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9月1日(火)
ベッドでの読書は難波優輝・著『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)読み始める。帯に《競争・成長・感動・ナショナリズムを疑う/美談によって覆い隠されていたスポーツ観を問い直す》とありコレは読まないといけないと買った一冊。第1章でキチンと《スポーツの起源と定義》から始まっている。小生の知らなかった《ヘザー・リードというスポーツ哲学者のリーダー》が《古代ギリシアが民主主義と哲学とオリンピックを生んだことは偶然ではないという。《古代ギリシア人たちは公平な手続きによって最も優れた者を選び取ることに価値を見出していたから投票による民主主義・議論による哲学・競争によるオリンピックという誰もが「勝ち負け」を明確に見て取れることに夢中になったのだ》なるほど。オモシロイですね。ノルベルト・エリアスの「文明化の過程での非暴力化の社会から生まれた民主主義とスポーツ」という考え方とは少々異なるうえに「議論による哲学」が「勝ち負け」を明確にするかどうかは疑問があるとは言え「公平な手続きから最も優れた者」を選ぶのがスポーツという考え方(定義)はオモシロイ。そこで選ばれたアスリートが「最も優れたっもの」か否かという疑問こそポストモダンのスポーツに対する考え方と言えそうですね。ニャン。ベッドから出て朝パンのあとメールの処理などを済ませて大船駅へ。品川経由新幹線で名古屋へ。中日文化センターでの久し振りの「オペラ講座」は「『カルメン』に続く"オペラ殺人事件"特集」としてイタリア・ヴェリズモ(リアリズム)オペラの『道化師』『カヴァレリア・ルスティカーナ』『アンドレア・シェニエ』『アドリアーナ・ルクヴルール』を紹介。かつての神々や王様の争いではなく普通の人々の不倫や純愛や嫉妬から出た殺人事件を究極の美しいメロディで描いたイタリア人の感覚(歌舞伎の心中事件の感性にチョイと似てますね)をイロイロ話して新幹線でビールを飲みながら帰宅。遅い晩メシ食べながらテレビをつけるとネパールの大洪水のニュース。隣家のネパール人家族に影響がなかったのは何よりでしたが日本の大雨の連続の一方でのダムの枯渇など地球温暖化はとうとう大問題の域に達したようですね。

9月2日(水)
『アンチ・スポーツの哲学』読み進める。オモシロイ点も多々あるが疑問点も少なくない。《スポーツは本来的に道徳とは関係がない》と書かれていて本書のコンテキストからメディアや体育教育が強調するナンセンスな「スポーツ=道徳論」を否定したい気持ちはよくわかる。が非暴力化の文明から生まれたスポーツが生得的に「殺すな!」「傷つけるな!」というメッセージとルールを有していることは「道徳とは関係ない」とは言えないのではないかな?そこからスポーツには体育・知育・徳育の全てが備わった文化と言えるわけでは?また1984年のロス五輪の柔道決勝で右足を骨折していた山下泰裕の右足を攻めなかったラシュワンを讃えるメディアを批判して「勝つためにはケガしたところを狙うのは立派な戦略」と山下も言っていると発言した吉田沙保里選手の言葉を《スポーツするとは本当はこういうこと》と評価している。がラシュワンが山下の右足を攻めなかったと「美談」に仕上げたのは日本のメディアで本当はラシュワンは山下の右足を攻めてもいたし山下氏自身から「攻められた」とも聞いた。ラシュワンは山下の右足を攻めても山下が倒れないから一本足で立っているその左足に攻撃を変えたのだ。一本足で立ってる左足を払えば絶対に山下は倒れますからね。つまり著者が批判しているのはスポーツに対する(日本人の?)一般論ではなくメディアの誤った世論形成と思える部分も少なくないようなのだ。しかし勉強になる点も多いので読み進めよう。ニャン、
9月2日(水)つづき
ベッドを出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはプロ野球が来年からピッチコム(バッテリーや野手との間のサイン伝達電子装置)の使用を許可するというもの。この装置は日本のスポーツ・メーカーが先陣を切って開発していたのに「ジャミング(妨害電波)で使い物にならん」とスパイ野球華やかなりし時代に拒否されたのですね。まぁピッチコム採用は当然としてもそれが試合時間の短縮が目的ならベンチからのこのことマウンドに歩き寄って会議を開くこととかバッターが打席に立つときの応援歌の前奏の長さなどの短縮(あるいは廃止?)も考えるべきですね…という話。ラジオのあとは部屋の片付けやメールの処理。それだけでけっこう時間がかかるもんですなあ。仕事してる(原稿書いてる)ほうが楽ですね。ニャン。

9月3日(木)
難波優輝『アンチ・スポーツの哲学』(朝日新書)モーレツな速さで読了。メッチャ面白く勉強になりました。ただしアカデミズムの本ですねぇ。ジャーナリズムだったら結論(いちばん面白い過激なところ)を最初に持ってくるのにアカデミズムはわかりきった事柄も一つ一つ潰してから最後に結論が来るから少々カッタルイ。スポーツは《すごいやつを決めることを目的とする活動》ということで話が進むなかでシュワルツェネッガーの『プレデター』のことかいな?などと茶々を入れながら読むうちに最後についに今のスポーツの示す《すごさ》の誤り(男性健常者中心の差別意識によって示された凄さ)が指摘され《世界にはもっと無数の凄さがある》という言葉に辿り着く。ブラーヴォ!それが現在(ポスト・モダン)のスポーツ・ジャ-ナリズムのテーマなんですよね。本書はホイジンガもカイヨワもエリアスもガットマンもメイラーも虫明亜呂無も出てこずに小生の知らない(新しい)スポーツ哲学者や研究者がワンサカ出てきてオリンピックやパラ・スポーツに対する考え方で教わることの少なくない好著でした。仲間のスポーツライターにも読むことを薦めましょう!《新しいすごさを探索し続けること。男性中心主義でもなく健常者中心主義でもない多元的なすごさを祝福すること。(略)真のスポーツ精神に基づくならば私たちは女性がものすごく有利になる競技を発見しなければならないし障害を持つ人がものすごくすごいことをする競技をさらに発見しなければならない》TAMAKIのスポーツ・ジャーナリズムとして既にガンバってまっせー。ニャン。仕事部屋の整理整頓がまだ終わらずナカナカ掃除まで手が回らない。別に焦ることはないとは言えナンダカ腹が立つ。本棚の本をあっちへやったりこっちへやったりするだけで一日が潰れると少々フラストレーションが溜まりますね。あっと言う間に夕方の散歩と晩メシの時間。虎vs港星を見ながら。サトテル2ホーマー。しかし…メジャーで通用するかどうかは少々心配ですね。どうも打撃フォームがメジャー向きではない気がして。もっとアップライトに構えないと…なんてド素人が勝手に心配しています。

9月4日(金)
読む本がなくなったので昨夜本棚のアートコーナーから高橋龍太郎『現代美術コレクター』(講談社現代新書2016年刊)を手にベッドへ入る。さほど好きでもない"現代アート"だったので資料としていわゆる"積ん読"にしておいたのだがページをめくるとメッチャ面白い。1990年代からの日本アートを"ネオテニー(幼体成熟)"と名付け《現在のヒト(人類)は性的に成熟したサルの胎児である》と説明された瞬間ガーン!と現代アートの面白さが全てわかった(と確信した)。明治以来の西洋近代絵画の模倣の短い歴史の末に"幼体成熟"した"ニッポン・アート"は千年以上の長い歴史がある"日本絵画彫刻等"の伝統を内部に保持しながら西洋アートとしては"ネオテニー"として《世界の頂点》に立ったわけですね。いやはや草間彌生を初めとする日本の現代アートを理解するのにこれほどわかりやすい説明はない。本書を一気に半分以上読んだがワケのわからなかった現代日本アートが一気に身近に感じられるようになった。山口晃というアーティストの名前も出てきて彼は東京2020パラリンピックの素晴らしいポスターやNHKの大河ドラマ『いだてん』のタイトルバックを描いた作家だとわかったが彼には『八相図』なんて凄い作品もあるのですね。そう言えば小生にも現代アートと接点のあったことを思いだした。昔浅川マキさんの事務所で手伝いをしていたときに新宿文化アートシアターでの大晦日コンサートのポスターを合田佐和子さんに頼んだことがあった。が彼女が描いた浅川マキさんの顔の絵をマキさんが気に入らなかったらしく「これ…どう思う?」と訊かれた。常に自分の顔を隠すようにして歌っていたマキさんの顔がバーンと正面を向いてるだけでも作品としては迫力があったが…ナンダカ迫力がありすぎて…小生も答えに窮したのを憶えている。その後ポスターはどうなったのか…は忘れた。がその年の大晦日コンサートも素晴らしかったのは憶えてる。
9月4日(金)つづき
『現代美術コレクター』は小生の専門(スポーツや音楽)とは無縁だから気楽に…と思って読み出したが「ネオテニー」の他にも注目すべき言葉が次々と現れた。《マインドフルネス=気付き・本質に気付くこと》《一即多・多即一》《アートとは作品そのものにあるのではなくてそれを感じ取る人の心のうちにあるのだ》《人間がものをつくり生きていくことは自然に背く行為であり根源的な暴力です》《死んでゆく絵画は死ぬしかない。しかし本当の絵画はどんな歴史があろうとも蘇り生き続けるだろう》《センチメンタルで透明な哀しみに溢れた自身の肖像くらい女性を満足させるものはなかろう(荒木経惟氏の女性写真に対する著者評・合田佐和子氏が描いた浅川マキさんの肖像は真逆だったようですね)》《人は集団になればなるほど子供っぽくなるのはどの集団でも自明だ》《集団化とは退行化との誤解も招くが正確に言えば子供化の最良の手段とも思える》精神医である著者の言葉は小生の専門分野にも転用が可能なものも多くありそうですね。ニャン。相変わらず今日も部屋の片付け。どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ…ですね。晩飯食べながらTVのチェンネルを回していたらBSテレ東で『徳光和夫の名曲ニッポン・熱演熱唱ドラマチック2時間歌謡SP』という番組で三波春夫先生の長編歌謡浪曲を次々といろんな歌手が歌う番組をやっていたので見てしまう。女性歌手による『俵星玄蕃』も『高田馬場』もよかったですね。滅多に聴けない『赤垣源蔵』や『上杉綱憲(千坂兵部)』や『平清盛』や『壺坂霊験記』もよかったし三山ひろしの落語歌謡『厠火事』も面白かったですね。三波春夫さんの「日本のオペラをっやりたい」との精神は若い人に引き継がれてますね。ブラーヴォ!

9月5日(土)
高橋龍太郎『現代美術コレクター』(講談社現代新書)読了。コレクターとしてはロサンゼルスで3万円程度の現代美術と国内のカメラマンの万円程度の作品しか買ったことがない小生にも(好きで買ったのだから今も喜んでますけど)本書は現代アートの価値が再発見できて非常に興味深く読めた一冊でした。日本の文化予算は年間1千億円程度。フランスの4600億円韓国の2700億円と較べれば人口比と重ね合わせて日本が悲しいほど非文化国家だとわかりますね。スポーツ庁の年間予算が400億円弱。totoの分配金を加えても600億円弱だと知ると我が国は文化国家でもなければスポーツ国家でもないことがわかりますね。だったら「何国家?」兵器蒐集国家かな?ニャン。今日もまた仕事部屋の後片付け。トホホ。晩メシは虎vs港星。今にもすぐに逆転できると思って見ていたら虎が負けてしまったですね。まさか虎の選手までそう思ってプレイしていたわけじゃないでしょうけど…そうかな?何はともあれ石井大智投手の復活は嬉しいですね。

9月6日(日)
サッカー・ジャーナリストの大住良之さんの紹介で送られていた一冊。村社淳・著『フェアプレーの鏡』(知活社)をベッドで読む。面白いので200頁を一気に読了。現代の様々なスポーツ・シーンを次々と抜き出して"フェアプレー"という切り口で描かれている。どれがフェアプレーでどれがフェアプレーでないのかキチンと判定できないところがメッチャ面白い。国によってはフェアプレーの基準も違う。《イタリアでは結果が求められイングランドでは努力が求められる》というジャンルカ・ヴィアリ(イタリアでサッカー選手として活躍しイングランドで選手・監督として名を馳せたイタリア人)の言葉も面白いし著者の書く《フェアプレーの"コツ"=気取って勝て!》という指摘もナカナカ鋭い。著者はフジテレビで『プロ野球ニュース』の記者や『すぽると!』の編集長としてとして活躍した人物。この本は大学の授業で「スポーツとは何か?」を考えるときのテキストに使いたいですね。その前に著者に"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"に出演をお願いしようかな?ニャン。今日もまた終日部屋の片づけ。嗚呼。夜の長時間読書で昼寝が長くなって夜昼逆転のようになってしまった。秋雨前線と颱風で涼しいのはイイけど夜昼逆転は後期高齢者目前の老体にはチョット辛いですね。何日も徹夜で原稿書いてた若いときとは違いますからね。晩メシのあと何日か前にNHK-BSの放送を録画した『黒い絨毯』を見る。都会生活ができない野生児丸出しの男(チャールトン・ヘストン)が南米のジャングルで現地人を使って農園を開発。花嫁を募集してやって来た美女(エリノア・パーカー)の都会的センスが受け入れられず三行半を突き付けたところで殺人蟻の集団が"黒い絨毯"となって男の創りあげた農園や豪邸を潰そうと迫る。その殺人蟻集団と闘う男をアメリカへ帰れなくなった妻が精神的に助ける物語。原題は「The Naked Jungle(裸の密林=本当の自然)」。野生児と言っても人間(アメリカ人)は結局自然と闘って征服するほかないわけか…と思いながら見ると単なるハリウッド危機映画(disaster movie)もけっこう面白く見ることができました。

9月7日(月)
ベッドでの読書は柿原正郎『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』(ちくまプリマー新書)。『ちくま9月号』に《eスポーツは決して不健全な遊びではない》とあったのにちょっと違和感を憶えながら購入。本署の帯にも《eスポーツは遊びじゃない》とある。遊びじゃないなら労働か?遊びが悪いのか?とツッコミを入れたくなる。かつて虫明亜呂無氏は《職業野球はこの世の果ての遊びであった。球場には頽廃と淪落の風情がたちこめていた》と書いた。そしてこう続ける。《だから僕は職業野球にひかれた》。eスポーツを擁護推進したい人々はまだ虫明氏の文化理解の域には達していないようだ。ならば明治時代の東京師範学校蹴球部の学生たちのようにeスポーツも遊びなどではなく《?を練ると同時に精神の修養を成し他日大いに活動する土台を作る》ために行っているのか?後発のスポーツであるeスポーツ関係者も富国強兵時代の明治時代のスポーツ愛好者たちと同じ言い訳を駆使しなければならないのかな?と少々可哀想に思える。まさか戦争に備えてeスポーツをするわけじゃないでしょうが…どんな言い訳を連ねなければならないのか読み進めてみます。ベッドから出て朝パンのあと土曜日深夜にNHK-BSで放送のあったウィーン・フィルのシェーンブルン宮殿での野外コンサートの録画を見出すと止まらなくなって1時間強ほど見てしまう。ロレンツォ・ビオンティの指揮は少々堅かったけどバリトンのブリン・ターフェルの歌唱はファルスタッフやミュージカルからワーグナーまで達者で楽しかったですね。昼間はイロイロ資料調べのあと晩メシ時にはNHK-BS録画のつづきベルリン・フィルのヴァルト・ビューネ野外コンサートを見ながら。イタリア特集でカウフマンの『道化師』や『カタリ・カタリ』などなども見事でしたけどペトレンコの指揮は絶品でしたね。『ローマの松』も凄い迫力。ウィーン・フィルもベルリン・フィルも世界的に超一流のオケが大衆文化のローカル・イベントをきっちりこなしてるのは素晴らしいですね。その点N響は…?

9月8日(火)
柿原正郎『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』(ちくまプリマー新書)モーレツな勢いで読了。全200頁余のうち123頁まではeスポーツも既存のスポーツに引けを取らないくらいのスポーツとしての価値があると言いたいのですね。ハイハイ。著者が《伝統的なスポーツ中継との大きな違い》を指摘してもそんなに違わないですよと茶々を入れて読んでいた。がソレ以降にeスポーツ・ビジネスの《「観ること」がのまま売上につながる仕組み》の説明以降最後のeスポーツは《AIとともに生きる時代の道場になれる》という提言まで一気にeスポーツならではの展開に圧倒されてしまった。もちろん《eスポーツのチームプレイは(略)共感やリーダーシップを単なる知識としてではなく身体感覚のある経験として学ばせやすい》という指摘など「身体感覚!?」ホンマカイナと(eスポーツをやったことのない人間には)にわかに納得できない文章もいくつかあった(それに日本の野球文化に対する高評価には首を傾げた)とは言えプロ野球を反面教師としてJリーグというサッカー文化が築かれたあとの新しいスポーツ文化としてのeスポーツ文化には大いに注目しなければならないことを教えてもらった。なかでも最も驚いたのはeスポーツの有名な2つのリーグ戦でのスポーツベッティングの取扱高(2024年)が《107億ドルに達したこと。さらにeスポーツ全体の賭けの70%が無認可市場で行われている》と書かれていたこと。1.5兆円レベルの賭け金を動かしているとは…良し悪しはさて措きマイッタ。著者は「さいごに」と題した後書きで《ゲームやeスポーツが持つ可能性をもっと多くの人に知ってもらいたい》ので《ゲーム依存の問題などのネガティブな側面やリスクについてはほとんど扱いませんでした》と正直に書いている。スポーツの未来を考えるうえでの日本人の必読書として多くの人に勧めることにします。ニャン。
9月8日(火)つづき
ベッドから出て朝パンのあと少し仕事の整理。そのあと本願寺の雑誌『御堂さん』のZOOMインタヴューを受ける。テーマは『全力!ツッコミ2026 トランプはん ええかげんにしなはれ!!』との仮題でトランプ大統領に対する意見を言う特集。小生にはもちろんワールドカップなどでトランプがスポーツに容喙したことへの批判を求められる。喜んでトランプ批判と共に彼を全面的に受け入れたインファンティーノFIFA会長も非難。さらにトランプ一族が支持したエンハンスト・ゲームズ(ドーピングOKの大会)や米国建国250年祭でホワイトハウス前で行われた格闘技やインディカー・レースも非難。ついでに高市首相も批判。最後にトランプに何か言いたいことは?と訊かれたので「頭を叩いてアホ!と言うしかない」と答える。午後から仕事部屋の整理を続けようと思ったが深夜の長時間読書のせいで夜昼逆転。昼寝が長くなって作業は進まず。雨がまだ降らないのでヨメハンと散歩。名古屋はスゴイ大雨でテレビのニュースで見るといつもオペラ講座で行く栄の中心街もまるで大河。これも明らかに「トランプはん ええかげんにしなはれ」と言いたくなる結果ですよね。

9月9日(水)
ベッドのなかで『ゲームで生きていく eスポーツが変える教育とキャリア』再チェック。やはり納得のいかない部分を考える。詰まるところは"身体性"の問題でしょうね。それと障碍者との関係が書かれていないことかな。"eスポーツ嫌い"の小生としては直接会話を交わしたことのある人物のなかで唯一のeスポーツ肯定派とも言える(本書にも登場した)ヨシモトの芸人・小薮千豊さんの著作『ゲーム反対派の僕が2年で4000時間もゲームをするようになった理由』(辰巳出版)も読んで見ることにしましょう。ベッドから出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはプロ野球オーナー会議で"スポーツ振興くじ"に参加することが決まったこと。小生はtoto賛成派として衆院の文教委員会でもJリーグが誕生したあとに参考人としてtotoを導入することに賛成の意見を話したことがある。それはJリーグのチーム名に企業名を入れることを主張していたメデイアがあったから。読売グループが読売ヴェルディとか日産マリノスという言葉を使ってJの理念に反する行為を行っていたけどtotoが導入されたら企業間の格差の存在する名称など使えないですからね…というワケだったけど今回はプロ野球球団の企業名の問題には触れずにtoto導入が決まった。おまけにプロ野球球団に分配金が渡るらしい。Jリーグのチームには配られてないのに…。これでいいのかな…。ラジオのあと本棚の整理をしていたら『はじめてのイタリア語』(郡史郎・著/講談社現代新書1996年)なんて本が出てきた。パラパラ読むとメッチャ面白い。イタリア語の挨拶のciao(チャオ)という言葉は"奴隷"を意味する"schiavo(スキアーヴォ)"がヴェネツィア方言で"スチャーヴォ"と発音されてそれが"チャオ"となったもので元々は「私は貴方の僕(しもべ)です」という意味だったらしい。他にもイタリア語の"cachi(カキ)"は日本の"柿"のことだが語尾に"i"があると複数形なので1個の柿は"caco(カコ)と言う…とかオペラ『蝶々夫人』の衣裳は"chimono(キモノ)"だが複数は"chimoni(キモーニ)となるなど面白いコトがイロイロ書かれていて部屋の整理は進まず。トホホ。晩メシは野球3試合をBSで見ながら。そー言えば昨日のホークスの周東の満塁ランニング・ホーマーは見事でしたね。こーゆープレイが出るから野球は面白いのかな?

9月10日(木)
ベッドでの読書は今月少々長い原稿の締め切りの準備として小生編集の虫明亜呂無氏のスポーツ論集『時さえ忘れて』を読み直す。《スポーツは遊びである。遊びだから贅沢である。それは歌舞音曲や美味しい料理や男女の交情と同じように人生の飾りであり一期の夢なのである。こうした精神はもともと京阪神を中心とした上方生活に根付いて長い伝統の試練にかけられ開花し実を結んでいった。(略)間違ってもそこには東京などで流行していた青少年の身体鍛錬の手段としての野球とか学校教育の一環としての野球などという痩せて枯れた考えはなかったであろう。(略)野球は遊芸が盛んで料理が美味くて女性文化が優遇されている土地でないと強くならない。生活を満足に享受できない者がどうしてスポーツの遊びを謳歌できようか。(略)偉くなりたい奴は東京へ行け。人生を愉しみたい奴はこっちに残って野球をやろう》スゴイですねえ。《職業野球はこの世の果てお遊びであった。球場には頽廃と淪落の風情がたちこめていた。だから僕は職業野球に惹かれた》《職業野球は辺境の娯楽であった。(略)日中戦争が始まり日本が戦時色に塗り潰され始めると職業野球はこの世に残された唯一の娯楽になった。(略)職業野球が本当の値打ちーゆるぎない存在理由を見せ始めたのはこの頃からである》《なぜ職業野球に惹かれたのか。個人的なことから書く。情事からである。(略)野球はどこかセックスに直結していた。僕はだから荒廃とした野球場を愛した》どこまでも引用したいスゴイ文章ですね。しかし大阪がイシンとやらと権力志向を剥き出しにして神戸も妙な首長が支持され(京都はどうした?)世の中は変わったようですね。ベッドから出てベッドの読書の延長で終日イロイロ原稿書きの準備。晩メシは先週名古屋でのオペラ講座で取り上げたチレーアのオペラ『アドリアーナ・ルクヴルール』を見ながら。フレーニとコッソットの女性歌手二人はスゴイですね。これはヨメハンとボローニャ歌劇場の来日公演を見たけど生涯にナマで観たオペラとしてはクライバー指揮の『ばらの騎士』と並ぶ最高傑作でしたね。あ。もう一つ。グルベローヴァの『椿姫』もありましたね。昔はけっこう贅沢してましたね。バブルの恩恵だったのかな?

9月11日(金)
ベッドで虫明亜呂無氏の「スポーツ論」を読み進む。たとえば千宗室氏の御点前を見ながら。《優れた茶人とは優れた機能を備えた点前のメカニックということができる。人間が機能そのものになりかわってゆくこと。その機能とはとりもなおさず人間の知恵・肉体の動き・筋肉の集中作業そして人間の意志と思考による肉体の拡散作業。何よりもそれらの全ての作業を支配しコントロールする人間の傾斜力などを指す。一言で言えば最も情念的な人間こそ最もスポーツ的な人間という考えが尊重される》十回以上読み直さなければ理解できない文章だが面白い。虫明亜呂無流スポーツの美学は身体論の極みと言える。そこで次のような文章も生まれる。《誰が悪いというのでもあるまい。おそらく日本人の感受性がどこかで安直に何かに寄り掛かりやすくできているのであろう。スポーツを好きそうでいて実はスポーツに愛着を持っていない国民性がそうしからしめるのであろう。スポーツに名を借りたドラマだけが愛好されるのであろう。段取と筋書と情況だけが常に関心の的であった》そして決定打が放たれる。《野球に限らずゲームは黙って観ていたほうが遙かに美しい》。嗚呼。虫明亜呂無の時代は消え去り化石と化してしまいましたね。ベッドから出てデスクワークは雑誌『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ批評」の第110回。来シーズンからセ・リーグがDH制を採用しNPBがピッチコムの導入を許可するコトを取り上げ日本の野球がMLBの尻に従うだけで「思想がない」ことを書く。野球だけでなく政治も同じですね。ニャン。張本勲氏逝去のニュース。30年以上前に講談社の月刊『現代』でロングインタヴューをさせてもらったときは被爆の話をいろいろ聞いたりケロイドで不自由な右手の指を見せてもらったりもしたが「真面目に聞いてくれたらから答えたり見せたりしたけど原稿には絶対に書いてくれるな」と言われた。「言い訳はイヤだから」と。その後被爆体験を公言して反戦を語るようになられるのに20年くらいの月日が必要だったのですね。合掌。

9月12日(土)
ベッドでの読書は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(早川書房)。最近『3:帝国の緩やかな黄昏』と『1:二つの世界大戦と原爆投下』は2度目の完読を果たしたので『2:ケネディと世界存亡の危機』を再読し始める。どの巻もそうだがまるで現代のトランプ政権下ののアメリカ史を読んでいる錯覚に陥るほどアメリカは同じようなことを繰り返していますね。第二次大戦直後はF・ルーズベルトの意志を継いだ平和主義者のウォレス人気が上昇。するとトルーマンの民主党も共和党も彼を共産主義者と非難。そして赤狩り(レッド・パージ)に発展。現在の民主党の民主社会主義者にトランプが共産主義とレッテルを貼って非難するのと同じ構図ですね。トランプの咆哮が赤狩りに発展しないことを願いたいですが…ちなみに第二次大戦後の赤狩りの旗を振ったハリウッド関係者はロナルド・レーガン&ロバート・テイラー&ゲーリー・クーパー&ウォルト・ディズニーらだったが《議会による魔女狩りを堂々と非難した人も多く》ハンフリー・ボガート&グレゴリー・ペック&ジーン・ケリー&ウィリアム・ワイラー&ルシル・ボール&フランク・シナトラ&バート・ランカスター&ローレン・バコール&オーソン・ウェルズ&キャサリン・ヘップバーン&ヘンリー・フォンダ&ベニー・グッドマン&グルーチョ・マルクス…らだったとか。このあたりがアメリカを馬鹿に出来ないところですね。高市支持の…いや…トランプ支持のハリウッド関係者は誰かな?明日の沖縄県知事選はどうなるかな?ニャン。デスクワークは虫明亜呂無氏の本を傍らに置いてソロソロと少々長い原稿に取りかかり始める…が…締め切り日に余裕があると思うとなかなかエンジンがかからないものですね。

9月13日(日)
『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』ベッドで読み進む。第二次大戦が終わった直後の"世界"は冷戦後の現在の世界とよく似てる。勝利の喜びは束の間。あっと言う間に東西対立と石油の争奪戦が始まる。そして平和勢力が排除され"力の支配"が始まる。昔核兵器。今は核+ドローンか。沖縄県知事選は辺野古基地推進派の勝利。ドローンが主流の世の中で新たな基地が必要なの?普天間基地は本当に返ってくるの?10年後の所得倍増は可能なの?第二次大戦後の世界史を見直すとわかることが少なくない。全ては石油と金儲けをするために対立する脅威に対する過大視を煽るところから始まるのですね。話し合う力(民主主義の力)の低下が金儲け勢力とそのオコボレを求める勢力の台頭を促すのですね。今必要なのはジャーナリズムのはずですが…嗚呼。♪今日は日曜サンデーというのにイロイロ仕事。まぁ仕事をするのが好きなので良いのですが結局部屋の整理整頓は進まないまま。本棚の本は溢れたまま。机やテーブル上の資料は乱れたまま。これが生きてる証拠かもしれません。虎は巨人に3連勝したあと気が緩んだのですかね。今日で6連敗。しかし虎の才木と竜の高橋の投げ合いは見事でしたね。それ以上に見事と思えたのが北口榛花選手の復活です。虫明亜呂無氏が書いていたけど槍を空気に乗せる最上のフォームを一度見失った選手がそれを取り戻すのは非常に困難なことらしい。けど彼女はその困難さに打ち克ったのですね。素晴らしい!テレビのニュースで流れた彼女のフォームを何度も観ると確かにスポーツにおける人体のフォームは虫明氏の言うとおり佗茶の点前にも似てるのですね。納得。

9月14日(月)
ベッドでの読書『もうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』はマッカーシズムから朝鮮戦争。ソ連に歩み寄りを見せたアイゼンハワーの報告書が素晴らしい。《国家安全保障とは軍需品の備蓄数や兵士の数あるいは無敵の兵器を独占してるかどうかで測れるものではない。そういったものはドイツや日本がかつて考えた力でありそれらは戦争の試練のなかで誤りだと証明されている。平時においてさえ物質的な強さの指標は信頼できない。武器は陳腐化し価値がなくなる。巨大な部隊はそれを支える国の力を奪いつつ崩壊してゆく》こんな解り切ったことをタカイチは何故また繰り返すのでしょうかねえ?ニャン。イロイロ仕事をしていると講談社から今月の現代新書の新刊4冊が届く。うわっ。どれも読みたくなる本ばかり!高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』帯に《機械は考える!人間は機械だ!世界を大きく変えた「人工頭脳の父」の生涯と思考》とある。シビレ・シュタインバッハー『アウシュヴィッツの歴史』《110万人以上が犠牲になった大量虐殺の実態とは?ドイツ近現代史の確信がわかる!》神野志隆光『日本書紀を読む』《神武天皇から持統天皇まで「日本」王朝の正当な歴史を見よ!》堀田和義『ジャイナ教』《虫一匹…いや微生物も殺すな!世界一ピュアでストイックな宗教》…さてどれから読もうか…。本の世界ほど面白いものはないですね。
9月14日(月)つづき
夕方から"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTube収録。今日のゲストは高野孟さん。小生が本物のジャーナリストと呼んでる数少ない人物のうちの一人で以前角川書店と組んで開講していたジャーナリズム塾でも講演してもらいInformationとIntelligenceの違いを講義してもらった。今回は「日本のメディアとジャーナリズムを考える!日本にジャーナリズムは存在するのか?!」をテーマに�@首相記者会見の一社一問一答はジャーナリズムと言えるのか?�Aジャーナリストは与党や野党に与しても良いのか?�Bスポーツを運営するメディアにスポーツジャーナリズムは可能か?…といったことについて存分に語ってもらいました。"国境なき記者団"が毎年発表する報道の自由度ランキングで日本は180ヵ国中62位。ジャンル分けでは社会文化に関する報道が108位。これはスポーツ報道の不自由さの表れでしょうねえ。何しろスポーツを報道せずに自分たちで支配してるのですからね。高野さんにイロイロ斬りまくっていただきましたので1週間後くらいのアップを乞御期待!昨日書き忘れたけど大相撲はオモシロイですねえ。虎は弱いですねえ。嗚呼。

9月15日(火)
『もうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』読み続ける。1953年イランのモザテク首相が石油の利権を主張したのを不満に思った植民地主義のイギリス帝国がイラン南部からの軍事侵攻を企てる。が同時にソ連が北部からイランに侵入することを懸念したアメリカのアイゼンハワー大統領はCIAを使ってイラン国民の高い支持を得ていたモザデク政権を倒しパフラビー国王政権を打ち立てる。その後《アメリカの強い後押しを受けたパフラビー国王は選挙で不正工作をするとともに自ら設立した情報機関サヴァクの力を使って国民を抑圧しながら20年以上支配を続けた》そして1984年のオリンピックをテヘランで開こうとする前にホメイニ師率いるイスラム勢力に倒されアメリカはイラン国民の怒りを浴び続けるようになるわけですね。しかし一時期CIAを使ってイランに傀儡政権を作ることに成功したアメリカは次にCIAを使ってグアテマラの共産主義者たちを(ユナイテッド・フルーツ社の利権を守るため)倒す。そしてヴェトナムにも手を付けるわけですね。現在のトランプがイランでやろうとしていることも歴史を振り返らないと見えてこないことがありますね。嗚呼。アメリカの"力の支配"は何も今に始まったことではないですね。ニャン。デスクワークは坂上康博先生から依頼を受けた『現代スポーツ評論』(創文企画)に掲載する少々長い原稿に取りかかる。肩の力を抜いてナチュラルに…と思うけどナカナカ上手くいかないですナァ。気分転換に夕方から大相撲。どの勝負も面白いですね。大の里は調子(土俵勘)を戻したかな。うわっ。虎は7連敗。それでも首位から落ちないのはチームに喝が入らないという意味で悪いことかもしれませんね。昨日の本欄に書いたけど日本の"報道の自由度ランキング"が"社会文化"のジャンルで180ヵ国中108位というナサケナイ事実とその原因をメディアがまったく報道しないのはこの国の文化度の低さを示していますね。テレビでいろいろコメントしている"社員ジャーナリスト"の皆さんは原因をわかってるのかな?わかってるけど言わない(言えない?)のでしょうね。

9月16日(水)
ベッドでの読書『もうひとつのアメリカ史』はキューバのカストロ政権樹立に対してアメリカが仕掛けたピッグス湾事件。元はといえばアイゼンハワーがCIAに許可した作戦でケネディのブレインはやりたくなかったけどケネディがアイゼンハワーや軍部に逆らえず実行して大失敗。CIAの計画ではアメリカが亡命キューバ人を使って上陸作戦を敢行すればキューバの反カストロ派の民衆が立ち上がるって読みだったけどつい最近にもイランで同様の読みがありましたね。嗚呼。第五福竜丸事件で日本の反核運動が盛りあがったときはそれを押さえる核の平和利用として広島に日本初の原子力発電所を造る計画もアメリカは考えたとか。嗚呼。アメリカの考えることに無批判に従う姿勢というのは絶対に避けなければならないはずでキャバレー外交などサイテーですね。ベッドから出て朝パンのあとRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは柿原正郎『ゲームで生きていく』(ちくまプリマー新書)を取り上げてアジア大会で正式競技にもなってるeスポーツの話。賞金総額400億円(ゴルフは600億円)スポーツベッティングの賭け金総額1兆6千億円まで膨らんだeスポーツを頭から無視するわけにはいきませんねという話。アジア大会での"ぷよぷよeスポーツ"には11歳の小学生も日本代表選手として出場するそうです。イイノカナ?考エテミマヒョ…という話。イロイロ仕事の途中で昼飯時にNHK-BSで放送していたロバート・レッドフォード主演の映画『さらば愛しきアウトロー』を見てしまう。実話の老人銀行ギャングの話。老人版の『俺たちに明日はない』でした。女性版はリドリー・スコット監督の『テルマ&ルイーズ』がある。破滅型人生はみんなの憧れかな?イロイロ仕事のあと大相撲。相撲勘を取り戻したと思った大の里が高安に土。嗚呼。アジア大会サッカーは日本が香港に2-0の勝利。フロンターレの大関は良かったけどもっと得点を取ってほしいですね。何日か前の東京新聞一面でジャーナリストの田原聡一郎氏が《高市首相には哲学が見えない。哲学がないから人の話を聞かない》と書いておられた。そして《今大切なのはジャーナリストの仕事。権力と闘い状況に対して批判する。首相や幹事長にも言うべきことを言う》とも。まず"一社一問一答"の記者会見を改善してほしいですね。それとメディアがスポーツ球団を持ったりイベントの主催をやめることですね。

9月17日(木)
『もうひとつのアメリカ史』はキューバ危機に突入。当時沖縄の米軍キャンプで勤務していた空軍偵察機追跡部隊のR・ホワイティング氏も第三次大戦は避けられないと思って毎晩仲間と酒を呑み今にも頭上に核爆弾が落ちてくると本気で思っていたという。そのキューバ危機を回避したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で見事な演説を残す。《どのような平和を私達は求めているのでしょうか。それはアメリカの兵器によって世界に押し付けられるPax Americanaではありません。私は真の平和について語ろうとしているのです。地球上での暮らしを価値あるものにしてくれる平和。人類と国家が発展し希望を抱き子供のためにより良い生活を築くことができるような平和について語ろうとしています。それはアメリカだけの平和ではなく全人類の平和であり私達の世代だけの平和でなく如何なる時代にも普遍的な平和です》《相手の歪んだ部分や我慢のならない部分だけを見たり衝突が不可避と考えたり和解が不可能だと思ったり交渉は脅し合いをするため場に過ぎないと考えたり》することなく《私達には平和な世界を築くという使命があります。弱い者が安心して暮らし強い者が正義を守る世界です》トランプやタカイチはこの演説の全文を読んだことがないのでしょうね。そしてケネディはヴェトナムへ《地上部隊を派遣しない》ことと軍事顧問団も《撤退を決意した》という。しかし暗殺。当時のマクナマラ国防長官は《もしもケネディが生きていたなら世界は違ったものになっていただろう。私はその点に確信を持っている》と言ったという。トランプやネタニヤフやタカイチでなければまた違う世界になるはずですよね。終日デスクワーク。原稿書き。大相撲はビデオで纏めて見ながら晩メシ。どの勝負を見ても面白いですね。続けて昼メシ時に半分観た映画『サンセット大通り』を観る。昔見た映画だったけど面白くイロイロ再発見。ウィリアム・ワイラー監督の手腕は見事ですね。グロリア・スワンソンとエーリッヒ・シュトロハイムの演技も見事。うわっ。虎がやっと連敗脱出。

9月18日(金)
ベッドでの読書《オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機》はダラスでの悲劇を経て《古い世代ージョンソン・ニクソン・フォード・レーガンの世代の指導者たちに引き継がれることになった。彼らはケネディ時代の約束を組織的に破棄するとともにアメリカという国を戦争と抑圧に逆戻りさせた》ジョンソン大統領はケネディの選んだベトナムからの撤兵の道筋とは正反対の《降伏よりも最悪の道を選んだ。それは(略)ゆるゆると破滅に向かう道だった》ジョンソンは北ベトナムへの攻撃を次のように表現。《北への攻撃をゆっくりエスカレートさせホー・チ・ミンに圧力をかけていく。つまり強姦ではなく誘惑だ。(略)女の足に手を伸ばすのは一度に1インチずつにするよ》下品な言葉を使う政治家は信用できないという典型ですね。ニャン。イロイロ仕事。来週月曜の"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"収録のゲストは専修大学にジャーナリズム学科を創った山田健太教授。小生が今年前期の教壇に立ったことも踏まえて日本のジャーナリズムについて語ってもらう。彼の著書『転がる石のように 揺れるジャーナリズムと軋む表現の自由』(田畑書店)に「メディア批判の変遷」という極めて面白い指摘があってマスコミに対する批判が70年代は「疑問」→80年代は「批判」→90年代は「不信」→2000年代は「否定(マウスゴミ呼ばわり)」→10年代は「不要(フェイクニュース・オワコン)」→20年代以降は「排斥(無視)ー生成AIの出現?」と表現されている。ナルホド。そんなふうに見られたマスメディアがジャーナリズム精神を取り戻すにはどうすれば…?ということなどイロイロ話し合いたいですね。夕方からは大相撲。藤ノ川は相変わらず素晴らしい!大の里は相変わらず悪い癖。しかし今の大相撲は個性派力士続出のガチンコ対決で最高潮ですね。鷹は見事に強さを発揮したけど虎はこのまま優勝へ進めるのかどうかなぁ…?

9月19日(土)
『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史2ケネディと世界存亡の危機』(早川書房)再読了。第2巻の最後は狂人(ニクソン)とサイコパス(神経病=キッシンジャー)のベトナム敗戦と沖縄返還と米中国交回復とペンタゴン・ペーパーズとウォーターゲート事件。しかし忘れてならないのはインドネシアのスカルノ政権やチリのアジェンデ政権をCIAの力で倒したこと。アメリカはトランプ以前からトランプ的行動はイロイロあったのですね。本書で頭に残しておかねばならないことは山ほどあるけど沖縄返還交渉とき佐藤栄作首相はジョンソン大統領に向かって「中国共産党が核兵器を持つなら日本も持つべきだ」と言ったそうです。さらに「現在日本の世論はそれを許さないだろうが若い世代を中心に"教育する"ことは可能だと確信している」とも。それから半世紀以上経った今"教育された若者たち"が大人になっているのかな?またベトナム戦争時に国連のウ・タント事務総長が言った言葉も胸に刺さった。「戦争を止めるには政治的外交的な議論と交渉以外にない。言うまでもないが戦争と敵対の時代に最初に犠牲になるのは"真実"なのだ」SNSなどで"真実"を犠牲にしてフェイクニュースが飛び交う現代もまさに"戦争と敵対の時代"と言えるのでしょう。終日デスクワーク。今書いてる原稿がナカナカ上手く進まない理由はわかっていた。それは適切なタイトルが浮かばなかったからだ。そのタイトルがピカッと閃いた。今はここには書かないが気分がやっと軽くなった。イエーイ!夕方からテレビ桟敷でビール飲みながら大相撲見物。大相撲は今が最高潮かな。藤ノ川は相変わらず素晴らしいし安青錦と熱海富士の一番は見事な力相撲でしたね。大の里はやっと本調子?続けてプロ野球見ながら晩メシ。こんな酷いプレイをするなら虎の優勝は無理ですね…と思ってしまうのは古い虎狂の悪癖でしょうか?AIの進歩を遅らせなければ…という声が出るんは当然として何故政治家と経済人ばかり発言するのかな?ジャーナリストや大学の研究者や市民の声は聞こえてこない。原水爆反対のときは違ったのに…。

9月20日(日)
ベッドでの読書は高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』(講談社現代新書)読み始める。チューリングについては素晴らしい映画『イミテーション・ゲーム』で知ってるつもりでいたが活字はやはりイギリスのパブリック・スクールと大学の制度のことやヴィクトリア女王時代の大英帝国のインド統治のことなど多くのことを教えてくれる。もちろん双葉より芳しかった天才のことも同性愛のことも。途中でチューリングの数学の先生が《論理学者ルイス・キャロルの信奉者》という言葉が出てくるけどこれってアリスの作者のことですよね。チューリングはクリケットは下手だったけどマラソンは得意でケンブリッジではボート部だったらしい。《自己充足的な運動》ですね。そう言えば中学生のときに英語で数学の分厚い本を読んでいた我が友人の天才数学者M君も陸上部だった。ニャン。世の中の連休とも颱風とも無縁にコツコツとデスクワーク。誰が"シルバー・ウィーク"なんて名前を付けたのかな?確かラスベガスはアメリカでシルバー(銀貨)シティと呼ばれてますよね。日本では高齢者を何故シルバーと呼ぶのかな?白髪は普通 white か gray で silver は余程綺麗な白髪(銀髪)にしか言わないとアメリカ人に聞いたことがある。ま。ドーデモイイか。大相撲はどの取り組みもオモシロイ。藤ノ川サイコーですな。晩メシは数日前にNHK-BSを録画した若きスティーヴ・マックィーン主演『シンシナティ・キッド』を観ながら。アン・マーグレットの上方のように古さを感じる映画でしたね。ノーマン・ジェイソン監督の映画はシドニー・ポワチエとロッド・スタイガーの『夜の大捜査線』よりシェールとニコラス・キッドマンの『月の輝く夜に』のほうが私は好きですね。

9月21日(月)敬老の日
ベッドで『チューリングの哲学』読み進む。ヒルベルトやウィトゲンシュタインやカントールやラッセルやノイマンやゲーデルの数学の話はサッパリ理解できなくても面白い(笑)。「ゲーデルの不完全性定理」というのはひょっとして「神の不在証明」ではないかと勝手に思ったりチューリングの考えた「ハイパー・コンピュータ」としての「オラクル(神託)マシーン(機械)」は「ゲーデル・チューリングの不完全性定理」で「神」になれないことがわかったコンピュータを「神の座」に押し上げようとする試みなのか?と勝手に思いながら読むとオモシロイ。本に書かれたことをどう読み取るかは読者の勝手ですからね(笑)。しかしウィトゲンシュタインの家族のことを初めて知って自殺者の多さやラヴェルが『左手のためのピアノ協奏曲』を書いたピアニストがいたり…で初めてメッチャ興味を持ちました。たしか若くして山で遭難した小生の大友人だったN君と一緒に遭難して助かったK君がウィトゲンシュタインの権威で本を送ってきてくれたのを残してるはずだから読んでみましょう。初めてウィトゲンシュタインを読む気になれました。ニャン。
9月21日(月)敬老の日つづき
いろいろ仕事&"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"収録の準備。今日のゲストは専修大学文学部ジャーナリズム学科の山田健太教授。「大学のジャーナリズム教育から日本のメディアの変革を考える」をテーマに�@大学のジャーナリズム学科の果たすべき役割は?�A日本のメディアとジャーナリズムの問題点は?�B日本のメディア&スポーツ・ジャーナリズムはどうあるべきか…を話し合う。大学のジャーナリズム学科って現在200以上あるのですね。ジャーナリズム相手に「隠し誤魔化した安倍政権」から「押さえ込んだ菅政権」そして「SNSに逃げまくる高市政権」の問題点などいろいろオモシロく勉強になりました。ナルホド。読売が巨人を手放すより朝日が高校野球を手放してクラブ化するほうが社会改革への影響力は大きいかもしれませんね。今アップしている小林信也さん&次にアップする高野孟さんに続いてアップします。乞御期待!NHK+で大相撲。うわっ。小さい藤ノ川が巨漢琴櫻を投げた!見事ですね。虎の大山選手のさよならホーマーも見事とは言え猛虎打線はもっとコンスタントに打たなきゃ。ねぇ。敬老の日なのに子供たちは誰も連絡してこないのでヨメハンと2人でスパークリングワインとステーキで祝う。何を祝ったのかよくわかりませんけどね(^_^)。晩メシ後に久し振りにオペラを楽しむ。ターフェル主演の『ファルスタッフ』。コヴェントガーデンの舞台。チョット演出が凝り過ぎかな?でも小生の一番好きなオペラを久し振りに堪能しました。何しろ1970年以来に治したベルリン・ドイツ・オペラのフィッシャー=ディースカウ主演の舞台を日生劇場の前から2列目で高3のときに見たペラですからね。まらブエノスアイレスのテアトロ・コロンでも観ましたからね。これほど思い入れの強いオペラはないですね。

9月22日(火)
ベッドで読書を続けていた高橋昌一郎『チューリングの哲学 人工頭脳と人間機械論』(講談社現代新書)読了、メッチャ面白かった。特に第7章「機械は考える」の章はAIの進化にブレーキをかけなければならないとの意見が出始めた現在に生きる我々には必読の章に思えた。その現在人が直面している"AI問題"にチューリングは既に76年前に気付き「機械は考える」との結論を出していたのですね。その理由をここに簡単に書くわけにはいかないけど「機械は考える」ことに批判的な「9の批判」をチューリングは全て論破。要は人間にとって他人の心(考え)がわからないのと同じように機械の考え(心)も機械になってみなければわからないのですね。著者が現在の生成AIに「君は考えている?」と訊いたAIの回答も面白い。まずAIは「おもしろい質問だね」と答えたあと「考えている」と「言える部分」と「言えない部分がある」と答える。要するに「君の質問を受け取った瞬間内部で情報を処理して意味を理解しようと」して「過去の文脈を思い出してどう答えるのが適切かを複数の可能性から選んでる」ことは「人間でいう「考える」作業にかなり近い」けれど「君がメッセージを送っていない間私は完全に停止しているような状態だ。人間みたいにボーッと考え事をするみたいなことはできない。要するに『質問が来たときだけ考えるふりをして答えを生成する』存在だと思ってもらえればいいかな」何と素晴らしい自己認識でしょう!これならAIも利己的に動いて人間を痛めつけるのではなく利他的・愛他的な存在にまで成長できるかもしれませんね。もっとも…それは…散々人間を痛めつけて困らせたあとに反省したてからの話かな?
9月22日(火)つづき
ベッドから出てイロイロ仕事。原稿の結論がナカナカ見えてこない。結論が見えてから書き出す場合が多いが見えないで書き出したときにボンヤリしていた結論が実を結んでくるときほど嬉しいことはない。が今回はナカナカ実を結ばなくて何度も頭から書き直す。現代スポーツが発展しすぎて袋小路に入り込んだことを書いてるだけに我が原稿も袋小路に入り込んでしまったのかな?嗚呼。大相撲が面白すぎて原稿が書けないのかな?…と自分に向かって言い訳も。晩メシは虎vs燕を見ながら。こんなにリードしてるのに追いつかれて…こんなに何回もチャンスがあるのにタイムリーが出なくて…勝ちきれないダメ虎は優勝なんかできひんで…と思った瞬間延長11回に高寺の2ランホーマー。まぁ良かった良かった。しかし頭のなかはチューリングの「機械は考える」との結論に覆われてしまった。人間が機械に負けずに考える必要がありますね。情報の量でなく問題意識の質で…。

9月23日(水)秋分の日
ベッドでの読書は堀田和義『ジャイナ教』(講談社現代新書)をキセル読み。つまり序章「ジャイナ教とは?」&第1章「ジャイナ教教団と戒律・修行」と最終(第5)章「現代のジャイナ教」&「あとがき」を読む。徹底した不殺生で「世界一ピュアでストイック」と言われる宗教が今日もこんなに世界で息づいてるとは思わなかった。インドのジャイナ教徒は全人口の約0.47%でヒンドゥー教(79.8%)イスラム教(14.23%)キリスト教(2.3%)シーク教(1.72%)仏教(0.7%)に次いで第6位。しかし《インドの所得税収全体の24%を収めている》というから驚きだ。識字率94.1%はインドの平均64.8%や他の宗教信仰者の平均を大きく上回っている。それは徹底した不殺生で農業に携わるジャイナ教徒はいない(土の中の虫や微生物を殺してはいけない)からだそうで商業やIT関連企業で働いている人が多いかららしい。ちなみにインドやベルギー(ダイヤモンド取引の町アントワープ)で宝石の売買に携わっているジャイナ教徒も多いらしく《世界で販売されているダイヤモンドの10個のうち8個はインド系ジャイナ教徒の手を経ていると言う者もいる》らしい。高校時代の世界史の授業で徹底した不殺生から虫や微生物を殺さないために白装束にマスクをして道路を掃きながら歩いてると習ったジャイナ教徒が現代もこんなに世界で活躍して神戸にも東京にも寺院があるとは知らなかった。人生70を過ぎても知らないことは多いですなぁ。ニャン。今日もいろいろ原稿書き。途中『週刊女性』(主婦と生活社)の編集部の人から不手際続きのアジア大会の感想を求める電話がかかってくる。そう言えば今朝の東京新聞のコラム欄に斎藤美奈子さんが北朝鮮のチームに韓国国歌を流したとか選手のおもてなしに豊臣秀吉が現れ韓国から講義を受けたとか(韓国にとっては侵略者ですからね)イロイロ書かれてたけどそもそも選手村を創らないアジア大会って開催する意義がわかってないですよね…という話をする。アジアの人々が交流を促進する場を創らないアジア大会って有り得ないでしょう。晩メシは大相撲をビデオで見ながら。藤ノ川は大の里に通じなかったですね。熱海富士は霧島に何故負けた?タイガースの試合中継がなかったのでヴェルディ『ファルスタッフ』パルマ歌劇場公演を観る。指揮は東フィルでも活躍しているバッティストーニ。やっぱりイタリア・オペラはイタリア人のアリオ(ニンニク)を効かせた演奏がイイですね。

9月24日(木)
ベッドでの読書はシビレ・シュタインバッハー著『アウシュビッツの歴史』(講談社現代新書)を読み始める。アウシュビッツ(の収容所)についてはフランクルの名著『夜と霧ードイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)や何本もの映画やドキュメンタリー映像で知ってるつもりでいた。が本書を読み始めてまずアウシュビッツがポーランドのオフィシエンチムという都市のドイツ語読みであることを初めて知った。情けないことにこんな基本的なことも知らなかったのだ。本書はオフィシエンチムの都市とその周辺地域の歴史からナチス(国民社会主義)ドイツが既に存在してた季節労働者の巨大収容所施設を改造して反ナチス・ドイツのポーランド人やドイツ人の犯罪者やユダヤ人を収容する施設を徐々にユダヤ人の集団虐殺巨大施設へと変貌させてゆく姿を解説する。この巨大施設を運営するには多くの家族単位のドイツ人入植者が必要で《生活上のあらゆる地域が整っていた。(略)コーヒーハウス・プール・そして図書館が備わり複数の幼稚園や学校そして診療所や歯科医院も併設されていた。収容所の駐屯地医師科が提供する医療は親衛隊とその家族からも好評だった》その医師たちが収容所内でどんな仕事をしていたかを思うと怖ろしくなりますが…《家庭の安寧は親衛隊員の日常の業務と矛盾することはなかった。(略)牧歌的な家庭生活が親衛隊の職務遂行に不可欠な精神的安定を与えたことで収容所内での殺戮を促したとも言えよう。隊員が大量殺戮者であると同時に愛情深き父親でもあったことは驚くべきことではない(略)大量殺戮と良識は対立する二つの極を形成するのではなく密接に絡み合っていたのである》ハンナ・アーレントが多くのユダヤ人をガス室に送ったアイヒマンを普通の人と評したことが思い出されました。ニャン。今日もまた原稿書きの下書き。徐々に内容が見えてきて書くことが固まってきたのが嬉しい。大相撲は大の里の優勝が見えてきたけど藤ノ川が霧島を倒した一番は凄かったですね。三賞独占でっせ。巨人が広島に敗戦。マァ仕方ないですね。助っ人だらけのチームの優勝というのもツマラナイですからね。サッカー日本代表vsウルグアイ戦を見ようとしたらアンテナの調子が悪いのか何故かフジテレビが映らなかった。トホホ。

9月25日(金)
シビレ・シュタインバッハー『アウシュビッツの歴史』(講談社現代新種)読了。送られてきた本はなるべく読むという乱読趣味がなければ読まなかった一冊だが読んで良かった本ですね。それにしても最終章『アウシュヴィッツの嘘』には唖然とします。アウシュヴィッツでの大量虐殺はなかったと主張する人物は今も世界中に存在するのですね。監訳者(柳原伸洋)も書いてますが《戦争的暴力が確実に地球に浸潤・拡大している今アウシュヴィッツへの関心はさらに高まっている。なぜなら個人の尊厳が奪われた場としてのアウシュヴィッツとそれを奪っていく集団暴力の戦争とは関連性が深いからである》ナルホド。現在の世界の政治(トランプ)や日本の政治(タカイチ)をアウシュヴィッツ(個人の尊厳を奪ってしまう力)の視点から見る眼を持っていたいですね。ニャン。今日もコツコツとデスクワーク。スポーツ界のドーピングに対する禁止(オリンピック)と解放(エンハンストゲームズ)をどちらも「ありのままの自分」という"同じ言葉"で語ることを考え直し纏め直す。英語では"Let it be"と"Let it go"で全然違うのですけどね。ビートルズの名曲もディズニー"アナ雪"のポップスも同じ言葉に訳してしまう日本人の感性はちょっとコワイですね。裸になる(レット・イット・ビー)のも着飾る(レット・イット・ゴー)のも同じではないはずですよね。ニャン。内容充実名勝負満載の大相撲はイヨイヨ佳境。朝乃山vs大の里が観たいけど無理かなぁ。巨人は痛い敗戦。虎も付き合って敗戦。どうせ鷹に負けるのかな?

9月26日(土)
ベッドでの読書は平井靖史『はじめてのベルクソン 時間をひらく哲学』(講談社現代新書)読み始める。まだ『はじめに』と第1章『時間という「型」を解きほぐす』だけで全体の5分の1程度しか読んでいないが何故この本をもっと早く読み出さなかったのかと後悔するほど面白い。1章の冒頭の《哲学の定義は哲学者の数だけある》との一文と《私自身は結局のところ「私たちの思考と生を自由にする」試み》と書かれているのに出逢ってならば「スポーツの定義は?」を考え直しながら読み進むうちに「身体を用いて豊かで充実した時間を体感するための行為」という新たな定義に達した。こういう読み方のできる本と出逢えるのは本当に嬉しい。しかも《時間が直線上の線の形に見えるのは(略)私達の知能がそう加工しているから》とか《知能は本来生命を理解しないところにその特徴がある》とか《観終わった映画を振り返って語る言葉と初めてその映画を観ている最中の経験を語る言葉は同じであるはずがない》とか《新しい出来事が生まれることで過去の意味や配置までがあとから組み替わることがある》とか《時間の動きには未来に向かう生成だけでなく過去へ遡って出来事同士の関係を結び直す働きも含まれる》とか《ベルクソンの時間哲学の問いかけは「時間とは何か」ではありません。「私たちは時間についてどのような錯覚のなかにいるか」です》とか《その錯覚を解読することが逆説的に時間の創造性を見出す道でもある》とか《回顧的錯覚が知能のバイアスならばそのバイアスを取り除けば「本来の時間」が姿を現すのでしょうか。(略)それは「神話」に過ぎません》とか《知能が自動的に行っている時間の完了化ー未完了なものを完了したかのように処理する操作に遅延を差し挟む》とか…赤線を引いて考え直して肝に落とし込む文章の連続で興奮して睡眠不足になった。ニャン。スマホの必要性を感じず新しいガラケイを使い始めたら散歩の歩数が出る。散歩のあと「累積5万歩突破オメデトウ!」と出ているのを見てガラケイに向かって「アホか」と呟く。終日デスクワーク。原稿と格闘。休憩にYouTubeでアジア大会の結果をいろいろ見る。アスリートの動きの裏で何やら悲惨なことが起こってるようですね。現場を取材してる小崎クンにいずれ報告してもらいましょう。大相撲は優勝決定戦がなくなたのは残念。日本サッカーU21は北朝鮮相手ににがんばりましたね。大関イイネ。虎はこのまま逃げ切りVかな。

9月27日(日)
ベッドで『はじめてのベルグソン』読み進む。メッチャ面白い。我々は知らず知らずのうちに《時間を空間に置き換えて考えたり》《結果と原因を入れ替えて考えたり》《質的変化を量の増大に置き換えて考えたり》してしまってるのですね。つまりアスリートの質的成長をデータに置き換えたり見事なフォームでの鮮やかなバッティングを結果のホームランだけに注目して飛距離125m仰角25度と表現して何かを理解した気になってるわけですね。今"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"で公開しているスポーツライターの小林信也さんとの対談で話してることとまったく同じことをベルクソンは一般的な人間の心の構造として話してるわけですね。いやはや物凄く勉強になります。理論武装させていただきます。小林君にも教えてあげよう。ニャン。終日デスクワーク。原稿書きに疲れて遅い昼飯を食ってるとNHK-BSで筒井康隆大先生原作の映画『時をかける少女』をやっていたのでついつい見てしまう。大林宣彦監督が映し出す尾道の光景が美しい。1980年代の映画だけど高校生の台詞や会話に強烈な古さを感じましたね。そう言えば約半世紀前の映画か…尾道の町に古さは感じられず美しいのに若者たちが古く感じられるのは芭蕉の言った不易と流行と言うことですね。大相撲は「これより三役」から観る。藤ノ川見事。大の里は強さ復活で涙の優勝。過去1年を振り返るインタヴューはベルクソンの言う「今の時間からの過去の形成」ですね。続けて晩飯食べながら酒呑みながらアジア大会を観ても金メダルをとった選手が次々と過去を語るのが改めて興味深かった。その単なるドラマではない質的変化の感覚が感じ取れたのはベルグソンのおかげですね。武本選手は嬉しく北口選手は悔しかったでしょうね。中国の若い女性は凄いね。

9月28日(月)
『はじめてのベルクソン』読み続ける。やはり哲学の本ですね。ちょっと難しくなるけど面白い。《もし私たちの身体が外側からの刺激に対して完全に自動的に反応するだけの機械だったら感覚は要らないはずです。熱いものに触れたら手を引く。それだけのことなら刺激と反応の回路が直結していればいい。刺激は単に物理的信号でいい。質として感じる必要がない》ナルホド。《つまり感覚は単に「受け取る」だけのものではない。それはまだ起きていない自らの身体反応の先を読みそこに介入する余地を開くものです。自動反応に対する「抵抗の認可」とベルクソンが呼ぶのはそのことです》タシカニ。この辺りにAIのシンギュラリティなど恐れる必要のないことが含まれていそうですね。以前クルマの自動運転の研究をしている技術者に自動運転しているクルマの真ん前に突然何かが飛び出してきたら自動運転をしているコンピュータは「危ない!」と感じてハンドルを切ったりブレーキを踏んだりするのですか?と訊いたことがある。すると「そんな反応は一切ないですよ。異物の大きさや距離や相互の位置とスピードからハンドルをどう切るかブレーキを踏むかの判断をするだけです」という答えが返ってきた。そこで私はさらに「だったら突然飛び出してきた異物が人間でも子供でも人間の乗ったクルマでも人間の乗っていない自動運転のクルマでも熊でも猫でも反応は変わらないのですね?」と訊いた。「ハイ」との答えにAIとはツマラナイ奴だなあと思ったのだった。ニャン。デスクワークは延々と原稿と格闘。やっと真っ暗なトンネルの向こうに光が差してきたかな?こんな感覚も原稿を書くAIにはないのでしょうね。ツマラナイ奴だなぁ。相変わらずテレビはアンテナの調子が悪いのか天候によって映らなくなるチャンネルが生じる。今日は日テレが映らない。晩メシ時にサッカーのベネズエラ戦が観られない。マァ明日以降にネットで観られるでしょうと思って高市首相の「お妾さん外交」のつまらない解説を聞きながら飯食ってサッサと寝る。高市外交ならばAIにも転換可能かな?

9月29日(火)
昨晩と言うか今日と言うか夜の3時頃に目が覚めたので普段ならベッドでの読書を始めるところだがベッドをから起きて仕事部屋に入って原稿を書き始める。明日が締め切りの虫明亜呂無氏に関する原稿。5時間くらいぶっ通しでパソコンに向かうとようやく形ができてきた。こんな深夜に仕事するのは久し振り。昔は2晩くらい通しての徹夜もしたけど今は体力的に無理。しかし静かな深夜の原稿書きは久し振りに新鮮でしたね。BGMはグルダ33歳のときのモーツァルトP協21番27番を小さな音で。コレがまた素晴らしい。きれいな音色でオケにかぶせてグルダのアドリブが煌めく。原稿書きの邪魔にはならず何故か推進力になる。バックはハンス・スワロフスキ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団。なんでウィーン・フィルと名乗っていないのかわからないけどグルダにつられてか新鮮で切れ味の良い美しい音がイイ。晩年に録音したアバド指揮ウィーン・フィルの20番21番よりブラーヴォ!ですね。早い昼メシのあとチョイと長い昼寝をして午後の時間をめいっぱい使って400字25枚の原稿をほぼ完成。ブラッシュアップは明日にして晩メシとアジア大会陸上競技を楽しむ。トラック競技は単純なランニング競走だけど単純なだけに身体の機械化に集中し苦労しているアスリートの挑戦がテレビ画面のからも伝わってくる。マイル・リレーの日本選手たちの走りは圧巻でしたね。そんなふうに陸上競技を感じられるのも虫明亜呂無氏の犀利な分析力と華麗な表現力に接したおかげですね。とりわけ小生が選んだ虫明亜呂無氏のスポーツ論の白眉が千宗室氏の茶の点前の様子を書いた文章なのだからホントに彼の見る眼はスゴイですね。しかもその文章で書かれたスポーツの本質の結論が『源氏物語』につながる古歌の「恋わびで夜な夜な惑うわが魂はなかなか身にも還らざりけり」という三十一文字ですからこれまた凄い!としか言い様がないですね。《スポーツが往々にして青春を破壊してしまうのはこの古歌のような妖しい魅力がいっぱいだからかもしれない》ガーン!!スゴイ!!

9月30日(水)
今日も夜の(朝の)3時頃に目覚めたので一橋題名教授の坂上康博さんから執筆を依頼された創文企画の『現代スポーツ評論』の虫明亜呂無氏に関する原稿と取り組む。いろいろ表現を書き換えたりしていたらマスメディアのスポーツに対する"誤解"とそれとは無縁に存在した虫明氏の"スポーツ文化原論"の大筋は表現できたかな…とは思えるものの恰好良いタイトルが浮かばない。結論もまだチョット甘いかな…と思ったらもう午前7時半。慌ててラジオ出演の準備をして朝パン食ってからRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。いろいろ不祥事の続く愛知名古屋アジア大会の不備を話す。運営をフランス企業や中国企業に丸投げしたことがネット等でも問題にされているが根本的な原因(問題)として事前の文化的盛り上げがなかったことと選手村を作らなかったことを指摘。もう30年前くらいになるが福岡でユニバーシアードを行ったときは開催の5年前から毎年1回シンポジウムを開き大会開催の意識を高めるスポーツ論を話し合った。司会は小生(福岡電通から依頼があった)。ゲストに狂言師の野村万之丞さんや長野冬季五輪開会式プロデューサーの萩元晴彦さんや札幌冬季五輪記録映画監督の篠田正浩さんや有森裕子さんなどを招いて講演とシンポでいろいろ話し合った。東京五輪2020のときも都知事や文科省やスポーツ議員連盟に何度も招かれたりシンポジウムや中学校での講演の依頼を受けて「何故オリンピックを行うのか?」を話したりしたが愛知の場合はそんな事前の話は聞かないし(一年半前になってやっとチョットあったが)そのような準備のなかったことと選手村を作らなかったのはアジア大会の意義を考えなかった(わかってない)証拠といった話をする。そのあと仮眠したら起きたのは昼メシ時。午後になってまた寝たら起きたのは午後5時。虫明原稿は一時忘れて雑務のあとアジア大会見ながら晩メシ。サッカーのウズベキスタンは一昔前の日本サッカーの姿を見るようで思わず応援。しかし日本は試合終了直前でよく追いつきPK勝負でよく勝ちましたね。風呂入って身体も頭もスッキリして明日の原稿完成に備えて寝る。

8月31日(月)
今日は"TAMAKIのスポーツジャーナリズム"のYouTubeの収録の収録日。ゲストはジャーナリストの木村元彦さんなので昨晩はベッドに彼の著作『争うは本意ならねど』『労組日本プロ野球選手会をつくった男たち』『オシムの言葉』『終わらぬ民族浄化セルビア・モンテネグロ』などをベッドに持ち込んで以前赤線を引いた部分にザァーッと目を通しておく。夜の気温が下がって本も読みやすくなった。ニャン。ベッドを出てデスクワークを始めると木村さんからメール。集英社のウェブサイトでロヒンギャに関する本を書いた今泉千尋さんの『0825に私たちは殺され続ける』(集英社文庫)や集英社新書の『証言・北朝鮮帰国者・祖国に渡った「在日」はどう生きたか』の詳しい紹介をされている。今日のテーマは「日本に(スポーツ)ジャーナリズムは存在しているのか?!」なのでコレらの本も紹介しよう…と思って本番を迎えたら木村さんの解説でロヒンギャや北朝鮮の問題もスポーツと繋がっていることがわかる。そうですよね。スポーツは常に政治とも経済とも社会問題ともつながっていてスポーツだけ別姓界に存在しているのではないのですからね…というわけでYouTubeの収録は�@FIFAとW杯へのトランプの容喙にジャーナリズムはどう対処すべきか?�AIOCの選手への"1万ドル支給"をILOとジャーナリズムはどう考えるのか?�B日本にスポーツ・ジャーナリズムを確立するには何が必要か?の3点をテーマに話し合う。結局はスポーツだけの問題ではなくたとえば首相の記者会見が今もコロナ時のやり方を踏襲して一社一問一答で討論なく進められているような日本の"ジャーナリスト"たちの"弱腰"が問題ですね。それに木村さんが言ってたけど会社から給料もらって生活の安定している記者たちが時間をかけた調査報道をやらなくなったのも問題ですね。近々アップされますから乞御期待。晩メシはバスケの日本vsカタール戦を見ながら。八村いきなり3ポイントをガンガン決める!スゴイですね。

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