以前、某雑誌の企画で、ベルリン五輪の記録映画『オリンピア』(邦題『民族の祭典』『美の祭典』)の監督レニ・リーフェンシュタールと『東京オリンピック』の監督市川崑両氏の対談で、司会を務めたことがあった。
レニは当時89歳だったが、スキューバ・ダイビングの免許を取得して地中海の海中潜水撮影に挑むほど元気で、かつて女優だった美貌も衰えず(これは日経の紙面には書かなかったことですが、その時彼女が連れてきた2メートル近い長身のダーク・ボガードにソックリの男性ガードマン=ボーイフレンド?も、素敵な人物でした)、彼女は笑顔で次々と撮影秘話を披露してくれた。
棒高跳びで2・3位に入った日本の西田・大江両選手が試合後の撮影を忘れてパーティに行ってしまい、撮影を翌日夜に延期した……とか、マラソンに優勝した孫選手はトレーニング中の映像もレースに挿入した……等々、現在なら「ヤラセ」と言われかねない手法も「正当な方法」と彼女は胸を張った。
その出来栄えを作家の虫明亜呂無氏は、アフリカ原住民を撮った彼女の写真集『NUBA』(PARCO出版)に次のように書いた。
「彼女は、この映画の中に、彼女の考えているスポーツの美しさと、人間の意志と筋肉の動きを、それぞれ緊張と均衡を保たせて、申し分なく描写し尽くした」「僕はそれまでにも人間が走るという行為を幾度も見てきたが、人間が走ることがこのように美しいものだということは知らなかった」
一方、市川は「後撮り」をあまりやらなかった。雪を頂く富士山が背景の聖火リレーは大会終了後に撮影したが、競技では女子体操優勝のチャスラフスカに再演を頼んだだけ。
その考えはレニと同じで、「写されているのはスポーツそのもの」と語っている(『市川昆の映画たち』(ワイズ出版)。
ただし彼は、レニの映画にはなかった要素を付け加えた。それは昭和39年の東京の姿。映画を見た橋本治は、その感想をこう語った。
「冒頭に銀座通りが出るでしょ?(略)あんな汚い東京、見たことがなかった。(略)銀座通りは映画に何度も出てるはずなのに、あんなに汚く撮られたことは一度もないのよね。わざわざ一番汚い銀座通りをタイトルバックに持ってきたのに、本当に驚いたの。「やっぱり市川崑だ!」と思った」(和田誠・森遊机『光と嘘、真実と影市川崑監督作品を語る』河出書房新社)
橋本は、この名作映画を「失われた文明の記録」と見事に看破した。そして、さらに…
「東京オリンピックは“復興した戦前”をブチ壊した。新たなる近代化の達成のために。外国からお客様をお迎えして、立派なおもてなしして世界の一等国に仲間入りをする為、日本人は自分達の首都をブチ壊して行った。古く乱雑な町並みを、新しい都市に生まれ変わらせる試みは、実のところ今も続いている。続けて収拾がつかなくなっている。(略)日本人は東京に“世界の中心”でも呼びたいんだろう」(橋本治『さまざまなエンディング』主婦の友社)
28年前の文章は今も光を放つ。我々は2度目の東京五輪で、いったい何をする気なのか? |