカデミズムの本ですねぇ。ジャーナリズムだったら結論(いちばん面白い過激なところ)を最初に持ってくるのにアカデミズムはわかりきった事柄も一つ一つ潰してから最後に結論が来るから少々カッタルイ。スポーツは《すごいやつを決めることを目的とする活動》ということで話が進むなかでシュワルツェネッガーの『プレデター』のことかいな?などと茶々を入れながら読むうちに最後についに今のスポーツの示す《すごさ》の誤り(男性健常者中心の差別意識によって示された凄さ)が指摘され《世界にはもっと無数の凄さがある》という言葉に辿り着く。ブラーヴォ!それが現在(ポスト・モダン)のスポーツ・ジャ-ナリズムのテーマなんですよね。本書はホイジンガもカイヨワもエリアスもガットマンもメイラーも虫明亜呂無も出てこずに小生の知らない(新しい)スポーツ哲学者や研究者がワンサカ出てきてオリンピックやパラ・スポーツに対する考え方で教わることの少なくない好著でした。仲間のスポーツライターにも読むことを薦めましょう!《新しいすごさを探索し続けること。男性中心主義でもなく健常者中心主義でもない多元的なすごさを祝福すること。(略)真のスポーツ精神に基づくならば私たちは女性がものすごく有利になる競技を発見しなければならないし障害を持つ人がものすごくすごいことをする競技をさらに発見しなければならない》TAMAKIのスポーツ・ジャーナリズムとして既にガンバってまっせー。ニャン。仕事部屋の整理整頓がまだ終わらずナカナカ掃除まで手が回らない。別に焦ることはないとは言えナンダカ腹が立つ。本棚の本をあっちへやったりこっちへやったりするだけで一日が潰れると少々フラストレーションが溜まりますね。あっと言う間に夕方の散歩と晩メシの時間。虎vs港星を見ながら。サトテル2ホーマー。しかし…メジャーで通用するかどうかは少々心配ですね。どうも打撃フォームがメジャー向きではない気がして。もっとアップライトに構えないと…なんてド素人が勝手に心配しています。
9月2日(水)つづき
ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはプロ野球が来年からピッチコム(バッテリーや野手との間のサイン伝達電子装置)の使用を許可するというもの。この装置は日本のスポーツ・メーカーが先陣を切って開発していたのに「ジャミング(妨害電波)で使い物にならん」とスパイ野球華やかなりし時代に拒否されたのですね。まぁピッチコム採用は当然としてもそれが試合時間の短縮が目的ならベンチからのこのことマウンドに歩き寄って会議を開くこととかバッターが打席に立つときの応援歌の前奏の長さなどの短縮(あるいは廃止?)も考えるべきですね…という話。ラジオのあとは部屋の片付けやメールの処理。それだけでけっこう時間がかかるもんですなあ。仕事してる(原稿書いてる)ほうが楽ですね。ニャン。
9月2日(水)
『アンチ・スポーツの哲学』読み進める。オモシロイ点も多々あるが疑問点も少なくない。《スポーツは本来的に道徳とは関係がない》と書かれていて本書のコンテキストからメディアや体育教育が強調するナンセンスな「スポーツ=道徳論」を否定したい気持ちはよくわかる。が非暴力化の文明から生まれたスポーツが生得的に「殺すな!」「傷つけるな!」というメッセージとルールを有していることは「道徳とは関係ない」とは言えないのではないかな?そこからスポーツには体育・知育・徳育の全てが備わった文化と言えるわけでは?また1984年のロス五輪の柔道決勝で右足を骨折していた山下泰裕の右足を攻めなかったラシュワンを讃えるメディアを批判して「勝つためにはケガしたところを狙うのは立派な戦略」と山下も言っていると発言した吉田沙保里選手の言葉を《スポーツするとは本当はこういうこと》と評価している。がラシュワンが山下の右足を攻めなかったと「美談」に仕上げたのは日本のメディアで本当はラシュワンは山下の右足を攻めてもいたし山下氏自身から「攻められた」とも聞いた。ラシュワンは山下の右足を攻めても山下が倒れないから一本足で立っているその左足に攻撃を変えたのだ。一本足で立ってる左足を払えば絶対に山下は倒れますからね。つまり著者が批判しているのはスポーツに対する(日本人の?)一般論ではなくメディアの誤った世論形成と思える部分も少なくないようなのだ。しかし勉強になる点も多いので読み進めよう。ニャン、
9月1日(火)
ベッドでの読書は難波優輝・著『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)読み始める。帯に《競争・成長・感動・ナショナリズムを疑う/美談によって覆い隠されていたスポーツ観を問い直す》とありコレは読まないといけないと買った一冊。第1章でキチンと《スポーツの起源と定義》から始まっている。小生の知らなかった《ヘザー・リードというスポーツ哲学者のリーダー》が《古代ギリシアが民主主義と哲学とオリンピックを生んだことは偶然ではないという。《古代ギリシア人たちは公平な手続きによって最も優れた者を選び取ることに価値を見出していたから投票による民主主義・議論による哲学・競争によるオリンピックという誰もが「勝ち負け」を明確に見て取れることに夢中になったのだ》なるほど。オモシロイですね。ノルベルト・エリアスの「文明化の過程での非暴力化の社会から生まれた民主主義とスポーツ」という考え方とは少々異なるうえに「議論による哲学」が「勝ち負け」を明確にするかどうかは疑問があるとは言え「公平な手続きから最も優れた者」を選ぶのがスポーツという考え方(定義)はオモシロイ。そこで選ばれたアスリートが「最も優れたっもの」か否かという疑問こそポストモダンのスポーツに対する考え方と言えそうですね。ニャン。ベッドから出て朝パンのあとメールの処理などを済ませて大船駅へ。品川経由新幹線で名古屋へ。中日文化センターでの久し振りの「オペラ講座」は「『カルメン』に続く"オペラ殺人事件"特集」としてイタリア・ヴェリズモ(リアリズム)オペラの『道化師』『カヴァレリア・ルスティカーナ』『アンドレア・シェニエ』『アドリアーナ・ルクヴルール』を紹介。かつての神々や王様の争いではなく普通の人々の不倫や純愛や嫉妬から出た殺人事件を究極の美しいメロディで描いたイタリア人の感覚(歌舞伎の心中事件の感性にチョイと似てますね)をイロイロ話して新幹線でビールを飲みながら帰宅。遅い晩メシ食べながらテレビをつけるとネパールの大洪水のニュース。隣家のネパール人家族に影響がなかったのは何よりでしたが日本の大雨の連続の一方でのダムの枯渇など地球温暖化はとうとう大問題の域に達したようですね。
8月31日(月)
今日は"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTubeの収録の収録日。ゲストはジャーナリストの木村元彦さんなので昨晩はベッドに彼の著作『争うは本意ならねど』『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』『オシムの言葉』『終わらぬ民族浄化セルビア・モンテネグロ』などをベッドに持ち込んで以前赤線を引いた部分にザァーッと目を通しておく。夜の気温が下がって本も読みやすくなった。ニャン。ベッドを出てデスクワークを始めると木村さんからメール。集英社のウェブサイトでロヒンギャに関する本を書いた今泉千尋さんの『0825に私たちは殺され続ける』(集英社文庫)や集英社新書の『証言・北朝鮮帰国者・祖国に渡った「在日」はどう生きたか』の詳しい紹介をされている。今日のテーマは「日本に(スポーツ)ジャーナリズムは存在しているのか?!」なのでコレらの本も紹介しよう…と思って本番を迎えたら木村さんの解説でロヒンギャや北朝鮮の問題もスポーツと繋がっていることがわかる。そうですよね。スポーツは常に政治とも経済とも社会問題ともつながっていてスポーツだけ別姓界に存在しているのではないのですからね…というわけでYouTubeの収録は�@FIFAとW杯へのトランプの容喙にジャーナリズムはどう対処すべきか?�AIOCの選手への"1万ドル支給"をILOとジャーナリズムはどう考えるのか?�B日本にスポーツ・ジャーナリズムを確立するには何が必要か?の3点をテーマに話し合う。結局はスポーツだけの問題ではなくたとえば首相の記者会見が今もコロナ時のやり方を踏襲して一社一問一答で討論なく進められているような日本の"ジャーナリスト"たちの"弱腰"が問題ですね。それに木村さんが言ってたけど会社から給料もらって生活の安定している記者たちが時間をかけた調査報道をやらなくなったのも問題ですね。近々アップされますから乞御期待。晩メシはバスケの日本vsカタール戦を見ながら。八村いきなり3ポイントをガンガン決める!スゴイですね。
8月30日(日)
山口誠『観光を忘れた日本』(講談社現代新書)読了。オモシロカッタし勉強になりました。《再創造(レクリエーション)する観光の循環には(略)右肩上がりの成長とは異なる「成熟」に近い考え方を見て取ることができる》ナルホド。大切なのは「成長」よりも「成熟」ですね。スポーツの世界でも2度目の五輪のときはそんな考えも少しはあったはずなんですが…いつの間にかメダル数を喜ぶ社会に戻りましたね。《過去の否定と更地化から始まる「新」の思考では前の世代や過去の問題と向き合うことなくそれ故に脱することもできずむしろ意図せず繰り返したりより悪化させたりするリスクを抱える--これはフランスの思想家J・F・リオタールの論》らしいが戦後に国民観光から全国土の2割のリゾート化に進んだ日本の観光事業の歩みそのものですね。いや観光だけでなく日本(自民党)そのものの歩みとも言えますね。「観光とは何か」を考えず観光行政を突き進んだツケが今の「観光を忘れた日本」を生んだのでしょうね。「スポーツとは何か」を考えずにスポーツ政策を突き進めてきたスポーツ界と同じですね。「スポーツとは何か」を考えればジャーナリズムを担うべきメディアがスポーツを所有したり主催していてはダメだということくらいすぐにわかるはずですからね。あ。日本のメディアは旅行会社やレクリエーション施設にも手を出してますね。嗚呼。ジャーナリズムはどこに消えたのかな?ニャン。とうとう我が愛しのガラケーがぶっ壊れてしまったのでドコモ・ショップへ行く。スマホに買い換えることも考えたが外出先でまでコンピュータをいじり回したくなかったのでガラケーの機種変更で十分と判断。同じようなものばかりを推奨して新しい世界を切り拓いてくれないAIの「フィルター・バブル」なんぞ糞食らえですからね。たっぷり昼寝をしたあと甲子園の虎vs巨人を見ながら晩メシ。虎は巨人に7連勝か…マァいいんじゃないですか。虎は成長期を過ぎて成熟期に入ったようですから。タカイチシュショーという人物は成熟しないようですね。セイチョーにも憧れてるだけで成長しないようですが…。
8月29日(土)つづき
デスクワークは今日も仕事部屋の整理。机の上の整理だけでもナカナカ進まず。本棚の整理や床の掃除まではナカナカ手が回らない。まぁボチボチやりまひょ。今日の東京新聞特報部にサッカー元日本代表45歳の我那覇和樹選手がJFLの沖縄SVでプレイし続けていることが記事になってた。見出しに《ドーピング冤罪乗り越え今も現役/フェアプレイ-の精神体現》とある。フロンターレ時代に風による脱水症状から受けた点滴治療がドーピングと誤認されて6試合の出場停止。その処分に対してCAS(スポーツ仲裁裁判所)に訴えて闘った我那覇選手は冤罪を晴らしたがその間たいへんな苦労を強いられた。その間の事情を『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル)にまとめたジャーナリスト木村元彦さんのコメントも出ていた。明後日の"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"ではこの話も取り上げねば。何しろこの冤罪事件のために日本代表としての活躍も欧州チームへの移籍の夢も断たれたにもかかわらず「恨み言を言わずに現役にこだわってきた」我那覇選手に対してJリーグはキチンとして謝罪をまだしていないのですからね。嗚呼。晩メシはどこのテレビのチャンネルも野球中継がなかったので球歌舞伎座さよなら公演のなかから『助六由縁江戸桜』。先代團十郎の助六と玉三郎の揚巻。しかし今は亡き勘三郎の通人が実に見事ですね。虎は巨人にまた勝利。勝ったぁ勝ったぁマァた勝ったぁ。よーわい巨人にまた勝ったぁ…とい掛け声は41年前の虎キチのシュプレヒコールでしたね。懐かしい。
8月29日(土)
ベッドでの読書『観光を忘れた日本人』寝るのも忘れて一気に読了寸前まで読み続ける。それくらい勉強になります。イギリスにツーリズムという言葉は現れてトーマス・クックが団体観光旅行を始めたときは日本で十返舎一九が『東海道中膝栗毛』八隅蘆庵が『旅行用心集』を著したときとほぼ同じ19世紀なんですね。洋の東西での同時発生はオペラと歌舞伎の17世紀の関係も同じですね。日本語の「旅」と「旅行」と「観光」の意味の微妙な違いはオモシロイですね。「一人旅」「家族旅行」とは言っても「一人旅行」「家族旅」とは言いませんからね。そこへ「個人旅行」「観光旅行」が割り込んでくるのですね。しかし日本のソーシャル・ツーリズ宇(国民旅行)が《土建政治の一手に化けてしまい》日本の国土面積の約2割を《リゾート構想の対象地に入れた》1980年に始まったリゾート開発もあっと言う間にバブル崩壊。《後に残ったのは維持するのさえ困難なほどの巨大な建造物と更地のされて荒廃した国土と返済不能な債務を抱えた人々だった》というのはあまりに淋しくナサケナイですね。そこからわれわれ日本人は《観光を忘れて》《観光する》から《観光される》国民へと変貌したのですね。嗚呼。
8月28日(金)
『観光を忘れた日本人』読み続ける。メッチャ勉強になる素晴らしい一冊です。「観光」の「観」という漢字には「みる」と同時に「しめす」「みせる」という意味もあるのですね。「近代的な団体旅行の始祖」と言われるトーマス・クックが「禁酒運動」から団体旅行を始めた理由も初めて知りました。マルクス・エンゲルスの「党=party」も団体旅行の「御一行様=party」もルーツは同じなんですね。インバウンドの増加を目指してカジノを…なんてのは大馬鹿者の考えることですね。ニャン。久し振りに仕事部屋の片づけ。引っ張り出した本や資料を片づけるだけで2〜3日かかるかな。部屋の片付けの一方で"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"の準備も。来週のゲストにジャーナリストの木村元彦さんが決定。その2週後にジャーナリストの高野孟さんの初登場も決定!これから1か月は「日本に(スポーツ)ジャーナリズムは存在するのか?」をテーマに「ジャーナリズム再考月間」とします。乞御期待!プロ野球チームを所有したり高校野球や箱根駅伝を主催しているメディアにはスポーツ・ジャーナリズム(批判精神)は期待できませんからね。晩メシは虎vs巨人を見ながら。虎の打線は頼り甲斐がありますね。甲子園球場は見事に迫力がありますね。以前甲子園の銀傘から湧き出る歓声はバイロイト祝祭劇場のオーケストラ・ピットから響く音と同じ効果が…なんて原稿を書いたこともあったけど今はそんな原稿誰も読んでくれないでしょうね。でもマァ甲子園がドームにならなかっただけでも喜ぶべきでソレには小生もチョット貢献してるんですよ。
8月27日(木)
ベッドでの読書は先月講談社から送られてきた現代新書『観光を忘れた日本』(山口誠・著)。以前から読もうと思ってベッドの横に置きっぱなしになっていたもの。帯に《「する」から「される」へ なぜ日本人は変わったのか?観光の歴史をひもとくとインバウンドの裏側で静かに広がるこの国の深刻な社会問題が見えてくる!》とある。そこで読み出したら《観光の定義》から始まった。《人が⑴日常生活圏を離れ⑵再び戻る予定で⑶レクリエーションを求めて移動すること》だという。オモシロイ!戦時中の194オ年に『観光読本』という一冊をものにした某官僚は「知るは愛するの始まり」というゲーテの言葉を引用してこう書いたという。《イギリスをよく知り尽くしている人はたいていイギリス贔屓でありアメリカ好きの人は概ねアメリカ通であり支那ぎらいの人は支那を知らぬ人が普通である》これはスゴイ文章ですね。観光にも戦争にもつながりますね。観光とは《旅や旅行とは別のものとして近代社会に誕生した》ものなんですね。読まねば!ニャン。さぁデスクワーク。チョイと長い原稿に手を付けよう…と思って改めて原稿を依頼されたメールを開いてみると…何と!締め切りを1か月も間違えていたことを発見!締め切りはまだ1か月近く先だったのだ。こんなことは長い執筆生活のなかでも初めてだなぁ…と思いながら何やら全身から少々力が抜けて…とりあえず昼寝。目覚めてから気分が明るくなった自分を発見して(笑)イロイロ雑務をこなす。仕事はゆっくりやりまひょという気分になって晩メシは久し振りに高麗屋三代白鸚・幸四郎・染五�カの襲名披露時の『口上』と『勧進帳』を見ながら。久し振りに見た歌舞伎もいいですね。吉右衛門の富樫は最高ですね。
8月26日(水)
ベッドには原稿を書くうえでちょっとチェックする必要があったので新渡戸稲造・著/矢内原忠雄・訳『武士道』を持ち込む。第4章「勇・敢為堅忍の精神」に探していた一文を発見。《勇気にはスポーツ的の要素さえある》とあった。原文は《There is even a sportive element in a courageous nature》。それを《勇気には明るく陽気な要素もある》と訳した本もある(須知徳平・訳『武士道 BUSHIDO』講談社バイリンガル・ブックス)。ふ〜ん。いろいろ考えても今取り組んでる原稿の参考にはならないと判断。でも大指揮者ディミトリ・ミトロプーロスの言葉"Every music has a sportive element"と同様に"Sport(s)"の使い方についてはオモシロイですね。ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは日本サッカー協会(JFA)がアジアサッカー連盟(AFC)を離れて欧州サッカー連盟(EURO)に加わるかも!?エエーッ!!という話。日本のU-17代表チームは今年のEUROのU-17大会グループリーグに親善試合として参加するのですよね。オーストラリアがAFCに入ってるのだから日本がEUROに入ってもおかしくないですよね…という話。スタジオの田畑さんも「イングランドやフランスと試合できると面白いですねえ」。FIFAが頼りにならないから「脱亜入欧」?!ニャン。ラジオのあと長い原稿に挑戦!の予定だったけど書き貯めた原稿の入稿とか校正とか請求書書きやらナンヤラカンヤラでナカナカ集中できない。トホホ。で晩メシは天皇杯マリノスvs福島を見ながら。残念ながらカズは出ませんでしたね。テレ朝『報道ステーション』でICC赤根智子所長へのインタヴューを見る。腹の据わった人物の言葉に感銘。トランプに負けるな!トランプに擦り寄るキャバレー外交女にも負けるな!
8月25日(火)
ベッドでの読書は昨日筑摩書房から届いた『ちくま9月号』を持ち込む。いつものように斎藤美奈子『世の中ラボ196/戦後世代が語る「高齢者道」の極意とは』から読み始め(高齢者の話題はあまり面白くない)町田康『山頭火10』蓮實重彦『些事にこだわり33/三人の理工系研究者への恩義と現代日本の高等教育に対する漠たる不安について』と読み進む。が碧海寿広氏のちくま新書クリントン・ゴダール著『石原莞爾−信仰に導かれた戦略家』に対する書評『世界統一を信じた軍人の「SF的想像力」』が面白かった。また森口佑介氏の書評『eスポーツはスポーツか?』(柿原正郎・著/ちくまプリマ−新書)を読むと蓬生の職業柄必読書で買わねば!とすぐに思った。が最近我が家の近くからは新書や文庫の新刊が並ぶ書店が消えてしまったんですよね。次に都心へ出るときにでも買うかamazonで買うか…つまらない社会になりましたね。ニャン。デスクワークはフォーラムエイトの機関誌連載『スポーツは教えてくれる36』と連合通信の連載『スポーツ博物館』をチェックし直してメール送稿したあと来週の名古屋でのオペラ講座『オペラ殺人事件(笑)』のレジュメを完成。さぁイヨイヨ朝から『現代スポーツ評論』の原稿に取りかかるぞ!と意気込んでとりあえず晩メシ。NHK-BSで『新日本風土記』を見ていたら京都冥界巡りとかで六道珍皇寺の和尚っさんが出ていた。最近京都に帰れずスイマセン。今年のお盆も御供を送っただけで丁寧な礼状を賜り恐縮です。久し振りに尊顔を拝見したうえ続く祇園祭のドキュメンタリーも楽しんでTVの価値を再認識しました。
8月24日(月)つづき
夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTubeの収録。ゲストにスポーツライターの小林信也さんを迎えて「爛熟のスポーツ界に2人のスポーツライターがラジカル(根源的で過激な)異論を提言」をテーマに「カネまみれの世界のスポーツ」と「ジャーナリズム(批判精神)を忘れたメディアの支配する日本のスポーツ」をぶった斬る。気心の知れた小林さんと1時間半をノンストップで対談集録。批判精神の消えたところに進歩はないですからね。小林さんの言った言葉「最近は議論する楽しさがない」は見事。対立する意見・相違する意見は排除するのじゃなく楽しく議論せねば!!何故か最近アンテナの調子が悪くてTVKが映らなくなった。だから「吉本新喜劇」を見ることができない。嗚呼。昼間NHK-BSでスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』をやってたけど小生は同じ戦争映画なら『プライベート・ベンジャミン』のほうが好きですね。
8月24日(月)
昨日ベッドに入る前にBS-ASAHIでやっていた宮川泰&いずみたく&小林亜星&山本直純の「作曲家偉人伝」はけっこう面白かった。みんな昭和一桁生まれなんですね。宮川泰さんとは20年以上前にNHKの音楽番組で御一緒させていただいたとき(黒柳徹子さんの司会で玉置宏さんも出演された)楽屋でイロイロ音楽の話を聞いたときザ・ピーナッツの『恋のバカンス』の作曲裏話を聞かせていただいた。♪溜息の出るよ〜な…のあとに♪チャラっララと流れる伴奏のメロディを「わかるでしょ?このメロディ…」と言われて「いやぁ…わかりません」と答えるとその先のメロディを楽屋のあった小さな電気ピアノで弾いて下さった。それは何とヨハン・シュトラウスの『こうもり』のワルツだったのだ。見事にその一部を盗んでおられたのですね。まさに「天才は盗む」(by ピカソ)だと思って思わず拍手したのを憶えてます。ニャン。デスクワークは来週の名古屋でのオペラ講座のレジュメ作り。テーマが「カルメンに続く殺人オペラ」でイタリアのヴェリズモ(リアリズム)オペラの殺人事件ばかりを取り上げるので楽しいですね(笑)。
8月23日(日)
森島豊『天皇と人権 戦前戦後を貫く「日本的歪み」の正体』(講談社現代新書)一気に読了。新書の後半半分ほどを一気にベッドで読み切ってしまったのはモチロン内容がメッチャ面白く勉強になったから。日本人の人権意識が明治の四民平等以来天皇から与えられた権利だった…とか一君万民の平等思想が自由民権運動から二・二六事件までつながってるとか…それが戦後の一億総中流社会までつながる…とか。こんな荒っぽい紹介はダメですね。皆さん!!このキリスト教牧師の神学者が書いた日本近代史を是非読んで下さい。目から鱗がバリバリ落ちますかから。本の内容とは無関係ですが五・一五事件で世論的に叛乱兵士への同情が集まったとき昭和天皇は「情に泥(なず)んで法を紊乱(みだ)る」のはよくないと言ったそうですがこの「泥む」という言葉は最近の若者言葉の「沼らせる」と似てますね。「沼らせる」という言葉を小生は大学生のレポートで発見してオモシロイ言葉だと思いましたが古くは「泥ませる」もあったのですね。70過ぎて初めて知ることも少なくないですなぁ。ニャン。終日デスクワークは本HPの更新原稿作り。けっこう時間がかかって晩メシは港星vs虎の試合を見ながら。虎の森下は頼りになる打者ですね。それにしてもICC(国際刑事裁判所)の赤根智子所長に対するトランプ大統領の制裁に対して対米キャバレー外交の高市首相は「残念」としか言わない(言えない)のは最低ですね。あ。日本サッカーのU-17はUEFAの欧州リーグに親善試合として参加を許されたそうですね。将来的には後藤健生さんが言ってたようにJFAもをAFC抜けてUEFAに入ろうとするのかな?まさかあ!でもスゴイ!
8月22日(土)
『天皇と人権』読み進む。スゴイ!明治政府は確かに《神社から仏教的要素を排除する政策を進め》たが《寺院・仏像・仏具などを破戒する廃仏毀釈》までは指示してなかったのですね。それがあっと言う間に国民的運動となり初代文部大臣森有礼に対する誤解と新聞報道の誤報(誇張報道による伊勢神宮不敬事件)から暗殺事件へとつながりその《負の側面は大日本帝国憲法と教育勅語によってさらに強化されやがて歯止めの利かない挙国一致運動へと展開してい》ったのですね。ナルホド。高市政権の阿呆な先行きを考えると本書を速く読み進めて理論武装をしなければ。ニャン。デスクワークは来月初頭の名古屋でのオペラ講座の準備。いろいろ〆切を先倒しして処理しているのは『現代スポーツ評論』の編集長の坂上康博一橋大名誉教授からチョイと長い原稿の執筆依頼を受けたから。来週は全てその執筆に当てるため他の仕事は処理しておきましょう…と思いながら今日は地元町内の夏祭り。子供神輿や地元高校のパフォーマンスもあったらしくヨメサンは手伝いに行ったらしいが小生は晩メシ時に隣家のフランス人夫妻と公園へ。盆踊りなどで盛りあがっていたが我らはひたすら飲食酒。そのうちぽつりぽつりと雨が降ってきたので夏祭りは籤引き大会を早めて幕引き。雨脚が早くなってきたので我らはテントの下に場所を移して雨ニモマケズ風ニモマケズ飲み続ける。黒澤明の映画に出てくるような見事な雨のなかテントの下に集まった呑み助は飲み続けて来年冬のジビエ調理と飲み会のスケジュールまで話し合ってあっと言う間にゲリラ豪雨も止んで楽しい夏祭りでした。
8月21日(金)
森島豊『天皇と人権 戦前戦後を貫く「日本的歪み」の正体』(講談社現代新書)読み始める。これはスゴイ!ちょっと興奮。日本近代史の新たな姿。《今日の日本国憲法は鈴木安蔵が起草した憲法研究会の憲法草案を重要な参考としてGHQ案が作成されそれを基礎として制定されました。(略)もしこの草案がなければ当時の日本社会における民主主義的な要求や市民の声が憲法の内容に反映されることは困難であったと考えられます。従って日本国憲法は外部から押し付けられたものとして理解されがちですがその内容を形作る重要な骨格の一部は日本人自身が民間の立場から構想した憲法案に由来していると言えるでしょう。言い換えれば日本国憲法には日本人自身の主体的な思想も確かに反映されているのです》高市首相にも読んでほしいですね。本書は欧米の人権思想のあり方とそれが日本に与えた影響を説明したあと天皇という特殊な存在をその名称の由来や歴史と複雑なカタチを説き明かす。《政治的上層階級と庶民の両方が天皇の存在を重んじていました。特権階級は政治的理由から天皇を重んじており一方庶民は(明治天皇による)身分制度の廃止により自由と解放の救世主として天皇に感謝の意を抱いていました。両者とも天皇を尊重していましたが重んじる理由は異なっていました》ナルホド。《人々はしばしば天皇の名を掲げて政治的不満や理想国家の構想を表現してきたのです》五・一五も二・二六も白井聡氏の『永続敗戦論』も同じ地平に立ってるわけですね。今は女性天皇賛成の庶民(世論)と男系に固執する政治的上層特権階級の闘いというわけか…ニャン。デスクワークは本HPの更新原稿作りや来週月曜のTAMAKIのスポーツジャーナリズムの準備。ゲストに小林信也さんを招いて"限界まで爛熟した現代スポーツ"について語り合いたいですね。晩メシは港星vs虎や巨人vs鯉を見ながら。森下&佐藤アベック30号も凄いけどホントにスゴイのはどこの球場も満員だということですね。なのにNPBは何故球団数を増やそうしないのかな?
8月20日(木)
重永瞬『新しい日本地理 地図・統計・移動から読み解く』(講談社現代新書)読了。非常に面白く楽しく勉強できたオールカラーの288頁でした。最後に紹介してあった関連本10冊も興味深いモノばかり。網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社)。武家政権が統治していた「東」は家父長制的主従関係のイエ的社会の馬文化。在家領主が散在する「西」は母系的年齢階梯的ムラ社会の船文化か。上杉和央『地図から読む江戸時代』(筑摩書房)。江戸時代の日本は「くに」の集合体だったのですね。平岡昭利『アホウドリを追った日本人-一攫千金の夢と南洋進出』(岩波書店)八丈島の大工が欧州で高値取引された阿呆鳥の羽毛の捕獲から広がる話らしい。世の中に面白そうな本は山とありますね。ニャン。デスクワークはフォーラムエイト「Up and Coming」の連載「スポーツは教えてくれる㊱」を完成。爛熟肥大化した現代スポーツが袋小路の奧でガマガエルのようにお腹を膨らませて破裂寸前という話を書く。ナンノコッチャ。だけど結構巧く書けたと自己満。読む本が一区切りしたらタイミング良く講談社から現代新書の新刊が届く。森島豊『天皇と人権 戦前戦後を貫く「日本的歪み」の正体』。さっそく「はじめに」を読む。《通常人権は国家権力を制限する思想として理解されます。しかし日本では(略)国家と国民を一つに結びつける思想として受け入れられた》ナルホド。《欧米では聖書の神が君主を相対化しましたが日本では神聖な存在そのものが天皇を結びついて理解されたため君主より上位にある存在を見出すことができず思想的に抵抗権を正当化することが困難であると考えられました》ナットク。全編を読まねば。晩メシ前にクリント・イーストウッド監督・主演の『アウトロー』を見る。毎日晩メシ前に少しずつ見て4日かけてよーやく完観。映画をこんな見方してはいけませんね。しかし南北戦争という政治からドロップアウトしたガンマンの生きざまが面白かった。晩メシはプロ野球を見ながら。あ。最近は戦争の武器を扱う「死の商人」が堂々とTVで解説する時代になったようですが楽天イーグルスの親会社はドイツの軍事攻撃型ドローンを輸入するらしいですね。戦争と平和の境目がわからなくなってきた時代に戦争も商売にする輩が闊歩するのは危険ですね。
8月19日(水)
『新しい日本地理』もうすぐ読了。知らなかった単語が次々と出てきてオモシロイ。「交通史観」「おもちゃのまち」「スーパー・メガリージョン」「テンポ効果」「オールドカマー/ニューカマー」「老華僑/新華僑」「池袋チャイナタウン」「町中華/ガチ中華」「日系人のポロロッカ」「日僑/琉僑」「ニッケイ日本人」「フィリピンの海外雇用庁」「日本では制度上北朝鮮国籍は存在しない」…最近隣人になったネパール人の解説がないのが少々残念。でもナカナカ新鮮な知識が勉強になりました。ニャン。ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは某高校1年生から我がHPに届いたメールを紹介。「日本の戦争とスポーツ」を夏休みの個人研究にしているので考えを聞かせてほしいというので小生が答えた内容を話す。戦争がスポーツに与えた影響(悪影響)はイロイロあるけどスポーツをスポーツとして楽しめなくなって身体や精神を鍛えるのは「他日大いに力を(戦争で)発揮するため」という理屈が生まれたことが最悪だったと話す。その結果戦後になっても(今日でも)高校野球は教育でプロ野球は親会社の宣伝で大相撲は伝統文化の継承…といったふうに日本のスポーツには常にスポーツ以外の目的が付き纏うようになったのですね。1993年「Jリーグを創って何をするつもりですか?」と質問した新聞記者に「サッカーをします」と当時の川淵チェアマンが答えたのが日本に純粋なスポーツが生まれた瞬間だった…という話をする。ニャン。デスクワークは原稿〆切前倒し週間の第二段としてフォーラムエイトの機関誌「Up and Coming」の連載を書く。W杯&エンハンスト・ゲームズ&IOCの選手への現金支給などについて現代スポーツの爛熟ぶりを批判する原稿をほぼ完成させて晩メシは虎vs燕&港星vs巨人の試合を見ながら。虎は2試合連続サヨナラ勝ち。港星はスミ1勝利。強い虎をナカナカ信じられないのは昔の弱い虎を知ってるオールドファンだからかな?
8月18日(火)
ベッドでの読書は『新しい日本地理 地図・統計・移動から読み解く』(重永瞬・著/講談社現代新書)を読み始める。面白くあっと言う間に半分蔵読み進む。ちょっと睡眠不足が恐い。日本は東と西に分けて違いを考えるより別の分け方のほうが発見が多いとの主張で南北に分けて「裏日本」という見方がどのように形成されたのか…日本の「南国」はどの地域か…中部地方という解り難い地域を山と川で捉える山岳地方と考えたり…《日本には未だ発見されてない「まとまり」がまだまだあるに違いない》という。ナルホド納得。ニャン。今月は月末に原稿の締め切りがイロイロあるので締め切り前に一つ一つ片づけることにしてまず連合通信の連載「スポーツ博覧会」を書く。内容は今夏に某高校生から「戦争とスポーツ」について意見を求められたこと。この素晴らしく嬉しい問いかけに対して明治以来の「富国強兵」の世の中でスポーツをスポーツとして楽しめないことが日本人の(日本社会の)常識になってしまったことこそ日本のスポーツに対する戦争の最大の悪影響と返事したことを書く。高校野球は教育(体育)のためでプロ野球は親会社のためで大相撲は伝統文化のため…と日本のスポーツはスポーツ以外の目的があるようになったのは明治以来の戦争のために身体と精神を鍛えるのが運動(スポーツ)だと考えるようになった悪影響の結果ですよね。最近原稿書きのBGMにグローフェの三部作を聞いている。ストロンバーグ指揮ボーンマス響の演奏。「グランドキャニオン」は有名だけど「ミシシッピ」も「ナイアガラ」もオモシロイですね。晩メシは横浜vs巨人を見ながら。横浜の見事なサヨナラ勝ち。しかし阪神の佐藤・大山連続ホーマーによる逆転サヨナラも凄かったみたいですね。野球はどんな野球も面白いけど横浜球場の試合後のイベントには驚きました。まるでW杯のハーフタイムショーと同じですね。
8月17日(月)
昨日京都五山の送り火をBS11で見て両親の霊を送ったあとに見たNHKの『水木しげるの「白い旗」』が素晴らしかったので我が漫画の本棚からそれをベッドに持ち込んで久し振りに読み直す。『白い旗』も見事だったが『特攻』もイイ作品で戦艦大和の沖縄海上特攻から始まって零戦撃墜王の兄が菊水特攻隊に入った弟に驚愕。特攻は犬死にだと諫めても聞かない弟と共に特攻で死ぬ話。水木しげるさんの戦争ドキュメンタリー漫画はどれも読み甲斐がありますね。高市首相にも是非とも読んでほしいですね。ニャン。デスクワークは『ZAITEN』に入稿した連載原稿を校正。イロイロ準備をして夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTubeの収録。ゲストに成城大の山本敦久さんと平尾剛さんの両教授を迎えて「今や限界に達した現代スポーツの未来の"カタチ"を考える!」をテーマに「金権W杯の"億兆ビジネス"や"ドーピングOK大会"はスポーツの未来の姿なのか?」「全選手に1万ドルのギャラを払う五輪は"反戦平和"を捨ててエンタメ化?」「外国籍選手排除の日本ラグビー/延々と続く真夏の甲子園/ガラパゴス化する日本のスポーツは?」というテーマで話し合ってもらう。山本さんの「スポーツの箍が外れた」平尾さんの「自分たちのスポーツとは別物のスポーツ」といった指摘は見事で勉強になりました。来週から3回に渡って公開します。乞御期待!
8月16日(日)
岡崎勝世『世界史の日本史』(講談社現代新書)読了。非常に勉強になりました。明治初期に《皇国の記述を(略)「幼童をして暗誦せしめ」》とか《生徒ヲシテ自修暗記セシメ》と始まった我が国の歴史教育が《思考力・判断力・表現力を育成すること》を目標に百年余で変わったことは驚くべきことと言えますね。「アクティブ・ラーニング」という言葉は小生は今年専修大の教壇に立つことになったときに知ったけれどそれは俺のスポーツ・ジャーナリズムの授業で30年前から「スポーツってどーゆー意味?」「ボシングってどーゆー意味?」…などと問いかけてやっていたことですね。学問とは新しい言葉を使うこと?…と思ってしまったけど…ジャーナリズムも同じかな。《歴史とは「現在と過去との間の尽きることのない対話」》というE・H・カーが『歴史とはなにか』(岩波新書)に書いた言葉で十分かな。ニャン。お盆休みで我が家に来ていた子供や孫が昼前に自分の家に帰って俺は『ZAITEN』の連載『今月のスポーツ批評』を書きあげて送稿。W杯で日本のサッカーの強くなった要因としてJリーグが誕生したことは誰もが語るけどそのJリーグのやり方に大反対した勢力があったことは語られなくなりましたね。それは読売グループの総帥だった故渡邊恒雄氏ですが彼の主張したとおりにしていたら日本のサッカーがどーなっていたかは今も検証すべき課題と言えるでしょうね。晩メシは静かになった家でヨメハンとふたりでテレビを見ながら。NHKスペシャル『水木しげるの「白い旗」』は素晴らしかった。読みなおさねば。
8月15日(土)
ベッドでの読書『世界史の日本史』は戦後の歴史教育の突入。戦後の《民主主義教育》から《GHQの逆コース》に従って《教育における保守反動の時代に移行(略)。社会科の目標は「有為の民主的市民の形成」から「国家及び社会の有為なな形成者として必要な資格を養うこと」に変わる》嗚呼。ベッドを出て朝パンのあと少々仕事してNHKで「全国戦没者追悼式」の実況中継を見る。その後のニュースで高市首相が式辞で「反省」という言葉を使わなかったことを知るが驚かず。政治的理念とかしそうと言うよりも右翼に擦り寄って首相を続けたいだけの人の言葉にいちいち目くじら立てても仕方ないですからね…と思ったが続く「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」という言葉には驚いた。「させない」とは誰に向かっての言葉なのか?「繰り返さない」と言うべき言葉を間違えたのか?まさか?過去の日本の責任は何処へ行ったの?と思ったが…これはひょっとして「自衛隊の長」としての首相が自衛隊員に向かって「戦争の惨禍を繰り返させない!」と言ったとしたらスゴイなぁとも思ったけれど…マサカ…。しかし今はそう解釈しておきまひょ。午後から子供と孫たちは川崎フロンターレvs京都サンガの試合を見に等々力競技場へ。俺はデスクワークで『ZAITEN』の連載を執筆。ほぼ完成させたあと晩メシは久し振りにヨメハンと二人で静かに仲良くサンフレッチェ広島vs浦和レッズの試合を見ながら。実力で勝る広島が4-1で勝利。川崎vs京都は2-2の引き分けだったらしいけどフロンターレ関係の仕事をしている長女の案内で試合前のイベントや食事を楽しんで試合も楽しんだ次女と孫たちが夜の10時過ぎに帰宅したのを見届けてベッドへ。
8月14日(金)
『世界史の日本史』読み続ける。かなり学術的とはいえオモシロイ。昭和10年に《当時の正統的学説となっていた》天皇機関説が右翼・軍部の圧力と政府によって否定され《国体明徴運動推進を宣言》された結果世界史の教育も大きく右傾化。《ローマの盛衰に就きては特に国家の興亡が国民の自覚に依ることを注意せしむべし》《「自由主義及国民主義の発展」では(略)我が国との異同に就きて比較考察せしむべし》そして《國史》では《文部省思想局が「国体の本義」を出版。その第一部「大日本国体」では冒頭で「大日本帝国は万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が万古不易の国体である」とし而してこの大義に基づき大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して克く忠孝の美徳を発揮する。是れ我が国体の精華とするところである》なるほど大日本帝国は臣民を天皇の赤子とする大家族国家だったのですね。《「神勅」とは天孫降臨に際し天照大神が瓊瓊杵尊に与えた勅を指しその子孫である天皇を「現御神(明神)或いは現人神」とする根拠ともなっている。そしてこの国体の特質から日本に独特な道徳や義務などが導き出され「億兆心を一にして天皇に仕へ奉る」という臣民の道が説かれている》このあたり大日本帝国憲法から日本国憲法に変わっているのに口にする輩がいるから繰り返されないようにキチンと頭に入れておきたいですね。しかし天照大神から生まれた天皇が何故男系でなければならないのかワカランですナァ。ニャン。デスクワークは『スポーツゴジラ』の連載をしたり孫の夏休みのレポートのためのインタヴューを受けたり(笑)。晩メシはワイワイガヤガヤ。連日の遊び疲れか早々にベッドへ。
8月13日(木)
ベッドでの読書は岡崎勝世『世界史の日本史』(講談社現代新書)読み始める。タイトルの意味がイマイチよくわからないけれど明治以来の日本の学校で世界史がどのように教えられていたかが書かれていてナカナカ面白い。西洋史の教科書はアダムとイヴからアブラハムやノアの方舟など旧約聖書の記述から始まったりもしたのですね。ニャン。朝パンのあと長女や孫と散歩。昨日の夕方の散歩で少し遠いコンビニまで往復したのが響いたのか脚がかなり弱ってる。散歩だけで疲れた。足を強くするためにどれくらい歩けば良いのか判断が難しいですナァ。イヤ昨晩遅くまで次女とワインを飲んだことが祟ったのかも(>_<)。家族たちは買い物に出たけど俺は家でダラダラと読書etc.寝正月という言葉は聞いたことがあるけど寝盆という言葉もあるのかな?買い物から帰ってきた連中と一緒に晩飯。ハハハ阪神が巨人を3タテ。今日は早く寝る。休日は仕事をする以上に疲れますな。トホホ。
8月12日(水)
ベッドでの読書『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』(清水俊史・著/講談社現代新書)読了。非常に勉強になりました。《仏教の分裂が単純な「異端狩り」に向かわなかったのはサンガ(仏教教団)が本質的にローカルな自治共同体として設計されているからである》なるほど。《原始仏教徒は古代インドに生まれた一つの思想革新であると同時にその革新が共同体として制度化され言葉として継承され信仰のダイナミズムのなかで解釈の分岐を経ながら世界宗教へと展開していった過程そのものである》ナルホド。仏教は"グローカル"の先駆け的存在だったわけですね。ニャン。朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは日本人にとっての8月と言うことで戦争とスポーツについてイロイロ話す。非暴力から生まれたスポーツで軍隊の"真似事"をするのはオカシイと力説。戦前の帝国陸軍の分列行進を真似た高校野球開会式の入場行進が今ではスカリ自衛隊そっくりの更新になってしまったことは主催社の朝日新聞社も考え直すべきダ!と話したあとヨメハン&長女&孫で散歩。人数が多いと坂道も力が出るもんですね。何の映画を見たいかと孫に訊くと何かで聞いた『最強の二人』を見たいと言う。どこかで聞いたタイトルだと思ったら何ヶ月か前にNHK-BSでやっていたのを見て感激した映画だと思い出す。事故で全身が不自由になった億万長者の介護を少々破天荒な黒人が引き受けて仲良くなるという実話に基づくフランス映画。孫と一緒に見直す。確かに良い映画でした。少々休んで夕方少し離れたコンビニまでみんなで買い物。晩メシ前の映画はジャック・ニコルソン&デンゼル・ワシントンの『最高の人生の見つけ方』。昼間見たフランス映画と少し似たハリウッド映画。昨日&今日で立て続けに4本もイイ映画を見る。こーゆーお盆休みも良いだろうと思ってると次女がもう一人の笑2の孫を連れて来宅。ワイワイガヤガヤ夜遅くまでワイン&イロイロ話。こんなお盆休みもありかなと思いながらベッドへ。
8月11日(火)つづき
午後から長女と高1の孫が来宅するというので大船駅まで迎えに行って隣家のネパール人夫妻が経営するインド料理店「ムーティ・マハル」で昼食。この店のカレーはホントに美味しい。みんなで帰宅して映画鑑賞は長男が高校の授業で途中まで見せられたというでカプリオ主演の『シャット・アイランド』を見る。精神病院の話。なかなか複雑で興味深い映画。コレを見せる高校の保健体育の授業はナカナカのものだと感心しながら監督は誰だと思ったらマーティン・スコセッシだった。納得。チョイと昼寝ならぬ"夕方寝"のあと晩メシはみんなでワイワイしながらサラダと笊蕎麦。精神病院がテーマならこっちの映画のほうが凄いとミロス・フォアマン監督ジャック・ニコルソン主演の『カッコーの巣の上で』を子供たちに見せる。俺も久し振りに見直したら最後にロボトミー手術をやられたニコルソンを殺したチーフが精神病院の窓を破って逃げてゆくシーンで泣いてしまっった。最高に素晴らしいイイ映画ですね。前に家に来たときに同じフォアマン監督の『アマデウス』を見ていた孫も感激したようでした。
8月11日(火)
ベッドでの読書『原始仏教』もうすぐ完読。仏教にはキリスト教やイスラム教のような異端が存在しないという点が最も東洋的と言えるのかもしれない。経典の選択の違いや教理体系の違いはあっても異端を理由とする破門はない。その結果仏教の原則は《異端なき多元性》となる。だから異端を排除したり異端や異神(仏)に起因する宗教戦争もない(とは言えないけれどメッチャ少ない)。そこが仏教の他の宗教よりも優れた点と言えるのかどうかはわからないが仏教が他の宗教よりも少しは平和的と言えそうですね。ニャン。『スポーツゴジラ』の連載『走』の第19回をチェックし直して送稿。哲学者ハンス・レンク(1960年ローマ五輪の金メダリスト)が五輪のモットーの「より速く・より高く・より強く」では不十分なので「より美しく」と「より人間らしく」を付け加えた話を書く。近代社会のモットーとも言える「速く・高く・強く」は近い将来消えてなくなるかも?
8月10日(月)
ベッドでの読書は『原始仏教 ブッダから大乗へ』に戻る。《知恵によってすべての煩悩を断ち切》り《解脱》し《涅槃》の域に入ったブッダはいよいよ《入滅》の時を迎える。《世界は美しい。人にとって生きるということは甘美なものです》という釈尊の言葉は《一切皆苦を基本教義とする仏教の枠組みにおいて(略)現世を肯定するきわめて特筆すべきものとして注目されてきた。(略)ここでの「麗しい」「美しい」とは自然の景観が美しいという意味ではなく修行に適しているという意味である》なるほど確かにそうでしょうが死を迎える間際の悟った人間には周囲の景観も皆美しく見えるものだと言うことで良いのではないでしょうか?ブッダも結構人間的なところがイイですよね。ニャン。最近老猫虎太郎は戸を開けても外に出なくなった。暑いからだろうけど歳を経て悟ったからかな。彼にも世界が美しく見えてるのかな?山川草木犬猫悉皆成仏ですからね。南無阿弥陀仏。締め切り前の原稿書きはやはり気分が乗らず大学生の採点結果を見直して担当教官に38点から96点までの採点結果を送稿。半年間の一仕事の区切り。さて来年はどうするか。体力と相談してもう少し考えましょ。知力はまだまだ大丈夫のようですからね。仕事しながら高校野球横浜vs沖縄尚学の試合を横目でチラチラ。守備が上手いですね。プロ並みに思えてしまいますね。甲子園球場は満員。みんなレベルの高い試合を見に来てるのですね。だったらこの収入は誰に還元されるべきでしょうねえ?お盆ですから晩メシ時には仏壇前で親父とお袋に日本酒で乾杯。
8月9日(日)
ベッドでの読書『美少年美術史 禁じられた欲望の歴史』(池上英洋/川口清香・著/ちくま学芸文庫)読了。非常に面白く勉強になりました。《古代ギリシア・ローマの芸術を理想視》するルネサンスから新古典主義につながり《古代ギリシア的鍛錬を受けた肉体》が称賛されるようになり《この流れは19世紀を通じて今日の体育教育が整備される動きと一致している。1896年から始まる近代オリンピック大会はまさにこの流れの延長線上にある》なるほど。スポーツだけが独自に発展したわけではないのですね。ニャン。少し仕事をしたあとNHKで長崎の「原爆犠牲者慰霊平和式典」の実況中継を見る。長崎市長や県知事が自分の言葉で「核抑止論のウソ」や「核爆弾絶対悪」を語ったのに高市首相の言葉は原稿の棒読みでしたね。《日本国民は恒久の平和を念願し人類相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって平和を愛する諸国民の公正と正義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した》この素晴らしい宣言を「みっともない」とか「ナサケナイ」と言ってる人が「核抑止力」を唱えてるのでしょうね。午後からはバスケットボール(日本vsモンゴル)を見たり野球を見たり。スポーツが反戦(反暴力)思想の上に成り立つ文化であることをアスリートやスポーツ関係者はキチンと学ぶべきでしょうね。晩メシを食べながらBS朝日『日曜スクープ』を見ていたらサヘル・ローズさんというイラン・イラク戦争での孤児だというイラン人女性が旧満洲の日本人孤児を取材したなかなか素晴らしい番組をやっていた。こういう番組は地上波の同時刻にやってほしいものですね。それをやれないのは視聴者の問題?スポンサーの問題?テレビ局の問題?さぁどれでしょう?
8月8日(土)つづき
デスクワークは大学生のレポートの採点完了。報告要旨に学生たちの点数を書き込み二日間ほど"寝かせる"。そして新鮮な気持ちになって改めて読み返してから担当教官に送る。昔からそうしている儀式みたいなものだけど酒や発酵食品のの発酵と同じで少し寝かせたほうが新鮮な目で読み直せますからね。TVでラグビーの日本vsオーストラリア戦を見る。接戦までは持ち込めてもここから勝利への距離は遠いはず。どうすれば強化につながるのか…かつて平尾誠二さんは女子ラグビー人口の増加を強調されてましたけどね。その子供たちがラグビーをするようになるのにたった(!)20〜30年しかからないという短期(!)のプラン。Jリーグ百年構想とまでは言わないけどラグビー界も短期と長期のプランを聞きたいですね。晩飯は『報道特集』や町田vs東京を見ながら。あと1本の原稿をお盆前に済ませるか…お盆後でいいか…仕事してから休むか…休んでから仕事するか…悩みますなぁ。
8月8日(土)
ベッドでの読書『美少年美術史』読み進む。ドナテッロもヴェロッキオもミケランジェロもそしてレオナルド・ダ・ビンチもカラヴァッジョも全て同性愛者だったのですね。それも古代ギリシア時代同様のパイデラスティア(年長者の少年愛)でルネサンス(古典復興)は美術や彫刻や詩の世界だけでなく日常社会も古典(グレコローマンの世界)を復活させていたのですね。ニャン。数日前のテレ朝モーニングショーでウクライナ問題を解説していたのは大和大学の佐々木正明教授(元産経外報部記者)で来週月曜からの"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"にも出演して安青錦とウクライナ・ロシア問題について語ってもらいます…と思っていたら昨日は現在"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"に出演して過激な日本サッカーUEFA移転論を展開しているサッカー・ジャーナリストの後藤健生さんが出演。そう言えば数日前に派手で奇抜な服装で見事な地震論を展開していたのは京都大学の鎌田浩氏で小生が感激した『日本史から地学を読みなおす』(講談社現代新書)の著者だった。面白い人をコメンテイターに招き始めた『モーニングショー』は小生や小林信也さんのゲスト出演を復活させて『真夏の甲子園はいらない』(岩波ブックレット)について話させてくれるようになるかも…というのは無理でしょうねえ(笑)。
8月7日(金)つづき
晩メシはJリーグ「新秋春制」の開幕戦を見ながら。オープニング・セレモニーは短く纏まっていて良かったですね。今日の国立競技場へは長女が仕事を兼ねて見に行ってるらしいが1993年のJリーグの開幕のときは小生が少々Jの仕事を手伝っていたこともあって家族全員が旧国立競技場で観戦。そのとき長女は小6で日光へ修学旅行に行ってたが先生の許可をもらって小生が迎えに行って国立で待ち合わせたヨメハンや他の子と合流してヴェルディvsマリノスを観戦。長女は2つの開幕戦を現場で見た結構珍しい存在になれたわけか(笑)。俺とヨメハンはマリノスvsアントラーズをワイン飲みながらTV観戦。16歳の三井寺の先制ゴールは見事だったけど実力に勝るアントラーズが4-3の逆転勝利。Jのサッカーはいつも面白いですね。
8月7日(金)
映画『オーメン』をキッカケに詳しく読み始めた『美少年の美術史』オモシロイ。《成熟した年長者(エラステス/念者とも呼ばれる)が未成熟な年少者(エコメノス)を教育する(パイデイア)当時(古代ギリシア)の習慣がパイデラスティア》で単なる男色とは違うわけですね。そこから様々な美少年を経て三島由紀夫の愛した聖セバスティアヌスまでイロイロ勉強。イタリア語のジョヴァンニやフランス語のジュアンやスペイン語のファンはみんな「ヨハン」のことなんですね…なんて単純なことに今頃気付く。俗世間の敬語の「ドン」を付けたドン・ジョヴァンニやドン・ジュアンやドン・ファンは名前からして一種の堕天使というわけか…なんてことに70歳を過ぎて今頃納得。ニャン。今日も終日学生のレポート読み&採点。担当教官のアイデアで小生の講義に対する感想文の書いてもらったが採点の一種としての感想文だから悪く書く学生は皆無。全員褒め言葉で面白くない。レポートは全部読み終わってさぁ採点をどーするか…はじっくり考えましょう。
8月6日(木)つづき
ベッドを出て朝パンのときにNHKで広島市の平和の祭典を見る。「非核三原則」を「コレからも守る」とは言わなかった高市首相は席に座ってるときかなり眠たそうでしたね。日本政府はもっと声を大にして核兵器の悲惨さ(人類の文明とは共存できないこと)と完全な廃絶を主張しなければならないはずなのにいまの内閣では無理かな。嗚呼。それにしても核保有論など論外です!ナサケナイ。今日は終日大学生のレポートを詳しく読んで採点。1人のレポートを読み終わる度に椅子から立って身体を伸ばして深呼吸と軽く運動。若いときのように2晩連続徹夜して平気…というわけには行きまへんなあ。まぁ歳相応にがんばりまひょ。晩メシは広島vs巨人戦を見ながら。広島のユニフォームは全選手が背番号86(8月6日)でHIROSHIMAの文字。胸にはPEACE。5回終了時にはスタジアムの観客席全体が緑色(平和な日常)になり原爆ドームの高さの位置だけが赤色(原爆投下?)に。そしてJ・レノンの「イマジン」の合唱。翻訳がスコアボードやTV中継にも出れば良かったですけど8月6日のカープの試合は毎年広島でやるようにNPBで決めるべきですね。
8月6日(木)
昨日見た映画『オーメン』の最後のシーン=生き残った悪魔の子供の笑顔がどこかで見た顔だと気になって『美少年美術史 禁じられた欲望の歴史』(池上英洋・川口清香・著/ちくま学芸文庫)をベッドに持ち込む。すると…ありました!ルーヴル美術館収蔵のエティエンヌ=モーリス・ファルコネ作の大理石像「クピド(キューピット)」の顔にそっくり。天使が堕天使として悪魔になるわけですから映画監督もコレを参考にしたのでしょうね。解説にもこう書かれています。《可愛さのなかに幼児特有のある種の残酷さををたたえた目付きと笑みが印象的だ》ナルホド。キューピットの足下には薔薇(ヴィーナスが悲恋の末に薔薇の棘に刺されて流した血で白薔薇を赤薔薇に変えた女神を象徴する花)もあり「可愛い天使像」にはどこか怖さもありますね。それにしても西洋美術はギリシア・ローマ神話や聖書の物語の勉強が詰まってますなぁ。『美少年美術史』の他にも池上英洋氏の『官能美術史』『残酷美術史』を読めばよくわかります。
8月5日(水)つづき
ラジオのあとのデスクワークは今日から何日かかかって大学生のレポートの採点。そもそも大学の勉強(学習)の結果に採点(評価)なんて必要ないと大学の授業を数回出ただけで単位など一つも取らなかった小生は考えている(もしも採点=資格試験が必要なら面接で判定すべきですね)。しかしそんなことを今更言っても仕方ないので「興味あるスポーツ人に20のインタヴュー項目をタイトルとともにA4用紙1枚に書く」というテーマを採点し始める。タイトルの面白さで30点満点。インタヴューの流れで30点満点。文章の明確さで30点満点…など細かく採点基準を決めて詳しく読んでゆく。23人の受講学生全員がモハメド・アリから日本の女子ラクロス選手まで異なるインタヴュー相手を選んでいたのは嬉しかったですね。肩の凝る作業のBGMは櫻川唯丸の江州音頭を聞きながらガンバる。元気が出るうえ明日は広島の原爆忌ですからね(彼は原爆の歌も唄ってますからね)。夕方からは高校野球の開会式を朝日放送のネットで見る。朝日のアナウンサーも解説者も高校生の入場行進を絶賛していたが小生は出場49校のうち33校が自衛隊の行進そっくりの拳を握った腕を前後に大きく振る行進をしていたのが気持ち悪かった(拳を握らなかった高校は3校しかなかった)。レポートの採点で結構疲れた身体を散歩で整えて晩メシは昼間NHK-BSがやっていた『オーメン』を見ながら。ミステリーとともにオカルトものの映画が(キューブリックの『シャイニング』以外)大嫌いだった小生はコノ有名な映画をこれまで見たことがなかった。がNHK-BSでタイトルにBurt Lancasterという文字を見て録画。話の内容はドーデモイイが映画の作り方は上手い作品でしたね。
8月5日(水)
『手塚治虫音楽館』完読。少し現代にそぐわない点があるにしろ面白かった。「鳥人体系」は勝手な人間社会を征服しようとする鳥たちが最後に残った善人の爺さんをみんなの歌で野辺送りにする話。「ブラック・ジャック/ストラディバリウス」は旅客機が北極圏に不時着してたまたま世界的ヴァイオリニストと乗り合わせたブラック・ジャックが彼の指の凍傷を治療できず結局名器ストラディバリウスと共に埋葬する話。それにエッセイが3本。「フィガロの結婚と私」「僕とチャイコフスキー」「二つのバッハ」…《『リボンの騎士』のモデルはケルビーノ》だとか《チャイコフスキーはロシアの歌謡曲》で《もしもチャイオフスキーが日本人だったら古賀政男くらいの巨匠になっただろう》と音楽エッセイも面白かった。ニャン。ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは7月31日の燕vs虎で投手の才木がバッター岩田に19球粘られてレフト前ヒットを許した話。1打者に対する最多投球数は2024年9月22日竜の涌井投手が鯉の矢野選手に22球粘られて四球を出したこと。その他いろいろ打者がファウルで粘った話をしたが「ファウル36球で打者アウト」という"都市伝説"が意外と知られていないことに驚いた。兵法の「三十六計逃げるに如かず」から生まれたウソだったらしいが京都の禅寺の境内で草野球タイコベース(テイクワンベースという言葉の変形)をやっていた我々ガキは東山も36峰だからファウルも36球までと妙な納得をしていたものです(>_<)。
8月4日(火)つづき
昨日に続き今日も熊本の人々には申し訳ないが気温が低く暑さを凌げる涼しさ。こーゆーときに締め切り日はまだだが連載を1本やっつけておく。『スポーツゴジラ』の連載『走』の第19回目として「より速く・より高く・より強く」に「より美しく」「より人間らしく」を加えたハンス・レンク(1960年ローマ五輪の金メダリストで哲学者)の意見を書く。「より人間らしく」を「ドーピング」や「反則をしないこと」という人間の美徳を指すと考えれば納得ですね。速く仕上げることができたので昨日に続きNHK-BSで放送していた映画『刑事ジョン・ブック目撃者』を見る。アーミッシュ(現代文明に背を向けて自動車や電化製品を拒否してキリスト教信仰とともに17世紀の生活を続けるアメリカの人々)の生活をアメリカ人に知らせる映画なんでしょうが警察もの映画としても結末もハリウッド的でマアマアでしたね。晩メシは横浜vs阪神戦を見ながら。虎はチャンスに決定打がなかなか打てずに0−1で敗戦。続けて広島vs巨人は延長12回広島のファビアンにさよならホーマーが飛び出して4−3で広島の逆転勝利。野球はいろんなことが起こりますね。だからオモシロイのでしょうけど"パンとサーカス"にばかりに満足していては皇室典範の改悪や防衛費の意味不明の増額や南海トラフ地震の心配のある大阪を副都心にしようとしていることなどを見落としてしまわないよう注意すべきですね。
8月4日(火)
『手塚治虫音楽館』読み続ける。オモシロイ。「0次元の丘」はフォン=ベルヌの指揮するシベリウスの「トゥオネラの白鳥」をレコードで聞いた子供たちがベトナム戦争で虐殺された子供たちの生まれ変わりとしてベトナムを訪れる話。「うたえペニー」は田舎で歌手を目指してニューヨークの音楽院に入った少女が結構成功してあと一息でデビューというときにやっぱり田舎がイイと戻ってくる話。「おけさのひょう六」は佐渡で踊りの上手かった男の子が大名に招かれて怒りを買い自分は大名に罰せられて目を失うが自分の踊りを遊女や猫に伝えてそれが佐渡おけさとして残るという話。「がらくたの歌」は学生運動若者文化反戦フォークの全盛期に両親を亡くして警官とフォーク歌手に別れた兄弟の悲劇を描いた作品。「ミッドナイト」はヴァイオリン作りの名工と言われた老日本人が死ぬ間際に最高のヴァイオリンを作ってフランス人の世界的ヴァイオリニストに贈るという話。「ロップくん催眠ラッパ」は人々を眠らせる音色を出す催眠ラッパで日本を占領しようとした悪漢国をロップくん(アトムの前身?)が助ける話。手塚治虫のデビュー直後の若描きの作品もあれば大家となってからの作品もあり様々だがどれも優しさと反戦と正義感に満ちたイイ作品でオモシロイ。ニャン。
8月3日(月)つづきのつづき
"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"YouTuubeの収録のあと晩メシは昼間NHK-BSでやっていた映画『ドリーム』を見ながら。ケネディ大統領時代にソビエトに遅れをとった宇宙開発競争でアメリカのNASAに務める天才黒人女性数学者達が差別の顕在するなかで奮闘する実話を描いた映画。実話とは少々異なる点もあるらしいがナカナカ素晴らしく面白かった。原題は「Hidden Figures=隠された姿(人物たち)」。ハリウッド的ハッピーさに包まれているがこういう映画を創れることがアメリカの良心なのでしょう。ケヴィン・コスナーはいつもカッコイイ役をやってはりまんなあ(^_^)。
8月3日(月)つづき
昨日までの猛暑が何処かに消えて涼しく感じ入る朝。イロイロ準備して夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"の収録。ゲストにウクライナやロシア社会に詳しい大和大学の佐々木正明教授(元産経新聞外報部)を招いて「安青錦の優勝&大関復帰からウクライナとロシアの戦争を考える」をテーマに�@ウクライナのドローンによるロシアへの大反撃のなかで安青錦優勝はどう見られてるのか�Aロシア&ベラルーシのオリンピック復帰の影響は?�BIOCの五輪出場全選手に1万ドル支給の影響は?…について話してもらう。メッチャ有意義な話のなかでも最もショッキングだったのは�Bの「�@万ドル支給」の話。それはもちろん各国のNOC(国内オリンピック委員会)を通じて支給されるがNOCが完全に政府の一機関となってる北朝鮮やロシアではカネが選手個人に渡る可能性は低く政府が「使う」可能性が高いと考えられる。ならば現在戦費に困窮しているロシアがそのカネ(1万ドル×出場選手数)を戦争に回す可能性が高くオリンピックの理念(世界平和)とは真逆に使われる可能性が高いと考えられるという。この可能性をIOCのコベントリー会長はどう考えるのかな?
8月3日(月)
ベッドでの読書『原始仏教』に少々疲れたので子供部屋の本棚から『手塚治虫マンガ音楽館』(ちくま文庫)なんて本を持ち出して読み出す。「雨のコンダクター」はニクソン大統領のベトナム戦争に反対してL・バーンスタインがハイドンの「戦時ミサ曲」を演奏する話。これはDVDについていた解説で読んだから知っていた。他にロシアの圧政に革命を起こそうとするポーランドの音楽家とショパンを描いた「虹のプレリュード」やニューギニア戦線で亡くなった父親の育てた孔雀と娘のピアニストの物語「白孔雀の歌」。戦前の祖父から戦後の孫や曾孫へと引き継がれる精霊の宿る和太鼓と太鼓打ちの物語「てんてけマーチ」など。やはり反戦の訴えが鋭い名作揃い。どれも面白い。手塚治虫さんはクラシック音楽の造詣も深くピアノも弾ける人だったんですね。ニャン。
8月2日(日)
『原始仏教』読み続ける。不思議なことに気づく。仏教は複雑な認識から単純化への歴史をたどるのか?四聖諦・五蘊・六識界…等の認識を通じての解脱や涅槃からただ南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経を唱えたり踊り念仏で"済む"ようになったのか…それが「大乗成立」ということなのか?読み進めましょう。ニャン。メッチャ糞暑いなか大嫌いなエアコンをつけて大学生の提出したレポートの採点を開始。中味は十年一日の如く「興味あるスポーツ人にインタヴューするとしてタイトルとともに20の質問を書け」というもの。但し今回は担当教官の提案で「講義への感想文」が加わった。まだ全員の文章を読んだわけではないが次々とスポーツに対する新しい(自分の知らなかった)考え方に出逢えて良かった旨を書いている。それはそれで良かったと思うけど授業中にそれをもっと発言しろよ…とも思って残念。夕方から久し振りに『鮨処もり山』へいって暑気払い。戻り鰹も白焼きも全て美味で暑気を取っ払い。家に帰れば虎の坂本がこの試合2本目のオーバーフェンスで快勝。暑気は完全になくなってベッドへ。UEFAがFIFAのインファンティーノ会長の辞任を求めたらしいけどサッカー・ジャーナリストの大住さんによると彼は来年の会長改選に向けて既に200票近い支持を得ているらしいからね(カネをばらまいてますからね。TAMAKIのスポーツジャーナリズムを見てください)。FIFAはどうなるのかな?JFAのUEFA入りを進めてほしなあ( ^o^)ノ
8月1日(土)
講談社の『原始仏教』はオモシロイけれど少々ヤヤコシイ。そりゃそうだろう。世界史上屈指の哲人の"考え"を小生のような凡人がそう易々と理解できるはずがない。四聖諦・五蘊・十二処・六識界・十八界…懸命に読む。ナカナカ睡魔が訪れないのは熱帯夜のせいか?熱帯の人はよく本が読めるるのかな?ニャン。午前中は仕事部屋の整理。昼メシ食って昨日見たザルツブルク音楽祭の『アイーダ』第3,4幕を見る。素晴らしい舞台に素晴らしい歌唱。しかしそれ以上に指揮者のムーティに牽引されたウィーン・フィルの素晴らしさに感動。このオケがやる気を出したときは凄いですね。夕方からは「スポーツと戦争」を研究課題にして小生に本ホームページを通じて質問を寄せてくれた関西の高校生への返事を書く。日本のスポーツ界が戦前の軍国主義から受けた最大の悪影響はスポーツをプレイせずに心身を鍛える道具として「他日大いに活動する(つまり兵隊として働く)」ために利用することを目的にあげたことだろう。そこからスポーツをスポーツ以外の目的に利用することが常識化して「親会社」の宣伝や販促のためのスポーツが当たり前になってしまったのですよね。高校生は理解してくれるかな?あ。高校生になった孫にも話さなきゃ。晩メシはBSフジで燕vs虎を見ながら。雨で長い中断が2度。真中・高津両元監督がオモシロイ話を続けるかな…と思ったが雨の神宮球場を映すだけ。こんなの野球中継じゃないよなあ…と思っていたら長い中断のあと試合再開。アナウンサーも解説者も何の断りもなく放送再開。何処に行っとったんや!と思いながら虎の4点リードを見届けてベッドへ。あ。FIFAのインファンティーノは新会社設立をあきらめましたね。トランプ一族を儲けさせるだけの企画がボツになってまずはメデタシですね。
7月31日(金)
『原始仏教』読み続ける。紀元前5世紀にこれだけ高度な精神性を備えた思考をしていた人物がいることに驚愕しないわけにはいかない。同時期に西にはソクラテス東には孔子が活躍したのは何か星(宇宙・天)の配剤でもあったのかと思ってしまいますね。ただブッダ・ソクラテス・孔子の前や同時期の各地域にバラモン教・ギリシア哲学・百家争鳴など多くの先人隣人が存在したことも確かですね。人間は凄い!ニャン。ベッドから出るのが遅いからだろうが午前8時には早くも太陽が殺人的陽射しを投げかけて散歩は中止。大嫌いなエアコンをつけてのデスクワークは本ホームページの更新原稿作りを完成させて(株)bitさんに送る。昼メシ時と晩メシ前にはNHK-BSでの放送をヨメハンが録画しておいてくれたザルツブルク音楽祭での『アイーダ』を見る。2017年の舞台。ムーティ指揮ウィーン・フィル。タイトルロールはネトレプコ。イラン人の現代美術家シリン・ネシャットの素晴らしい演出と舞台とともに見事な演奏で大興奮&大拍手。とはえイタリア的ではなっかですけどね(苦笑)。晩メシは虎vs燕の野球を見ながら。虎の強さはわかったけど日本のプロ野球もMLBを見習って試合時間の短縮を目指すべきですね。FIFAの新株式会社設立についてはUEFA(欧州サッカー連盟)に続けてCONCACAF(北中米サッカー連盟)もAFC(アジアサッカー連盟)も反対を表明。こうなるとFIFAは新会社設立を撤回するほかないでしょうね。
7月30日(木)
『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』読み続ける。オモシロイ。《知恵とは単なる情報の集積ではなく現象を正しく認識する能力の「体現」を指す。この能力を体得することであらゆる疑惑や執着は霧消し目覚めた者(ブッダ)となるのである。よって悟りとは情報の蓄積とは根本的に次元を異にする》なるほど。AIは悟れないのですね。《私たちが経験する「世界」とは認識に先立って存在する超越的な実態ではなくあくまで認識という条件のなかで成立する関係性として把握される》ハイ。仏教思想は根本的にわかりやすく親しみやすいですね。それは小生が東洋人だからかな?ニャン。猛暑の毎日。熊本に皆さんは本当に大変だと思いますが無理せず頑張って下さい。デスクワークは終日このHPの原稿作り。チョイと疲れたときに何日か前にNHK-BSで放送していて途中まで見た映画の残り1時間を見る。リー・マーヴィン主演『最前線物語』という戦争映画。日本語タイトルも映画の完成度もイマイチだけど第一次大戦終了直後にドイツ軍兵を殺してしまった兵士が第二次大戦でも同じことを繰り返してしまう。が二度目はドイツ兵が生きているのに気付き必死で助けるのが人間の微かな進歩というわけか?精神病院内での戦闘やユダヤ人焼却炉での終戦などけっこう見所のある文学的戦争映画でした。今年も8月が近づいてきましたね。おおーっと。UEFAがFIFFAのワールドカップをボイコットするかもしれないというニュース!!FIFAのインファンティーノ会長がまたワケのワカラン商業主義的株式会社の設立にUEFAの怒りが爆発したらしい。小生はJFAのUEFA加盟という後藤健生氏の意見に大賛成です。日本サッカーがヨーロッパ選手権に参加する姿も見てみたいですからね。
7月29日(水)
ベッドでの読書は今月講談社から送られてきた現代新書のなかから『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』を読み始める。パーリ語でゴータマ・シッダッタ/サンスクリット語でガウタマ・シッダールタという名で現在のインド・ネパールの国境近くのシャカ族の国都カピラヴァット近郊のルンビニー園で生まれた王子で後にブッダ(目覚めた人・尊き人)と呼ばれるようになった人物はどうやら高名な仏教学者の中村元氏が書いてるような《肉体的に弱くひ弱な》人物でもなければ手塚治虫の漫画『ブッダ』などに描かれた《優男》でもなく《獅子にたとえられるほど肉体的に力強》く《女性を魅了する「理想的な男性」》であった可能性もあるらしい。オモシロイ。読まねば。ベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは1週間前に逝去された板東英二氏について。マスメディアが取りあげている高校野球での活躍やタレント・俳優としての活躍でなく昨日の本欄に書いた満洲時代の子供としての激烈な体験を話す。終戦記念日の近づいたいま我々も忘れてはならない出来事ですよね。ニャン。デスクワークは連合通信の連載「スポーツ博物館」第181回の執筆。インファンティーノ率いるFIFAの酷さを書こうかとも思ったがやはり板東英二さんのことを書く。日本人の我々にとっては彼の満洲体験のほうが身近に知っておかねばならない出来事ですからね。夜は晩メシ食べながらオールスター戦と思ったけれどあまりの笑ってばかりの選手のプレイに呆れてチャンネルを変えるとBS朝日でラクロスの女子世界選手権準々決勝カナダvs日本をやっていた。これが同点延長戦の大熱戦!!日本のゴールがポールに弾かれて惜しくも4−5で日本が敗れたが世界ランク2位のカナダに食らいついた日本女子ラクロスの闘いぶりは見事。ブラーヴォでした。泣いてる日本選手も多かったけど試合後の両チームの交歓は美しかった。スポーツはやっぱり思い切り真剣にやらなきゃ美しくも楽しくもならないですね。
7月28日(火)つづきのつづき
夜6時45分から日本スポーツ学会主催の「スポーツを語り合う会」にリモート参加。「サッカー日本代表−その急成長を探る」とのテーマでマイケル・ブラストウ(英国人サッカー・ジャーナリスト)と山本宏(元NHKアナウンサー・法政大名誉教授)両氏の講義を拝聴。山本宏氏のJリーグの誕生以来の日本サッカーの成長の歴史の説明に感服。不足点を上げるならそのJリーグのやり方に読売新聞社のナベツネが大反対したこととその権力者の意向に負けずに良かったということくらい。司会の長田渚左さんからリモート参加の小生に「何か意見を」と言われたのでそのことは喋らず(笑)山本先生の話に感服したことと是非ともその話を今真夏の太陽の下で馬鹿なことをやらせている高野連の人々に話してほしいと発言(会場からの笑い声が聞こえる)。さらに最近のインファンティーノ会長とFIFAの堕落が心配と話してサッカー・ジャーナリストの後藤健生さんの意見と断ったうえでJFA(日本サッカー協会)はUEFA(欧州サッカー連盟)に加わったほうがイイのでは…との意見を紹介。夜の有意義な会に早稲田大まで脚を伸ばすことなくリモートで参加できてよかったです。そのあと熊本の震度7のニュースを見ながら晩メシ。オールスター戦どころじゃないですね。
7月28日(火)つづき
いろいろデスクワークのあと大和大学の佐々木正明教授に連絡をとって来週月曜の"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"へのリモート出演の承諾を得る。ロシア&ウクライナ社会のスペシャリストに安青錦優勝やロシア・ベラルーシの五輪復帰等についてイロイロ話してもらえることになりました。乞御期待…と思ったら板東英二さんの訃報のニュース。享年86。テレビ番組で何度も御一緒したときに小生の両親も徳島出身で甲子園での徳商vs魚津高の延長18回の試合はみんなでテレビで興奮しましたという話をすると「そのときはいくつだったん?」と訊かれたので「6歳」と答えたら「私は6歳のときたいへんでしたよ」と言われて満洲で生まれてソ連軍に追われて逃げ帰ったことをぽつんと話された。その後板東さんが書かれた自伝『赤い手』(青山出版社)を読んで満洲からソ連軍に追われての逃避行が如何に過酷だったかを知った。誰もが栄養失調になりボロボロの衣服で無蓋貨車に乗り…。まさに6歳で本物の死線を何度も超えられたわけで板東さんに「本を読ませていただきました」と言うと「それはありがとう。まぁあんなモノですわ」と笑顔を見せられた。そして戦争孤児を描いた山崎豊子の『大地の子』について「あんな風にギリギリならんかっただけ幸せもんですよ」と言われた。『赤い手』の帯には黒柳徹子さんも板東さんの《激烈な人間ドラマがその裏側にあるとは夢にも思わなかった》と書いている。「私がいつも笑うてるんは満洲を出るときにつも人様から食べモンをもろてたから癖になってしもたんですわ」と言ってまた笑われた。御冥福を祈ります。合掌。夕方久し振りに少し気温が低かったので散歩して帰宅すると熊本で震度7のニュース。オールスター戦どころではなくなる。
7月28日(火)
ベッドでの読書『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史⑴二つの大戦と原爆投下』(早川書房)再読完読。広島に原爆を投下した「B29エノラ・ゲイ号」とそれを見守った爆撃機「グレート・アーティスト号」の乗組員が《地獄の光景》を証言したり書き残したりしている。《ああ俺たちは何をやらかしたのか?》《炎は見たこともないような10色以上の色彩を帯びてどの色も目を開けていられぬほど眩しかった。最も眩しく光る中心は太陽より大きそうな火の玉があった。それはまるで太陽が空から我々の地面まで落ちてしまい(略)火の玉は市全体を覆うように外側にも広が》った。《地上の眺めはこれとはまるで異なっており地獄絵図さながらだった。爆心地は温度が3000度にも達し火の玉によって人々は内臓が煮えたぎり一瞬のうちに黒焦げの塊になって燻り続けた》《怪我や火傷を負った生存者は激痛に苛まれた。被爆者はこれを地獄の苦しみと言った。身体が酷く焼けただれ裸同然の姿で骨から皮膚が垂れ下がった人々で通りが埋め尽くされた》…「核保有」や「核による戦争抑止力」を主張する人たちは「もしもオマエらと戦争になったらオマエの国の人々をこんな酷い目に遭わせるぞ」と本気で言える人たちなのだろうか?ここに全てを引用することはできないが毎年8月6日と9日が近づいてくれば『オリバー・ストーンのアメリカ史』を何度でも再読しましょう。すべての政治家にも是非読んでほしいですね。
7月27日(月)つづき
糞暑いなか大嫌いなエアコンをつけてデスクワークのあと夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"YouTuubeの収録。今日のテーマは「W杯2026大総括!それは大成功だったのか?大失敗だったのか?」でゲストはサッカー・ジャーナリストの大住良之さんと後藤健生さん。⑴けが人ゼロだったら日本代表はどこまで勝ち進んだか?⑵FIFAインファンティーノ会長withトランプ大統領の愚策を斬る!⑶次回100周年記念大会&未来のW杯日本代表大胆予測…の3つの話題についてイロイロ話してもらう。トランプ大統領がFIFAにイロイロ容喙したのは権力者の行為としてサッカー界には過去にもよくあったことで問題はインファンティーノとFIFAの態度という大住さんの意見は見事だった。またJFA(日本サッカー協会)はFIFAとAFC(アジアサッカー連盟)を離れてUEFA(欧州サッカー連盟)に入れば良いのでは?という後藤さんの意見は国際サッカー界のメッチャ面白い本質論を衝いた意見ですね。その他いろいろ素晴らしい意見の番組は今週木曜から3度に渡って公開予定です。乞御期待。YouTuubeの収録を終えてフレッシュ・オールスター戦を見ながら晩メシ。桑田真澄さんの解説は最高に素晴らしかったですね。若手選手の試合の裏番組で引退したロートル選手の試合を放送していたのはサイテーでしたね。メディアも野球人も日本の野球のために何をやるべきで何をやるべきでないかくらい考えて行動してほしいですね。嗚呼。
7月27日(月)
ベッドでの読書『オリバー・ストーンの語るアメリカ史�T』は再読了寸前。最終章の『原子爆弾−凡人の悲劇』は何度でも読み返す価値がありますね。アメリカの多くの科学者&アイゼンハワーを含む多くの軍人や官僚は《敗北しているのも同然の日本に原爆を使用する意味はない》と考え《この計画(原爆投下)の主たる目的はソ連に対する牽制であ》ったと断じる。《のちに国分長官に就任したロバート・S・マクナマラは「もしアメリカが戦争に負ければ自分たちは皆戦争犯罪人として裁かれ有罪の判決を受けるだろうと上官は言っていたが全くその通りだ」と述べた》。原爆投下に対して《ニュルンベルク裁判の主席検事テルフォード・テイラーは「広島の是非については議論の余地があるが長崎を正当化するに足る理由を私は聞いたためしがない」と述べた。彼は長崎を戦争犯罪と見なしていた》今年ももうすぐ「8月は6日(むいか)9日(ここのか)15日(じゅうごにち)」ですね。皆さん毎年8月には『オリバー・ストーンの語るアメリカ史』の『原爆−凡人の悲劇』の章を読みましょう。「凡人」とはもちろんトルーマン大統領のことです。ニャン。
7月26日(日)
『オリバー・ストーンのアメリカ史』には"if"が沢山出てくる。"if=もしも…だったら"は「原子爆弾」の章にも出てきた。もしも1944年7月の民主党大会時の副大統領候補の世論調査でダントツの一位だったウォレスがそのまま(民主党右派による妨害がなく)副大統領に選ばれていたならルーズベルト大統領の死去に伴う大統領就任の結果《原爆投下も核武装競争も冷戦もなかったかもしれない》。なるほど。こういう考察は未来の判断の参考にするために絶対に必要ですね。もしも高市でなかったら…とか…考えたいですね。日本の野球界は特に「…タラ…レバを言うな」という言い方が「言い訳をするな」という言葉と同義に使われて…その結果…反省も進歩もできなくなってしまったのですよね。ニャン。暑いですねえ。モノスゴイ太陽の陽射しで散歩もキャンセル。大嫌いな冷房のスイッチを入れて仕事部屋での雑務は上半期の領収書の整理など。冷房の不快感に加えて雑務はカラダに堪える。仕事のほうが健康に良いですね。昼寝を挟んでウンザリ雑務のあと大相撲。幕下&十両の優勝決定戦のあと幕内まで決定戦。旭富士は強いですね。勝負所に弱かった湘南乃海が十両優勝。オドロキました。幕内は安青錦の気合い根性勝ちですね。藤ノ川殊勲賞はブラーヴォですね。晩メシは虎vs助っ人戦を見ながら。エース村上の投球は見事でしたね。
7月25日(土)
『オリバー・ストーンのアメリカ史』はドイツ降伏とルーズベルト大統領の死去と原子爆弾の世界へ。能力に欠けると本人も認めるトルーマン副大統領の大統領就任とアメリカの反ソビエト勢力の台頭。根は真面目なトルーマンは反ソ右翼勢力に動かされていたことに間もなく気付き事なきを得る。当時のアメリカの閣僚や官僚には大学に進んでいない学歴高卒の人も(トルーマン大統領のように)少なくなかったのですね。今の日本の高学歴社会も不要かな?ニャン。クーラー嫌いの小生でもエアコンなしの夜は寝られない毎日がつづき朝ベッドを離れても暑くて散歩に出られないから机に向かって仕事するほかない。明後日のTAMAKIのスポーツジャーナリズムの準備はゲストに大住良之さんと後藤健生さんを迎えて"ワールドカップ2026"の大総括。トランプが嘴を挟みインファンティーノが胡麻を擂った大会は成功だったのか?大失敗だったのか?話してもらいましょう。それにしても暑い。トランプはこれでも地球温暖化など存在しないと言うのでしょうかね?ニャン。猫でも異常気象には気づいてますよね。ニャン。幕内優勝は安青錦が逃げ切れるかな?夕方から雷鳴と稲光。ヨメハンと一緒に傘指してフランス人夫妻の隣家へイロイロ美味しい晩ご飯をお呼ばれに。イロイロ楽しいおしゃべりとワインと日本酒で暑気払い。それにしても高市キャバレー外交と国会無視内政と時代錯誤皇室典範と南海トラフ地震無視の副都心…で日本はどーなるのでしょうねえ?ニャン。
7月24日(金)
ベッドでの再読『オリバーストーンのアメリカ史』はヤルタ会談まで進む。ルーズベルト大統領とウォレス副大統領は戦後の方針として反植民地主義。チャーチルは植民地維持。スターリンはチャーチルと利益を分け合う方針。ルーズベルトの半植民地主義も腰砕けで結局は各国の利害を優先した政治的決着となるのですね。ウォレスのようなリベラリストは主人公になれない"副"に留まるほかないのですね。ニャン。朝から猛烈な殺人的酷暑で散歩中止。クーラー大嫌いの小生も仕事場のエアコンのスイッチを入れる。しかし仕事をする気になれず仕事部屋の片づけに終始。資料棚や本棚の整理に身体を動かすと汗が噴き出す。マイッタ。仕方ないので読書。筑摩書房から送られてきた『ちくま8月号』から町田康『山頭火9』を読む。ポル・ポト政権まで出てきてオモシロイ。毎回愛読してる斎藤美奈子『世の中ラボ195』は「無理筋の皇室典範改正案ヲ巡って」。女性・女系天皇容認論の本やそれでは「日本が滅ぶ」と唱える本などを紹介したあと《05年小泉政権の有識者会議は「行為の安定的な継承を維持するためには女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論した。笠原が「模範解答」と呼ぶこの案にこそ戻るべきだろう》と結ぶ。「笠原」とは『皇室典範 明治の起草の攻防から現代の皇位継承問題まで』(中公新書)の著者の笠原英彦慶應大名誉教授のこと。何故この「模範解答」から男系男子に戻ったのかな?これも政治?いや政治的権力闘争ですね。大関復帰の決まった安青錦は賜杯まで手に入れるのかな?阪神巨人戦を見ながら晩メシ。面白い試合だったけれどメジャーの「助っ人」で勝つチームを巨人ファンは支持できるのかな?チームが「助っ人扱い」しなければ良いのだけど…。
7月23日(木)
『オリバー・ストーンのアメリカ史』ベッドで再読続ける。アメリカのルーズベルト大統領は1944年のノルマンディ上陸(欧州の対ドイツ第二戦線開設)前にワシントンを訪れたソ連モロトフ外相に早くも戦後の世界復興計画を話しているのですね。それは《戦勝国が軍備を保持し国際的な警察の役目を果たすというもの。米・英・ソ・中が「4人の警察官」となりドイツ及び枢軸国の武装解除にあたる。「武力による平和保持」の構想だ。スターリンはこのプランを聞いて喜んだ》それから80年以上経った今「4人の警察官」のうち2人が自ら戦争を始めて残る1人が武力による拡張を企てているのですね。嗚呼。ベッドを出てイロイロ準備して大船から藤沢へ。小田急に乗って向ヶ丘遊園駅へ。職員専用バスで専修大学へ。学生相手にスポーツ・ジャーナリズム論最後の講義。未来のジャーナリズムをテーマにAIが報道と啓蒙の仕事は行うようになるから"残された仕事"として我々人間は批評・評論の仕事を磨かなければならにこと…として様々な"残された仕事"を紹介。なかでもスポーツと政治の関係を取りあげてスピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』の冒頭シーンを見せてスポーツ(オリンピック)と政治の関係を考える。いろいろ話しながらクリント・イーストウッド監督の『リチャード・ジュエル』を見せたほうが良かったかな?…とも思う。授業の最後にあたって「一千万人と雖も我行かん」「鶏口牛後」という言葉を残して最後の授業はオシマイ。久し振りの教壇だったけど今回が一番"暖簾に腕押し"だったかな?来年も…と言われたけど同じことを二度喋るのはイヤだし…何か学生にとって良い学びを考えたいですね。全授業をスポーツ映画の鑑賞当てるのも良いかな…なんて思いながら帰宅して冷たいビール!メッチャ暑い一日でした。
7月22日(水)
ベッドでの読書再開。『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史』は第二次大戦前夜。ヒトラー・ナチスを支持するアメリカ企業・銀行が少なくないなか…またソ連への支援に反対する勢力が少なくないなか…それに参戦反対の勢力も少なくないなか…ルーズベルト大統領は欧州での戦争準備を進めたのですね。副大統領の民主党極左派ウォレスの活躍もナカナカですね。ニャン。ベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはワールドカップ大総括。昨日の本欄に記したことに加えて虫明亜呂無氏の持論−アメリカは西部開拓時代にナカナカ劇場を建てることができなかったのでスポーツのなかにドラマ(劇的物語)を求めた…などの話をする。だから野球もアメフトもバスケも中断が多いのですよね。その間に人間(選手)のドラマを想像するため…まぁ飲水タイムは明らかにCM優先でしたけどね。ニャン。それにしても殺人的暑さですね。(^0^;)
7月21日(火)
昨夜はすっかり疲れてしまったのかベッドに入ったのが午前1時前で今朝9時頃まで爆睡。体調はすこぶる快適。身体的疲労はたまには必要なことを痛感。とはいえあまりの暑さに朝の散歩はパス。デスクワークは明日のラジオと明後日の大学最後の授業の準備。今年のワールドカップが政治的経済的問題がありすぎて整理するのに時間がかかる。スポーツはスポーツとして演劇やオペラのドラマとは切り離して捉えるヨーロッパに対して西部開拓時代にナカナカ劇場を創ることができずスポーツにドラマ(演劇)的要素を取り入れてスポーツの中断を多くした(その間に人間ドラマを想像する)志向の強いアメリカのスポーツの特質が飲水タイムや決勝のハーフタイムショーなどに表れた出た大会という言い方もできるけどトランプの政治的容喙やFIFAのダフ屋的ダイナミック・プライシングは近代スポーツが究極まで進んでローマ帝国的パンとサーカスになってしまった結果と言えますね。大相撲は昨日幕下の旭富士が負けたらしいですね。相手は元十両の生田目。序の口デビューからの連勝は25でストップ。デビュー時から実力は幕内三役クラスと言われていたけれどここらで負けるほうが将来のためには良いのかな。安青錦は昨日の大の里に続いて豊昇龍も撃破。安青錦を誉めたいけど横綱人がナサケナイですね。続けて晩飯食べながらクリント・イーストウッド監督の映画『リチャード・ジョエル』を見る。アトランタ五輪での爆破テロ事件の犯人にでっち上げられた警備員の話。明後日の大学の授業で取りあげるのでチェック。イーストウッド監督はイイ仕事をしてますね。
7月20日(月)つづき
西宮北口駅すぐそばの兵庫県立芸術文化センターにバスが着くとスタッフの人が迎えに出てきてくださって30人近いツアーメンバーは下車。少し休んだあとレストランで昼食。イタリア料理でデザートとコーヒーを楽しんでる頃に指揮者の佐渡裕さんが挨拶に来てくださって今日の『カルメン』見所聴き所を話してくださったあとツアー参加者の皆さんに自筆のサイン入りのパンフレットを一人一人手渡ししてくださってオペラ開幕前のサプライズは終了。ツアーの皆さんと観客席へ。『カルメン』の幕開け。今年はチョイと趣向が変わってイタリア人の演出家による舞台は終始砂漠の上。迫力ある音楽と歌手の皆さんの充実した舞台には満足したけど演出は面白いけどチョイと?でした。舞台が大拍手で終わったあとツアーに参加の皆さんは客席に残って毎年恒例プロデューサーの小栗哲家さんによる舞台制作の解説&裏話。そしてバックステージツアーから舞台の上へ案内されて"砂漠"の上でいろいろ解説や記念写真。小栗さんは息子さんが本能寺で焼け死んだショックもなく(笑)素晴らしいお話を本当にありがとうございました。ツアー参加の皆さんがバスに戻られたところで御挨拶。皆さんも満足されたようで小生はここで別れてJR西宮駅から新大阪経由新幹線で品川から東海道線で大船の自宅へ。長い長い一日を終えてビール飲んで暑い夜も忘れて爆睡。
7月20日(月)
朝名古屋のホテルで目覚めるとつけっぱなしのNHKはW杯決勝のハーフタイム。どう考えてもサッカーの試合には相応しくないハーフタイムショーなるモノをチョイと見てスペインvsアルゼンチンの後半戦。圧倒的にスペインが押している試合はあっと言う間に延長戦へ。延長後半にアルゼンチンの一瞬の隙を衝いてスペインが決勝点。10人となっているアルゼンチンもメッシを中心に必死の反撃を試みるが惜しいチャンスを2度逃してスペインの優勝。堅い守りと素晴らしいパスワークによるチームプレイは日本サッカーのお手本になりますね。そー言えばなでしこジャパンが世界一になったときもスペインのようなパスワークと言われましたね。表彰式までテレビで見てトランプに対するブーイングを確認したあとシャワーを浴びて名古屋栄の中日ビルへ。そこで待機してくれている中日文化センターと中日ツアーズのスタッフと合流。集まってこられるオペラ・ツアーの参加者の皆さんとバスに乗り込んで新名神高速道路などを経由して西宮市の兵庫県立芸術文化センターへ。佐渡裕さんプロデュースのオペラ『カルメン』の鑑賞ツアーに参加。毎年1回で残念ながら去年とコロナの時は中止したが今年で15回目。途中バスのなかでカルメンの話やオペラの話を2度に渡って講義するうちに兵庫県立芸術文化センターに到着。オオーット今年も途中の栗東サービスエリアで名物のメロンパンを食べました。230円は高かったけど美味しかったです( ^o^)ノ
7月19日(日)つづき
W杯3位決定戦のあとイロイロ準備して大船駅から東海道線で品川へ。新幹線で名古屋へ。名古屋も暑いですナァ。ホテルにチェックインしたあと別のホテルで待ち合わせしている"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のスタッフの小崎クンと晩飯食いながら仕事の打ち合わせいろいろ&雑談。愛知県の尾張と三河の"違い"をいろいろ教えていただく。メッチャ面白かった。今年のアジア大会@愛知県は上手く行くのかな?チョイと心配になる。名古屋泊。
7月19日(日)
W杯3位決定戦は前半4点を入れたイングランドが後半追い上げたフランスを振り切って6−4で勝利ハッハッハッハッハ。オモロイ試合でした( ^o^)ノレベルの高い選手たちが気楽にやればこんな試合になるのでしょうね。
7月18日(土)
『オリバー・ストーンのアメリカ史』面白い。第一次大戦後のアメリカでは「死の商人」(戦争でボロ儲けした大企業の役員たち)の追求が開始されて「戦争による利益」対する高額課税が議会で真剣に検討されたのですね。第二次大戦後には大統領になったアイゼンハワーは軍産共同体の危険性を訴えたりもしたわけで成果はさほど得られなかったとは言え「アメリカの良心」と言える部分の主張はあったのですね。今の日本の政界に「日本の良心」と呼べるモノあるのでしょうか?ニャン。あまりに暑いので朝の散歩は取りやめ。クーラー嫌いの俺は汗をかきかきデスクワーク。ふうううう。まぁ夏ですから仕方ないですね。『ZAITN』の校正をやったりイロイロ仕事して汗をふきふき大相撲とビールに漕ぎ着ける。安青錦は大関復帰できそうですね。ウクライナもロシアにドローンでかなり反撃しているようで獅子もがんばってるので応援したくなりますね。狼雅もガンバレ。
7月17日(金)つづき
デスクワークは『ZATEN』の連載の校正や大学の最後の授業の準備。昼飯食ってNHK-BSを見ていたらクリント・イーストウッドとシャーリー・マクレーンの西部劇をやっていたので見てしまう。監督がドン・シ−ゲル音楽がエンニオ・モリコーネだけあってメッチャ面白かった。S・マクレーンが可愛く派手に修道女と娼婦の役を好演。面白かったけど映画の日本語タイトルが『真昼の死闘』と最悪。最後のメキシコ義勇軍とフランス軍の戦いは真夜中ですよ。原題は『Two Mules For Sister Sara』で『シスター(修道女・娼婦)サラと2匹のラバ(頑固者)』。シャーリー・マクレーンが小さなラバにまたがって走る姿が可愛かったのとクリント・イーストウッドという頑固者と出会って金塊奪取や戦争に巻き込まれる姿の面白さを表す見事のな原題が阿呆などこかの洋画宣伝部によって最悪の日本語題になったようですね。嗚呼。豊昇龍が伯乃富士に逆転負け!2敗!もう横綱が負けてもニュースにならないかな…。
7月17日(金)
ベッドで再読を続ける『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』が面白い。第二次大戦の直前はアメリカにもヒトラー・ナチスやムッソリーニ・ファシズムを熱烈に支持する人々は少なくなかった。しかし《ついにファシズムと戦わねばならなくなったことはアメリカが過去の偉大さとモラルに基づくリーダーシップの基盤であった民主主義と平等主義の伝統を曲がりなりにも取り戻す機会となった。そして第二次世界大戦への参戦も開戦から何年か後のことではあったがアメリカはヨーロッパのファシストを倒すうえで重要な支援を行いまた日本の軍国主義者を打ち破るうえで決定的な役割を果たした。だが第二次大戦の最後に広島と長崎に原子爆弾を投下したことでアメリカはまたもや追い詰められた世界が切に求めているようなリーダーシップを提供できる段階には未だ達していないことを露呈したのだった》ストーン監督の指摘は鋭いですね。彼は2013年の原水爆禁止世界大会で「日本の戦後政治を厳しく批判するスピーチを行った」が「日本のマスメディアはこの事実をほぼ黙殺した」と内田樹氏が『AERA』同年8月26日に書いている。ストーン監督のスピーチとは「第2次大戦後日本はすばらしい文化すばらしい映画すばらしい音楽すばらしい食文化を示しました。けれども私はただ一人の政治家もただ一人の総理大臣も平和と道徳的な正しさを代表したとことを見たことがありません」「あなたがたはアメリカの衛星国であり従属国にほかなりません。(中略)あなたがたは何のためにも戦っていない(you don't stand for anything)」そして最後の英語を内田氏は「あなたがたは何も代表していない」「何も意味していない」と読むこともできる−−と書いている。もうすぐ8月6日9日15日。その前に皇室典範の(少数派による!日本国憲法と矛盾する!)改定や(理由のわからない)国旗損壊罪などの法律ができた。この国はどこへ行こうとしているのか!?
7月16日(木)つづき
モノスゴイ試合だったイングランドvsアルゼンチン戦を忘れて東海道線で大船から藤沢へ。藤沢から小田急で向ヶ丘遊園駅へ。職員専用バスに乗って専修大学へ。1時間くらい図書館でいろいろな本を手に取って(専大の図書館は本当に素晴らしい!)授業開始。今日は江戸時代の大坂冬の陣夏の陣以来江戸に生まれたジャーナチズム(米相場の報道)と明治以来のスポーツ・ジャーナリズムの歴史の講義。事件報道→朝日新聞の野球害毒論→戦争とオリンピックと国策報道とメディアの駅伝と野球を主催→戦後のプロレスブームと教育(体育)報道→テレビのワイドショーの誕生とスポーツのドラマ化→ニュージャーナリズムの誕生と雑誌『ナンバー』の発刊と『ナンバー』のて方針の変節(スポーツを通じて人間を描く人間雑誌=人間ドラマ→単なるスポーツ雑誌)…という歴史を語ったあと先週の授業(オペラとミュージカルとスポーツ)で見せられなかったヴェルディの『アイーダ』を見せて授業は終わり…だったが最後に雑談ぽく質問を受けてイロイロ話をするなかで学生たちの誰もが『忠臣蔵』を知らないということを知る。大ショック!以前立教大学の教壇に立ったときに学生が誰一人として長嶋茂雄のことを知らないことにショックを受けていらの大ショック!ロシアの中学生はトルストイの『戦争と平和』を知っている。フランス人の学生はナポレオンを知っている。イタリアでは五輪の開会式にロッシーニ・ヴェルディ・プッチーニが登場。しかし専大の学生は『忠臣蔵』を知らない。おそらく東京五輪に登場した團十郎の『暫』も知らないだろう。よし。来週の最後の授業では『未来の(AI時代の)スポーツジャーナリズム』を講義すると同時に吉右衛門の『勧進帳』を見せよう!と決意して授業を終える。帰宅して冷たいビールで生き返る。藤ノ川がんばってるねえ。
7月16日(木)
イングランドvsアルゼンチンはモノスゴイ攻防の末にアルゼンチンが2-1で逆転勝利。こーゆーモノスゴイ試合を日本代表の試合でも見たいものですね。ただただ唖然としてみるほかないほど凄い試合でした。
7月15日(水)つづきのつづき
ラジオのあと散歩は体調を考えて中止にしてデスクワークに専念。『ZAITEN』の連載『今月のスポーツ批評』第108回にIOCがオリンピック出場全選手に1万ドルを支給する話を書く。これは賞金でもなければ出場料(ギャラ)でもないそうだがIOCがどんな理屈を捏ねようとオリンピックが資本主義の原理原則に従ってアスリートに対して労働(見せるスポーツを行う)に対する対価を支払うことには違いない。つまりIOC(オリンピック)は金儲け(利益の追求と獲得と再生産)を目的とする集団になると宣言したわけだ。スポーツを通して平和な社会を構築するというのは完全に画餅に…否…御神体に祭り上げてしまったわけですね。嗚呼。これが近代スポーツの終着点(袋小路)というわけかな?
7月15日(水)つづき
朝起きると掠れ声ではあるけどどーにかこーにか声は出るのでRKBの担当ディレクターに電話。「その声なら大丈夫ですよ。聞き取れます」と言われてRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはIOCのコベントリー会長がロシアとベラルーシに課していたオリンピックへの出場禁止の処置を暫定的に解除したという話。しかし世界陸連は両国の国際大会への出場禁止は継続と言うしIOCも両国の国旗と国歌の使用許可は未定と言うし…まだまだこの問題の行く末はわかりませんね。それにアメリカがイランへの攻撃を始めたのも五輪停戦協定違反なんですけど…まぁ戦争の責任を選手に負わせないというコベントリー会長の主張も理解で来ますが…ウクライナの選手が怒るのも理解できますね…という話。こういう話を関西弁では「難儀な話やなぁ」と言うがソレは言わず「喉をお大事に」と言われてラジオを終える。ふううふー。
7月15日(水)
フランスvsスペインの準決勝は2−0でスペインの勝利!やっぱりスター選手の個人技以上にパスワークのチームプレイと堅い守りの連携のほうが強かったようですね。日本のサッカー界にとっては喜ばしいことかな。試合は見ていないので後でゆっくりビデオを見ます。
7月14日(火)
『もうひとつのアメリカ史』読み続ける。第一次大戦で有名になった毒ガス戦はフランスがチョイと始めドイツが大々的に展開しアメリカが世界一の毒ガス生産量を誇るまでになったのですね。結局はカネの勝負なんですね。しかし03年のアメリカのイラク侵攻に反対したフランスに対する当てつけにフレンチ・フライをフリーダム・フライと呼ぶことにしたのは知ってましたけどソレは第一次大戦でのドイツ憎しが元祖だったのですね。アメリカ議会は《ハンバーガーをリバティ・サンドウィッチに。ザワークラウトをリバティ・キャベツに。「ドイツはしか」と呼ばれていた風疹のことを「リバティはしか」に。そしてジャーマン・シェパードをポリス・ドッグに改名した》そうです。こんなオモシロイ話を一度読んではずなのに忘れていたのはなぜかな?歳のせいではないと思うけど…ニャン。ベッドを出てヨメハンと黒兵衛抜きの散歩をしたあとデスクワークいろいろ。明後日の大学の授業の準備や大衆のオペラツアーの参加者に配る資料作りや今年の後期のオペラ講座の準備や明日締め切りの『ZAITEN』の連載の下書きなどをしていると夕方になって知人から電話。そこで驚く!声が出ない!なんでや?風邪か?昨日の"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のときに大嫌いなエアコンをつけて1時間以上喋りまくったからか?喉に幕がはったようでヒューヒューと掠れ声しか出ない。熱はない。36.5度。血圧も正常。しかし声が出ない。マイッタ。明日のラジオで喋れないかも…ということをRKBの担当ディレクターに伝えてとにかく酒呑んで寝る。百薬の長ですからね。
7月13日(月)
『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史』読み続ける。第一次大戦から第二次大戦に向かうアメリカの行動を見ているとトランプ大統領の行動がアメリカの歴史のなかで決して得意なものでないことがよくわかる。所詮は銀行と石油がアメリカの政治と軍隊を動かしているのですね。そしてアメリカ国内では《社会主義(ソーシャリズム)とリウマチ(リューマチズム)の区別もできない》政治家の手によって「諜報活動取締法」や「扇動防止法」が作られて社会主義者や自由主義者が逮捕され学問の自由が奪われていったのですね。何やら最近の日本と酷似しすぎていて怖さを通り越して嗤っちゃいますね。嗚呼。ベッドを出て朝パンのあと散歩とシャワー。デスクワークは夕方からの"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"の準備。ゲストは五輪アナリストの春日良一さんでテーマは「トランプのワールドカップへの介入から2年後のロス五輪を考える」。トランプがW杯でソマリアの審判やイランのコーチなどを入国禁止にしたようなことがロス五輪でも起こるとIOCが敢然と反対できるか?という話やIOCが五輪出場選手全員に1万ドルの支給を決定したことの是非など……メッチャ難しい話になりました。アスリートはカネを要求し観客はまるでグラディエーターの闘いを楽しむように金メダル争いを楽しみ……誰も「オリンピックの理念(根本原則=スポーツによる平和な社会の構築)」など気にしない(知らない)。最近jリーグが「税リーグ」と揶揄されているのも同様で「Jリーグの理念」を口にしない(知らない)人が増えた。どうやら現代のスポーツは資本主義の激しい侵食のなかにあって袋小路入り込んで抜け出す道を見失ったようですね。嗚呼。
7月12日(日)
トランプの愚行の再確認のため再読を始めた『オリバー・ストーンの語るもうひとつのアメリカ史』だったが面白すぎて第一次大戦の記述まで読んでしまう。ウィルソン大統領というのは《民族自決・海洋の自由・世界各国が連合する国際機関の創設》などを唱えたかなり理想主義的で穏健な指導者だと思っていたけどホワイトハウスで『國民の創生』なんて映画を上映する《白人優位の人種観》の持ち主だったのですね。その映画は《野蛮で好色な元奴隷》が《南部の白人や無力の女性たち》を襲おうとしたところに《勇敢なクー・クラックス・クランのメンバーが駆けつけ救い出すという映画》だという。そんな《歪曲された歴史観》を大統領が絶賛していたことには驚くほかないけれど今東洋の島国でもかなり怪しい歴史観を主張する指導者が跋扈しているから他国の過去を嗤えないですね。嗚呼。ベッドを出て朝パンのあとヨメハンと黒兵衛抜きの散歩。デスクワークは月末の多忙を見越して大学のあと2回の授業のレジュメを作る。スポーツと政治をテーマにするので1972年ミュンヘン五輪の記録映画『時よ止まれ君は美しい』のゲリラのシーンを見直す。これよりスピルバーグの映画『ミュンヘン』のほうがゲリラが選手村を襲うシーンは当時のメディアの動きも含めてリアルですね。晩メシは大相撲名古屋場所初日のビデオを見ながら…と思ったらヨメハンが録画ミス。シャーナイのでニュースで大の里が義の富士に負けたシーンだけを見る。すぐに引いてしまう大の里の悪い癖が出ましたね。コレはすぐに修正可能でしょう。続けて大河ドラマ『豊臣兄弟』で「本能寺の変」を見る。小栗信長は頑張ってたけどTVドラマはやたら一つのシーンが長くて小生には耐えられないですね。大河ドラマ全50回ほどを映画なら3時間ほどで表現するのですからね。まぁ個人的好き嫌いの問題かな。
7月11日(土)
ベッドでの読書はトランプ大統領の愚行を再確認するため『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史1二つの世界大戦と原爆投下』(早川書房)再読を始める。アメリカの"愚行"というか帝国主義的資本主義の販路拡大のための戦争は別にトランプだけでなくマッキンリーやセオドア・ルーズベルトやウィルソンなどの大統領もフィリピン・パナマ・ニカラグアなどで相当酷い戦争を繰り返していたのですね。オリバー・ストーンはこの"アメリカ史"を書いた理由を《21世紀に足を踏み入れてまだ間もない今ならその誤りを正す時間が未だ残されていると信じるからだ》と《序章 帝国ルーツー「戦争はあこぎな商売」》に書いているけど21世紀も四半世紀を過ぎた今となっては時間はもはや残されなくなったのかな?嗚呼。ベッドを出て朝パンのあとヨメハンと黒兵衛抜きの散歩。シャワーを浴びたあと今月末はイロイロ忙しくなるのでまずオペラ・ツアー『カルメン』の資料整理と来週の大学の授業のレジュメ作り。フランスが堂々とモロッコに勝ちましたね。前評判の高かったモロッコが頭も足も出ませんでしたね。ワールドカップは順当に強いチームが残ってますね。サッカーでジャイアント・キリングが起こるのはグループリーグまでの話かな?『ブラタモリ』を見ながら晩飯を食べようとして笑ってしまった。というのはタモリが名古屋城の前に立っていたから。昨日読んだ奥田英朗『名古屋オリンピック』に五輪招致で名古屋がソウルに負けたのは「タモリがアカンのやよ。名古屋のこと馬鹿にして。ああいうのがおるで落ちてしまったんだわ」という名古屋人の台詞を思い出したからだった。それはともかくコレって再放送ですね。この頃のテレビは再放送と断りませんね。コレはイケマセンね。
7月10日(金)つづき
デスクワークは一日くらい休んでも良いだろうと思って本棚の整理をしているとオリンピックのコーナーの本棚の奧から奥田英朗『オリンピックの身代金』(講談社文庫)に続いて同じ著者の『東京物語』(集英社文庫)が出てきた。前者は1964年の東京五輪を"人質"にとった面白いミステリーだったが後者は何で五輪のコーナーにあるねんと思いながらパラパラめくると著者の青春時代に東京の弱小広告代理店で働いたときの短編集6編のなかに「名古屋オリンピック」と題した1編があった。記憶から消えていたのでさっそく56ページを読む。名古屋では話題になっても東京では全く話題にならなかった名古屋での五輪の夢がソウルに負けて消えた日の東京の名古屋とは無縁の日常が描かれていて面白かった。「でも名古屋っていうのもちょっと恥ずかしいですよねえ」「なんでだよ」「だって世界中の人が来るわけでしょ。金の鯱(しゃちほこ)とエビフリャーしかないじゃないですか。あんなとこ(略)おまけにみんなでミャーミャー言ってキーホルダーをジャラジャラさせて日本の恥ですよ。(略)信号は守らないし横に広がって歩くしプライバシーってものがないし要するに民度が低いんだよな」「この野郎」「はい?」「てめえ俺が名古屋出身だってこと知ってて言ってんのか」清水義範氏のパスティーシュ小説を思い出しながら笑ってしまった。しかし1981年の東京の広告代理店が舞台のこの小説ーー写植・版下・ASA400のフィルム・オープンデッキ・カセットテープ・トレスコで紙焼き・タイムカード・オーディオ評論家・加山雄三風の口調・長嶋茂雄のような甲高い声・瞬間湯沸かし器……なんて言葉はもう通じなくなりましたね。45年前の話か…嗚呼。
7月10日(金)
コンラート・ローレンツ『攻撃 悪の自然誌』(みすず書房)再読了。動物の一種と支店人間の「攻撃衝動」を忌避する結論は意外と単純だった。《本当の意味で人類の総力を結集すべき事業が二つある。この事業こそは遥かに大きな規模でコレまで無関係だったか敵同士だった党派や諸国民を共通の価値のためにこぞって奮い立たせるという任務を持つものである。それは芸術と科学である。(略)まさにこの任務のために芸術(と科学)は常に非政治的でなければならない》あまりに夢想的とも言える美しい結論だが科学がE=mc²という真理による核武装という政治的道具によって「攻撃衝動を忌避する手段」たりえなくなった現在「芸術」に加えて「スポーツ」は未だ「敵同士を共通の価値のために奮い立たせること」の可能性を持ち得ているかもしれない。但しそのためには「芸術とスポーツは常に非政治的でなければならない」ことを再認識すべきですね。つまりインファンティノはトランプに従うのではなく彼を拒否しなければならないはずですよね。ニャン。ベッドを出て朝パンのあとヨメハンと朝の散歩。今年の夏も暑くなりそうですね。
7月9日(木)
コンラート・ローレンツ『攻撃』にはどこかに「攻撃衝動」とスポーツの関係が出てきたはずだと思いながら再読していたけど再読了までにあと12ページというところでやっと出てきた。《闘争が人間の文化生活の中で儀式化され特殊な形式に発達したものにスポーツがある。系統発生的に生じてきた決闘と同じくスポーツは攻撃性が社会集団に損害を与えるのをくい止めるのと同時に攻撃の種維持作用はそのままに保ってくれる。だがその他にもこの文化的に儀式化された闘争形式は人間が自分の本能的闘争反応を意識的に責任をもって制御するように人間を教育するという比類なく重要な役目を果たしているのである。強度に攻撃性を掻き立てる刺激を受けながらもスポーツの「フェアネス」とか「騎士道」が守られるのは人間の重要な文化的業績だ》トランプやそれに従うインファンティノや韓国大統領のように政治がスポーツに容喙したりその容喙を受け入れたりするのはまさにスポーツの「重要な文化的業績」を踏みにじるものなんですね。ニャン。ベッドを出て朝パン食ってイロイロ準備して大船駅から藤沢経由小田急線で向ヶ丘遊園駅から職員専用バスに乗って専修大学へ。スポーツ・ジャーナリズムの12回目の授業はスポーツ以外の「サブ能力(教養)」の重要性について。一例として一昨日の本欄に書いたオペラやミュージカルの映像を見せる。それらを知っていないとトリノやミラノの冬季五輪やF1やブレイクダンス(ブレイキン)の理解が半減しますからね。授業を終えて往路の逆コースのバス→小田急→JRで帰宅。雨模様での"出勤"もイヤだけど夏の暑さも辛いですね。帰宅してすぐに冷たいビール。美味い。チョイと仕事のあとニュース見ながら晩メシ。国会は日本国憲法とは"逆コース"の"後ろへ進む"皇室典範の改訂を進めるんですかね。昨日の東京新聞の「本音のコラム」で斎藤美奈子さんが書いていたし数日前のTBS「報道1930」で保坂正康さんも言ってたけど"右も左も"多くの国民が認める(求める)「直系長子継承」や「女性女系天皇容認論」を無視する政府・自民・維新の「拙速な皇室典範の改定」は即刻撤廃し《世論も新聞も共産党も保守論客も求める議論のやり直し》をするべきでしょうね。
7月8日(水)
ローレンツ『攻撃』再読了寸前。動物の行動がイロイロ紹介されてるときはソレを人間に当てはめて面白かったが著者の「攻撃という動物から見た人間論」が延々と展開されると少々食傷気味になってくる。《一つの救世の本当に全世界を覆うことになってもソレはすぐさま少なくとも二つの激しく対立した解釈−本来の真の救世説と別の狂信的救世説−に分裂し敵対関係と闘争は相も変わらず栄え続けることだろう。何故なら人間は残念ながら今日あるがままのものでしかないからだ》これってキリスト教とイスラム教のこと?こんな結論で良いのかな?嗚呼。ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはワールドカップでのアメリカ選手へのレッドカードにトランプが容喙して逆にアメリカ選手の動きが悪くなったように見えてベルギーに1−4で敗れた話を取りあげ政治家・権力者のスポーツの現場への容喙を非難する話をする。しかし「容喙(ようかい/"喙=くちばし"を"容=入れる")」とはナカナカ面白い言葉ですね。ラジオのあとヨメハンと黒兵衛抜きの人間の散歩。犬の散歩でない人間の散歩はけっこう疲れる。デスクワークは明日の授業の準備や今月末のオペラ・ツアー(蔵出し音楽欄参照)の資料作り。大学の授業もあと3回か…やっぱり学生より俺のほうが勉強になってると思えるのは…俺の教え方が悪いのかな?嗚呼。
7月7日(火)つづきのつづき
ローレンツ『攻撃』はもうすぐ再読了。いろいろ面白い記述と改めて出逢う。ドイツ語の《「遺伝する」という意味のフェアエルベン(Vererben)という語は実はグレゴール・メンデルを遡る何百年も前から「相続する」という法律上の意味で使われており初めは全くの喩えとして生物学上の事象に転用されたのだなどというこ生物学者はもう全然あずかり知らぬこととなっている》ナルホド。小生の持ってる独和辞典にも「遺伝する」の前に「贈与する」という訳語が書かれていた。こんなことを知ったからといってどーってことはないですがなんだか嬉しいですね(笑)。ベルギー戦のあとアメリカのバログン選手(ボスニア=ヘルツェゴビナ戦でレッドカードとなりながらトランプとインファンティノのおかげで出場停止が1年猶予された選手)はベルギーの監督に挨拶に行ったらしい。ベルギーの監督は「君は何も悪くない。敗戦は君のせいじゃない」と励ましたらしい。やはり"部外者"である"権力者"がレフェリーの判定に容喙するのはスポーツもプレイヤーも傷付けるんですよね。韓国大統領もパラグアイの女性議員もスポーツやプレイヤーへの容喙は慎むべきですね。デスクワークは明後日の大学での授業の準備。ワーイ。今回はスポーツと音楽(オペラやミュージカル)との関係の講義です。スポーツと『トゥーランドット』や『アイーダ』や『雨に唄えば』や『ウェストサイド物語』の話。楽しくやりましょう。
7月7日(火)つづき
ベルギーvsアメリカは終わってみれば4-1でベルギーに順当勝利。というかアメリカが自滅。しかしアメリカがアメリカらしい元気あるプレイを見せられなかったのは何故?それはトランプと彼に胡麻擦るインファンティーノがくだらん権力を行使したからではないでしょうか?スポーツマンならあんな非スポーツ的行為を行使されるとイヤになって当然ですよね。なんだかトランプ・アメリカの滅び行く姿が具体的にサッカーの試合に映し出されたような気がする…という感想を持ってしまうのはバイアスがかかりすぎでしょうか?
7月7日(火)
FIFAインファンティーノ会長のアメリカ選手のレッドカードに対する1年間の"猶予"についてベルギー関係者のコメントが秀逸ですね。「7月6日がエイプリル・フールだとは知らなかった」(笑)ベルギーvsアメリカ前半終わって2-1。ベルギーの各選手はサスガにボールさばきが上手いですね。アメリカ選手の動きが悪いのはチョットは"罪"を感じてるのかな?
7月6日(月)
ノルウェーvsブラジルの一戦は"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"での大住さんと後藤さんの予想(指摘)通りノルウェーの勝利となりましたね。それにしてもハーランドの2得点は凄い!バイキング・ローも凄い!それに…トランプの判定(アメリカ選手のレッドカード)への介入はサイテーですね。それに従う(ように見えた)FIFAインファンティーノも最悪ですね。
7月5日(日)
ローレンツ『攻撃』読み進める。様々な動物が"同種内攻撃"を最終段階の手前で止めるのは人間のような「高慢な(自己中心主義的)考え」が存在しないからなのですね。トランプに読ませたい一冊ですね。ベッドから出て散歩のあとチョイと仕事。午後からは長女が川崎フロンターレの新体制発表@洗足音楽大学前田ホールのライヴ中継を見ているのに付き合う。フロンターレのサポーターとの交流&地域密着はナカナカ立派で凄いですね。夕方からTVKで高校野球神奈川大会開会式@横浜球場を見る。入場行進が終わってからの視聴だったため帝国陸軍式行進と自衛隊式行進とその他の行進の割合がわからなかったのは残念だったが神奈川高野連会長がワールドカップ日本代表の応援のあとは高校野球を応援…と言ったのは最悪ですね。高校野球はプロか?朝日新聞横浜支局長も神奈川県知事も高校野球のプロ野球やメジャーとの関係を力説。高校野球って高校教育の一環としての部活動とは考えられてないようですね。夜は初めてNHKの『豊臣兄弟』を見る。本能寺の変が近づきましたからね。小栗旬信長は頑張ってたけど…なんだか日本の歴史とは無縁のようですね。続けて養老先生の近況を見てベッドへ。
7月4日(土)つづき
コンラート・ローレンツ『攻撃』読み進む。「連帯のきずな」の章で「きずな」の英語が「band」と出ていたので驚いた。「きずな(絆)」は普通「bond」ではないのかと思ったが「band」のほうがより「絆」の意味として良いなと思いながら読み進むと集団(グループ)が「Gruppe」と出ていたので愕然。Konlad Lorenzはドイツ人だったと思い直す。しかし「絆」は英語でも「band」のほうがイイですね。ニャン。カーボベルデの闘いに感激したあと少し仕事してると長女が来宅。コンビニで売ってる安物シャンパンを飲みながらワールドカップのイロイロをDAZNで見て談笑。「日本もカーボベルデのように攻撃しなきゃ」「次のスペイン大会からはそれができるようになるますがな」とかさんざん喋ったあとボーナスの入った長女のオゴリでヨメハンと3人で『鮨処もり山』へ。黒兵衛の焦点に花束を添えてくれた御礼を言って美味しいお寿司を味わう。なかでも鰊の刺身と握りの旨さに感激。イロイロ味わってほろ酔いで帰宅。久し振りの休日でした。
7月4日(土)
朝日テレでアルゼンチンvsカーボベルデを見る。メッチャ面白かった。1-1で延長に突入。延長前半にアルゼンチンが1点リードしたのをカーボベルデが追いつき延長後半に再びアルゼンチンゴール!残念ながらカーボベルデは力尽きたけど本当に素晴らしい一戦でアフリカの小さな島国が見事に存在感を示しました。ディフェンス一辺倒じゃなく互角に戦う覇気を立派に示していましたからね。世界の少数派ガンバレ!
7月3日(金)
朝ベッドから出て散歩のあと日テレでポルトガルvsクロアチアの試合を見る。今回のW杯には文句を言いたいことが山ほどあるけど試合はヤッパリ面白いですね。ポルトガルがクリスチャン・ロナウドを引っ込めて2-1で勝利!!試合終了寸前のクロアチアの同点ゴールはオフサイドかぁ…ラウンド32のサッカーの勝敗はほとんどが紙一重ですね。しかしそれを「ドラマが生まれた!」と言うのはやめてほしいですね「ドラマチック(劇的)」ではあっても「ドラマ(劇)」ではないですからね。
7月2日(木)つづき
ベッドから出てイロイロ準備して大船駅へ。東海道線藤沢駅から小田急で向ヶ丘遊園駅へ。専修大の職員専用バスに乗ろうとすると歩き始める寸前に乗り場に停まっていたバスが出発。俺の乗る電車とバスの出発時刻がいつも少しの間隔でズレてバスに乗り遅れてしまう。おまけにバス乗り場が一番遠くグルリとロータリーを回らなければならない。糞ッと思いながら20分待って次のバスに乗るのがもどかしくタクシーに乗る。1200円の出費。糞ッ。大学のスポーツ・ジャーナリズム11回目の授業は「スポーツを考える」。考えること悩むことの違いを情報の智がで説明したあとスポーツの様々な考えるケースを提示。明治時代に欧米から伝わったスポーツのなかで日本では何故野球が一番人気になったのか?北米では野球・南米ではフットボールを人気が分かれた理由は何故か?IOCが五輪出場選手に1万ドル支給することに決めたのは是か非か?W杯の出場チームが32から48に増えたのは是か非か?またダイナミック・プライシングなどのFIFAの施策は是か非か?……などについて考えてもらい話し合ってもらう。答えのない質問を順序よく証拠を組み合わせて考える練習ですね。授業のあと職員専用バスで向ヶ丘遊園駅へ。小田急&JR経由で帰宅。チョイと疲れたので早々にビールを飲んだ晩メシ。早々とベッドへ。
7月2日(木)
ローレンツ『攻撃』読み続ける。オモシロイ。《家族というものが社会的集団の原型であり今日高等生物に見られる全ての形の社会的社会的集団はそこに由来するという。確かに大多数の社会性昆虫(いわゆる国家をつくる昆虫)屋いくつかの哺乳類とくに人間を含む霊長類にはそう言えるかもしれない。しかしこれは決して一般化できることではない。最も広い意味における「社会」の原型は「無名の群れ」の形成であってこの典型的な例になるのは大洋に住む魚類である》ナルホド。イワシやサバなど数多くの魚はデッカイ塊になって一定の「正の方向」へ向かって泳いでるのですね。《一匹がある方向へ決然と進むと他の魚も必ず同調する(略)ある意味非常に民主主義的な効果》だが《群れの個体数が増せば増すほどその群れは決断がし難くなり(略)彼を群れに引き戻そうとする(略)小型の魚の群れが密集した大きな群れは優柔不断カリカチュアだ》魚の群れを人間社会のあっさり置き換えるのは余り良いことには思えないがコレを独裁者の誕生にブレーキをかける民主主義の良さと捉えるか少しは勇気ある指導者(独裁者)に従うべきと捉えるか難しいですね。まぁ魚には選挙制度がないけど人間にはそれがあるとう違いに注目すべきでしょうね。ニャン。
7月1日(水)つづき
ラジオのあとヨメハンと二人で黒兵衛抜きの散歩。結構汗をかき疲れる。犬と散歩していたときは犬が主導権を握り人間の散歩ではなく犬の散歩だったことがよくわかる。散歩のあと明日の大学の授業の準備などイロイロ仕事。晩メシは久し振りにオペラをDVDで見ながら。ミラノ・スカラ座の『アイーダ』はパヴァロッティ、キアーラ、ディミトローヴァ、ギャウロフなどオールスター・キャストの1985年の舞台も凄いけどやっぱり2008年のゼッフィレッリの演出の色彩は素晴らしいですね。久し振りにサッカーから離れた一日。ノルウェーはハーランドが凄かったらしいですね。日本は返す返すもイロイロ残念でしたね。
7月1日(水)
ベッドでの読書ローレンツの『攻撃』再読を復活させる。動物の行動を人間に適応させての表現がオモシロイ。《女性が途方もなく尊重されるアメリカですら本能に卑屈な男は尊ばれない。男の理想像というのは夫が強力な精神的肉体的優位を保っていながら儀式として決まった法則に従って彼の妻のごく小さな気まぐれにすら服従すると言うことなのだ。注目すべきは軽蔑すべき本当に卑屈な男のことを呼ぶ言葉に動物の行動からとった「hen-pecked」つまり雌鶏に突かれる男というのがある。このたとえは男の異常な卑屈さを実に見事に描きだしている》なるほどこの説明でハリウッド映画の男優の女優に対する態度(演技)がよく理解できますね。ニャン。ベッドから出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは日本代表のブラジル戦惜敗に触れたあとIOCのコベントリー会長がミラノ・コルチナ冬季大会以降オリンピックに出場した全選手に1万ドルを「支給」すると発表したことについて。アマチュアリズムで始まったオリンピックも様変わりしましたね。アマチュアリズムも労働者排除の差別思想ですが現金支給は労使関係を結ぶということでしょうか?