コラム「ノンジャンル」
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掲載日2004-05-31

 この原稿は、『週刊文春』1990年5月31日号に掲載されたものです。このころ、小生はまだマンション住まいでした。それに文藝春秋社からの原稿依頼もこころよく受けていたようです。だからといって、深い意味はありませんが(笑)。

バック・オーライ

 わたしの住んでいるマンションは66世帯で駐車場が60台分あるから、昨今話題になっている青空駐車の問題とは無縁・・・と思っていたところが、それでも駐車場の空く順番を待っているひとがいると聞いて驚いた。
 いったい日本人の何パーセントが自動車の運転免許証を持っているのか、その正確な数字は知らないが、そうとう高い割合にちがいない。とくにわたしのような中年男は、免許証をもっているのが当然のように思われている。

 その証拠に、不在のときにとどけられた書留を郵便局へうけとりにゆくと、かならず、「免許証を見せてください」といわれる。
 「もってません」
 「じゃあ、わたせません」
 「もってないんです」
 「もってきてもらわないと・・・」
 「自動車を運転しないんです」

 そこで相手はハッと驚いた表情を見せたあと、フンと鼻で笑いながら、
 「免許証以外に何か身分を証明するものがありますか」
 という。
 こういう体験を何度かくりかえしてからは、最初から黙って保険証をだすことにしているが、自動車を運転できるにすぎない免許証を身分証明書と同等にあつかい、当然だれもがもっているはずなどと思いこんでいる連中がいるのは、自動車などまったく必要ない都会で育った人間にとって、また、自動車嫌いの人間(自動車レースは好きなのだが)にとって、まったく不愉快きわまりないことである。

 しかし、つい最近、そんな連中にたいして、二度も仕返しのできるチャンスが訪れた。鎌倉のスーパー紀ノ国屋の出口で、女房の買い物が終わるのを待っていると、30歳前後とおぼしき婦人がわたしに自動車のキイをさしだしながら、こういった。
 「駐車スペースが狭くて、車庫入れがうまくできないんです。やっていただけませんか」
 そこでわたしは、よろこんでキイをうけとり、こう答えた。
 「ええ、いいですよ。クルマの運転はやったことがないので、いちどやってみたかったんです。挑戦してみましょう・・・」
 その婦人は顔を引きつらせてわたしの手からキイをむしりとり、あわてて走りさった。

 それから数日後、また同じ場所で、タイトスカートをはいた妙齢の婦人が、わたしに向かってこういった。
 「すいませんが、バックで入れていただけませんか。おねがいします」
 わたしは、笑顔で答えた。
 「ええ、よろこんで。でも、ここは人目が多いので、どこか静かなホテルへでも行きましょう」

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