コラム「ノンジャンル」
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掲載日2005-04-18

前回の更新で、「タマキのお勧め」のコーナーに、『日本語源大辞典』(小学館)を写真で紹介し、「辞書マニアが久々に興奮した一冊」と書いたところが、何人かの人から「玉木さんは辞書マニアなんですか」といわれた。そのとおり。わたしは、子供のときからの辞書マニアなのだ。そこで今回、10年前に講談社の『月刊現代』(1995年7月号)に寄稿した文章を蔵出ししたい。が、この文章は少々長いので、何度かに分けて連載します。続けてご愛読ください。

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第1回)

 子供のころから、辞典や事典が大好きだった。そうなった最初のきっかけは、はじめて手にした国語辞典だった。小学三年ころのことだったと記憶しているが、それは、けっこう衝撃的な出来事だった。

 まず、本の分厚さに驚いた。そして、アイウエオ順に並んでいる日本語の言葉の数の多さに圧倒された。
 <やきゅう【野球】>という言葉を引いてみると、<九人ずつ二組に分かれ、ボールを打ったり、守ったりして、点数を取り合うスポーツ>と書かれていた。
 <すもう【相撲】>を引くと、<どひょうの上で、ふたりが取り組み、あいてをたおすか、どひょうの外に出すかして、勝ち負けを決めるスポーツ>と書かれていた。

 それまで、<野球>は野球であり、<相撲>は相撲であり、そういうほかないと思っていた餓鬼の頭のなかに、ぼんやりとではあったが、言葉というものの不思議さ、おもしろさ、奥行きの深さ、といったものが宿りはじめた。

 さらに<相撲>の項目には、四十八手が図解されていた。「内むそう」「外むそう」「かわずがけ」「とったり」といった、それまで聞いたことのない決まり手があることを知り、おおいに興奮した。プロレスラーの豊登が得意技にしていた「さばおり」や「かんぬき」が、相撲の四十八手にふくまれていることも知ることができた。
 そのような「知識を身につける快感」は、その後間もなく父親が購入した平凡社の『国民百科事典』によって、いっそう刺激された。

 『国民百科事典』は、その命名が成功したのか、全七巻という手軽さがうけたためか、あるいは、終戦後の混乱がおさまり高度経済成長の入り口に立った庶民が、日々のパン以外に目を向けるようになった時代に合致したためか、大学卒の初任給が1万3〜4千円という時代に、一冊1,700円という高価格だったにもかかわらず、すべての家庭の必需品といえるほどの売れ行きを示した(関西地方では、<第一巻 ア−カォ>という表示が「ああ、買お」と読めるので購買意欲をそそった、などという冗談まで広まったものだった)。

 昭和30〜34年に、すでに『世界大百科事典 全三十二巻』を刊行していた平凡社が、そのノウハウをもちい、おそらく一般庶民向けにというコンセプトで発行したこの『国民百科事典』(昭和36年刊)は、いま手にとってみても数多くのイラストや図表や写真が、見やすいレイアウトのなかに整然とおさめられ、「大百科」ではない「中百科」でありながら、きわめて充実した情報量を感じさせる。

 ちなみに<毒ガス>の項目を引いてみると、「サリン」の言葉こそ出ていないが、横浜駅異臭事件で話題になった「ホスゲン」が「窒素性ガス」の一種として紹介されており、<日本も1937年中国侵略のさい、濾山でホスゲン弾を使用した>との記述があった(テレビのワイドショウで、こんな指摘をしたキャスターやゲスト解説者はいなかったですよね。ちょいと百科事典を引くだけでわかることなのに・・・)。

 小学校の高学年から中学生になったころ、わたしは、この『国民百科事典』にずいぶんお世話になった。その痕跡は、四半世紀後の今日にも残っている。
 たとえば<ストリップショー>という項目のある第四巻の272ページには、いまもページの隅に小さな折り目が残されている。<羽のビギンを踊るリズ・タイラー(1961年)>と説明された写真のページが、すぐに開くようになっているのだ。いま改めてながめても、大きな羽根飾りを翻して小さな局所を隠している踊り子リズ・タイラー嬢は、なかなかのプロポーションである。

 アダルト・ビデオなど存在せず、ヘアなしのヌード写真でも犯罪の世界に属するものと多くの人が思っていた時代に思春期を迎えた餓鬼にとって、『国民百科事典』は貴重なエロスの情報源だったのである。
 とはいえ、わずか4センチ四方のモノクロ写真は、何度か見るうちに興奮も冷め、目は周辺を徘徊するようになる。

 現在もわたしが<ストラビンスキー>の音楽や<ストリンドベリ>の戯曲を好み、<ストーンヘンジ>などの古代遺跡に興味をもち、<ストロンボリ>という「地中海の灯台」とよばれる火山島がイタリアの南部にある、などというどうでもいい知識を身につけているのは、すべて『国民百科事典』で<ストリップショー>の項目を何度も読みなおした、いや、見なおしたおかげというほかない。

 では、思春期の自分が<ストリップショー>以外のどんなページに折り目をつけていたのか、とさがしてみたところが、それがなんと・・・
 <絵画>(ジョルジョーネの「眠れるビーナス」の図版)、<ギリシア美術>(チェザーレ・ゼストの「白鳥になったレダに求愛するゼウス」の図版)、<ゴヤ>(もちろん「裸のマハ」の図版)、<聖書物語>(クラナハの「アダムとイブの原罪」のカラー図版)、<デッサン>(藤田嗣治の「裸婦」の図版)、<レイ>(写真家マン・レイの裸婦の作品の図版)、<ローマ>(ドラクロアの「サルダナバールの死」の図版)・・・

 いやはや、いやはや、われながら知的レベルの高さに驚かされた。
 いや、そうではない。わたしの知的レベルの問題ではなく、エロスの情報がとぼしかった時代は、エロスの美的レベルが高かったのだ(情報なんて、少ないほうがいいのかもしれませんね)。
 それはさておき、そんなきっかけから、辞典も事典も大好きになり、物書きの仕事をはじめるようになって以来、いろんな種類の辞典や事典を買い込むようになった。この原稿を書くにあたって、あらためてリストをつくってみると132種類もあった。それが多いのか少ないのかはよくわからない。辞典マニアのかたなら、もっと大量に、もっと貴重な稀覯本をお持ちにちがいない。が、辞典愛好家のひとりとして、また『プロ野球大事典』(新潮文庫)なる事典をみずから著した人間として、わが書棚から、役にたつ事典、さっぱり役にはたたないが読んでおもしろい辞典、役にも立たずおもしろくもないのに勉強になる字典・・・などなどを紹介し、僭越ながら「ジテンする楽しみ」をお教えしたいと思う。

(以下、次回更新時を御期待ください)

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