コラム「スポーツ編」
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掲載日2019-10-16 NEW!!
この原稿は、UCカードの機関誌『てんとう虫』2019年3月号の特集「引き際考」に「スポーツ選手と引退」と題して書いたものです。若くしてスポーツを好きになった子供は、若くして引退を余儀なくされるスポーツ選手を見て「人生」というものの存在を知る――ということを書いたのは、アメリカの作家ドナルド・ホールでした(Baseball and the Meaning of Life)。そんなスポーツの価値は、今も変わりませんが、スポーツマンの「引退の形態」は昔と今ではかなり変わってきました。そんなことに改めて思いを馳せながら“蔵出し”します。

引退考・スポーツ選手と引退「引き際の美学――それは、さらなる飛翔への美しい門出の時を迎えること」

 平成最後の年。日本のスポーツ界は、二人の競技者の「引退劇」で幕を開けた。
 ひとりはオリンピック3連覇で「霊長類史上最強女子」とも称されたレスリングの吉田沙保里選手。もうひとりは19年ぶりの日本出身横綱として抜群の人気を誇った稀勢の里。

 36歳の吉田選手は来年に控えた東京五輪への出場も期待されたが、「もうすべてをやり尽くしたと思う」との言葉を残し、明るく笑顔で引退会見を締めくくった。リオ五輪の決勝で敗北し、号泣したことについては、「負けた選手の気持ちがわかった」と心の整理も付いたようで、今後の指導者としての気持ちのうえでプラスに働くに違いない。

 一方32歳の稀勢の里は、横綱としての期待に応えられなかったのは「非常に悔いが残る」としながらも、「私の土俵人生においては一片の悔いもございません」と言い切り、土俵を去った。引退の原因が「大胸筋断裂」という大怪我で、怪我の前の健康状態に戻れなかった悔しさは、彼の涙に滲み出ていた。が、横綱昇進直後の大阪場所でその大怪我を負い、千秋楽で左上腕部が内出血で黒ずむほどの痛々しさを押して土俵に上がり優勝して見せた姿を思い出すと、散り際の見事な桜の花の姿ともオーバーラップし、いかにも日本人横綱らしく、引退会見で見せた真摯な姿勢と相俟ってファンの大きな共感を呼んだ。

 スポーツマンやスポーツウーマンが哀しく見えるのは、技術的にも精神的にも成長を続け、強さが増してくると同時に、肉体的衰えが否応なく始まり、やがて現役引退に追い込まれてしまうことだ。心ではわかっていながら、身体が動かない。老化と呼ぶには若すぎるが、トップクラスのハイレベルの闘いを維持する強い身体は確実に失われるのだ。

 そこで一流のスポーツマンやスポーツウーマンは、必ず訪れる「引き際(引退)」をどう迎えるか――という大問題に直面することになる。

 現在50歳以上の日本人男性は(あるいは女性も含めて)、ほとんどの人が1974年10月14日に、自分がどこで何をしていたかを記憶しているはずだ。年月日は忘れたとしても、「ミスター・ジャイアンツ」長嶋茂雄選手が引退し、「我が巨人軍は永久に不滅です」と後楽園球場のマウンドに立って絶叫した瞬間のことは憶えているはずだ(大学生だった私は、下宿の近所の小さな喫茶店のカウンターで10人ほどの客と一緒に、白黒のポータブル・テレビに映ったそのシーンを見つめていた)。

 今では信じられないかもしれないが、かつては東京六大学野球や夏の甲子園大会の高校野球よりも人気がはるかに低かったプロ野球を、人気ナンバーワンの国民的スポーツに押し上げたのが長嶋茂雄選手だった。それほどの人物の引退劇に、全国民の注目が集まっても何の不思議もなかった。

 この引退劇には、過去にモデルケースがあった。それはアメリカ・メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースで、3番打者ベーブ・ルースと並ぶ4番打者として大活躍したルー・ゲーリッグの引退劇だった。1939年7月4日セネタースとの試合のあと、ゲーリッグは挨拶に立った。じつはその頃のゲーリッグは、のちに「ゲーリッグ病」とも呼ばれるようになった筋萎縮症を患っており、当時継続中だった連続試合出場の大記録を2130試合で自らストップしたばかりだった。そして引退を決意し、「私は地球上で最も幸せな男」という名文句を残したゲーリッグは、2年後の1941年6月2日、帰らぬ人となったのだった。

 今もメジャーで「史上最高の一塁手」と言われる彼の引退と同時に、彼の背番号4も引退。ヤンキースの「永久欠番」となったのだが、これが「永久欠番(引退した背番号retired number)」の最初となった。

 最近はトレーニング方法も医療技術も進化し、スポーツマンやスポーツウーマンの現役生活も長くなった。長嶋茂雄選手が現役を引退した年齢が38歳と聞いて、皆さんはどう思われるだろう? ちなみに王貞治選手は40歳。最近では50歳まで現役でマウンドに立った中日ドラゴンズの山本昌投手や、51歳で今なおサッカークラブ横浜FCのフォワードとしてピッチに立ち続ける三浦知良選手のように、選手寿命の長いスポーツマンも増えてきた。

 もちろん過去にも、長く現役を続けたプロスポーツ選手はいた。最も有名な選手はボクシング世界ヘビー級チャンピオンに3度も返り咲いたモハメド・アリと言えるだろう。若い頃にカシアス・クレイという名前だった彼の波瀾万丈人生は、引退と復帰の繰り返しだった。

 18歳でローマ・オリンピックの金メダリストとなった彼は、プロ転向後も連戦連勝を重ね、22歳で当時の世界王者ソニー・リストンをKOしてチャンピオンの座に着いた。その後は9度の防衛にも成功したが、当時「過激派」とされたブラック・モスレム(黒人イスラム教団)に加入して名前をモハメド・アリと改名し、ヴェトナム戦争に反対してアメリカ政府の徴兵命令を拒否。長く続いた裁判で最終的に無罪を勝ち取ったものの、3年7か月ものブランクのため誰もが引退かと思ったなかでリングに復帰。32歳で当時史上最強とも言われたジョージ・フォアマンをザイール(現在のコンゴ)の首都キンシャサでKO。世界王座に返り咲いた。

 その後36歳でレオン・スピンクスに判定負けてチャンピオン・ベルトを失うが、7か月後にベルトを奪還。アリはそのベルトを返上したので、誰もが今度こそ引退と思ったところが、2年後に再度復帰して王者ラリー・ホームズに挑戦。しかし、さすがに38歳の年齢による衰えもあって足が動かず、棒立ちになって11Rでレフェリーストップの敗戦。もはや引退しかないと思われたが、翌年またもや復帰。しかし世界タイトル挑戦への準備の一戦で判定負け。40歳を目前にして、今度こそ本当の引退を余儀なくされたのだった。

 何度もリングに復帰したことで(そして少々不様な醜態を曝したことで)、当時のアリに対する批判の声も小さくなかった。が、ボクシングという他の競技以上に身体的ダメージも大きいスポーツで、プロ通算成績56勝5敗(37KO勝ち)の成績は見事と言うほかない。また黒人差別反対と反戦運動に強く関わった人生は高く評価され、1996年のアトランタ五輪では聖火の最終ランナーを務め、パーキンソン病を患い震える腕で聖火台に火を点けた姿は、世界中の人々の感動を呼んだ。

 一言で「引退劇」と言っても、中味は実にさまざま。しかも、スポーツマンやスポーツウーマンでも一流と言われるほどには成功できないまま、若くして引退の日を迎えたとなると、その後の長い人生もけっして容易なものではなくなる。

 かつてのアマチュア・スポーツでは、企業スポーツ(企業内のクラブ)に所属する場合が多かったので、スポーツの指導者になれなくても、引退後は所属企業の社員として働くことも可能だった。ところが最近は、企業側もかつてのように無条件で引退した選手を雇用するほどの余裕はなくなった。

 そうして国内でトップクラスのスポーツマンやスポーツウーマンが、すべてプロ扱い(プロ契約)されるようになるなかで、ほとんどの選手が引退後の「セカンドキャリア」を自ら準備しなければならなくなったのだ。

 かつてのプロ野球選手や大相撲の力士で、指導者や親方としてその世界に残れなかった人物は、喫茶店やスナックやちゃんこ料理店を開くなど、いわゆる水商売を始める人がほとんどだった。しかし最近は、そのような構図も大きく様変わりしてきたようだ。

 元プロ野球選手(阪神ターガース投手97年ドラフト6位指名入団/01年退団)として超難関と言われる国家試験に合格し、初の公認会計士となった奥村武博氏(現在39歳)。元Jリーガーとしてガンバ大阪、ヴィッセル神戸などで公式戦出場3試合に出場したあと、JFL横河電機サッカークラブで43試合出場して退団した5年後に司法試験に合格し、Jリーガー初の弁護士となった八十祐治氏(同49歳)。

 それにオリックス、西武などで中継ぎ投手として活躍したあとイタリア・レストランのオーナー・シェフとなった水尾嘉孝(50歳)氏や、バルセロナ五輪の競泳400m個人メドレー8位入賞の後、NHK大河ドラマ『平清盛』や連続テレビ小説『花子とアン』に出演するなど、俳優として活躍している藤木隆宏氏(48歳)など、最近のスポーツ界は多方面で活躍する人材を輩出している。

 JOC(日本オリンピック委員会)やJSC(日本スポーツ振興センター)も、スポーツ選手の「セカンドキャリア」を支援する取り組みを始め、スポーツマンやスポーツウーマンならではの「スポーツ・インテリジェンス」の活用をアピールするようになってきた。つまり、かつて多くの人々に誤解されていたように、スポーツマンやスポーツウーマンは「スポーツしかできない人間」ではなく、「スポーツを通して身に付けたインテリジェンス(知識や知恵)によって社会や企業に大きく貢献できる人材」であるとの認識を広めようとしているのだ。

 スポーツに取り組む人間は(とりわけ少しでも高いレベルを目指そうとする選手は)、まず目標を定め、コーチとともにその目標に達するための練習計画を練り、それを実行し、試合に臨めば戦略と戦術を頭に入れ、たとえばサッカーではボールをどのようにパスするのか、マラソンではスパートする駈け引きなどを、瞬時に判断しなければならない。

 そのような「スポーツ・インテリジェンス」を持つ人材を、社会や企業でさらに活用させようという動き――それは、もはやスポーツマンやスポーツウーマンの「セカンドキャリア」などではなく、スポーツと一体になった「デュアルキャリア(二重のキャリア)」と言えるものだ。

 かつてはスポーツマンがスポーツ以外のこと(たとえば勉強?)をすれば、「スポーツに専念しろ!」などと(監督から?)命令される時代もあった。が、今は、様々な他方面の学習をするほうがスポーツそのものにもプラスになると考える指導者が増えている(かつてミスター・ラグビーと呼ばれた平尾誠二氏などは、そんな考えの第一人者だった)。

 アメリカではスポーツマンやスポーツウーマンが「現役選手を引退」することに、「リタイアretire(引退)」という言葉ではなく、「アジャストメントadjustment(清算/適応)」という言葉を使う場合も多いという。それは選手生活を「清算」すると同時に、その次の生活に「適応」することだ。

 そのためにはもちろん、「ネクストキャリア」のための準備として、また、今の生活(選手生活)をより豊かにするためにも、現在は「デュアルキャリア」の必要性が強調されるようになってきたのだ。

 いま日本のスポーツ界には、将来医師になることを目指している世界チャンピオンの女子柔道家や、日本代表のラガーマンもいれば、オフシーズンに大学院で経営学を学んでいるプロ野球選手もいる。スポーツマンの「引退」とは、さらなる飛翔への門出の時と言えそうだ。

 
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ライブドア堀江社長インタヴュー「落選から西武買収まで、すべて話します」

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中日ドラゴンズ監督・落合博満の「確信」

奇蹟は起きた!

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「メディア規制法」とスポーツ・ジャーナリズム

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「逆境こそ改革のチャンス!」

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F1― それは究極の男の遊び

「戦争用語」ではなく「スポーツ用語」を

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アメリカ・スポーツライティングの世界

<戦争とスポーツ>

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草野進のプロ野球批評は何故に「革命的」なのか?

理性的佐瀬稔論

新庄剛志讃江――過剰な無意識

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