コラム「ノンジャンル編」
HOMEへ戻る
 
表示文字サイズ選択:
標準
拡大
掲載日2012-05-30

この原稿は、雑誌『ミセス』2001年7月号の小生の連載企画『こんにちは旬の人』の第8回として、市川亀治郎さんに登場してもらったときに書いたものです。タイトルは『伝統とは「変える力」』。3年後に講談社から出版された拙著『天職人』という単行本のなかにも掲載しましたが、四代目市川猿之助の襲名をお祝いして、“蔵出し”したいと思います。

二代目市川亀治郎さん(現・四代目市川猿之助)――伝統とは「変える力」

 日本人も捨てたものではない。最近、心の底から、そう思うようになった。それは、この連載企画を通して体感したことでもある。

《旬の人》という〃切り口〃でアーティストやスポーツマンといった創造的な人々の話を聞く……というこの連載だが、これまで、すばらしい才能の持ち主に登場していただいた。さらに、会ってみたい異能異才が山ほどいる。読者の方や友人からも、様々な情報をいただく。聞けば、興味をそそられる人物ばかり。どうやら、人材不足は永田町と霞ヶ関近辺だけのようである。

 そんな思いを強めていたある日、編集担当のO君から、「歌舞伎役者の亀治郎に会ってみませんか」といわれた。

「ちょっと面白い人物で、彼の出ていた『国際都市平城京を演出した人々』というシンポジウムに行ったのですけど、小学校時代に鎌倉の寺をすべて見て回り、中学時代に京都、高校時代に奈良の寺を制覇し、藤原不比等が大嫌いらしくて……」

 ナルホド。寺や仏像のロマンが好きで、日本の官僚機構(律令制度)を創った人物が嫌い……というのは面白そう――と思いながら、口の中で、カメジロウ、カメジロウ……と呟いた。どこかで聞いた名前だが、思い出せない(亀治郎さん、すいません)。舞台を見たような気もするが、判然としない。

 そのうち、ハタと思い当たった。
 市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』で、ビショヌレになった役者だ! そのことを思い出した途端、是非とも会いたくなった。

 私事で申し訳ないが、昨年のゴールデン・ウィークに、83歳の母親が鎌倉にある我が家へ遊びに来た。そこで、たまには親孝行でもと思って『新・三国志』に連れて行った。

 京都の南座のそばで暮らしている母親は、「芝居を見に行くのに電車に乗るのかいな」などとぼやきながらも、生まれて初めての新橋演舞場行きを喜び、「なんと、まあ、派手な舞台やこと」といいながら、アクロバットのような立ち回りや、大きな船がタイタニックのように沈む舞台や、猿之助お得意の宙乗りなど、スーパー歌舞伎を存分に楽しんだ。

 なかでも、30トンもの水がナイアガラのように流れ落ちるなかでの立ち回りには、老婆が子供に戻ったようにキャッキャッとはしゃいだ。そのとき、関羽(猿之助)の息子の関平役で暴れまくったのが亀治郎だった。

 膝まで水につかり、滝の水を頭から全身に浴び、剣を振り回した亀治郎は、敵を追って花道まで進み、その敵を見事に切って捨てると、たっぷりと水を含んだ長髪を、鏡獅子のように振りあげた。

 水飛沫(みずしぶき)が、客席にまで撒き散らされる。観客は、キャアアアと声をあげて水を避けた。わが母親も、若い女性のように黄色い声をあげて水から逃げた。いや、水のかかる位置から離れていたにもかかわらず、そんな反応を示した。たぶん、若い役者に、水をかけてほしかったのだろう。

 私は、思わず苦笑した。が、そのとき花道に立っていた役者の横顔がよかった。見事だった。まるで客席を睥睨するかのように、顎を突きあげていた。その姿は傲岸不遜のようでありながら、若き花形役者ならではの心意気と美臭が匂い立っていた。

 観客に媚びず、しかし、観客を侮らず、「何なら、もう少し、お水をおかけしましょうか……」とでもいいたげな若者の姿に向かって、私も私の母親も、大きな拍手を贈ったのだった。

 これは、並みの役者にはできない顔であり、立ち姿である。出雲の阿国なのか、近松なのか、いつの時代までさかのぼるべきなのか、私にはわからないが、おそらく日本の歌舞伎という何百年かに及ぶ伝統というものが創りあげた顔であり、立ち姿といえるものに違いない。

 今年のゴールデンウィークの新橋演舞場公演『新・三国志孔明編』を見たあと、亀治郎さんと食事をする機会を得た。

――歌舞伎役者というのは、やっていて、つまらなくないですか?

  のっけから無礼な質問をぶつけたのは、何百年かの伝統に支えられた人物は少々なことでは動じない、と踏んだからである。

 予想通り、若き歌舞伎役者は微塵もたじろがず、少しばかり怪訝な顔つきを返した。

――だって、昔からある決められた型を踏襲するだけでしょう。スーパー歌舞伎の場合だったら、まだ役者のやりたいことをできるかもしれませんが、古典は、型どおりですから。

 そういうと、亀治郎が笑った。
「型どおりじゃないですよ。いま、型と呼ばれているものも、すべて、昔の役者さんが創ったものです。だから、私が、新しいことをやれば、それが型になるんです」

――そういう新しい型を創ることは、歌舞伎の世界で許されてるんですか?

「もちろん、許されてますよ。だって、歌舞伎には演出家という存在がありませんから。役者が考えて演じているだけですから」

――しかし、破天荒な型破りはできないでしょう? たとえば、右手を前へ突き出して見得を切るときに、左手を前へ突き出すとかは、してはいけないことですよね。

「いや、やっても、いいんじゃないですか。むかし、鼻が高くて鼻高幸四郎などと呼ばれた役者さんがいて、自分の鼻の高さを強調するために、本来なら前を向いて見得を切るところを、横を向いて見得を切った。それが、いまも型として踏襲されています。だから新しい型を創ればいいんです。それが認められれば、伝統になるわけです」

――型とか伝統とか、窮屈じゃないですか?

「そんなことないですよ」

――ほんとに?

「ええ。だって、あなたも、いま、食事をするのに、お箸を使ってるじゃないですか」

 ははははは、と、あまりに見事な回答を返されて、思わず大声で笑ってしまった。なるほど。小学校の給食で、箸を、先の割れたスプーンに変えたところで、箸はなくならない。当然のことだ。箸のほうが、われわれ日本人には、使いやすいからである。日本食には、箸のほうが合理的だからである。

 かつて、型や伝統というものを破壊しようとした時代があった。家元、家系、師弟関係……すべてを封建的遺物と考え、否定する風潮があった。伝統は体制であり、体制は打倒すべし、という声の高まった時代があった。

 物心のついたときから、そんな時代の空気を吸い続けた人間としては、型とか伝統と聞いただけで否定したい気持ちが働く。歳を重ねて、その重要性が理解できるようになっても、「かたやぶり」に拍手を贈りたいと思う。

 もっとも、「かたやぶり」とは「型」があって初めて可能なことであり、「型」がないまま型を否定すれば「かたなし」でしかない。日本食を先割れスプーンで食べるようになれば、もちろん「かたなし」である。

 花形への道を歩みつつある若き歌舞伎役者に、「かたなし」の恐れはない。そして、「かたやぶり」への誘いにも、乗ろうとしない。「型を創る」という。否定せず、肯定する。肯定して、さらに伝統を前へ進めようとする。

「日本の伝統って、これまでの歴史のなかで全否定されたことがないじゃないですか。文化大革命のようなものもなかった。だから、逆に重要視されないんじゃないですか。なくなってしまったら、その重要さ、大切さが、もっとよくわかると思うんですけどね」

 1975年、亀治郎は、四代目市川段四郎の長男、市川猿之助の甥として生まれた。澤潟屋一門の御曹司は、他の御曹司と同様、五歳になる直前という物心も付かないときに、『義経千本桜』の安徳帝で初お目見え。本名の喜熨斗孝彦(きのしたかひこ)の名前で、初舞台を踏んだ。そして8歳になる直前に二代目亀治郎を襲名。

 しかし、父親に芸は教わらなかったという。
「ふつう、そうですよ。歌舞伎役者は自分の子供には教えません。ほかの家の方に教わるものです。だって、自分と同じクローンのような跡目ができても、仕方ないじゃないですか。役者は一代というでしょう」

――でも、それでは伝統が引き継がれないのでは?

「それで引き継がれないようなものは、伝統とは呼ばないのでしょうね」

 たしかに。伝統とは、強いものなのだ。
 幼いころから、踊りの巧さで注目され、とくに17歳のときに踊った猿之助との『連獅子』は絶賛されたという。

「どっちかと聞かれたら、お芝居よりも踊りのほうが好きですね。お芝居は、理性的な部分が残るというか、踊りよりも頭を使うじゃないですか。踊りは身体がすべてというか、のめりこむことができるから好きですね」

 とはいえ、役者の家系に生まれ、役者として育った亀治郎は、根っからの「舞台人」である。つまり、「のめりこむ」といっても、どこかで醒めている。どこかで、自分の行動を観察する、もう一人の自分を持っている。

「世阿弥のいった『離見の見』というやつですね。能役者は、のめりこんではいけない、どれだけ演技にはまっても、自分を観察する目を持たなければならない、ということです。だから、大学へ進んだときも、大学生を演じましたし、大学生を演じている自分を、常に見つめていました」

 澤潟屋(おもだかや)は、学業優先がモットーだという。父の段四郎も、叔父の猿之助も大学に進んだ。

 父の段四郎は、「中途半端なことはするな。大学に進むなら、きちんと大学の勉強をして卒業しろ。行かないなら舞台に徹しろ」といった。役者としての最も大事な時期に舞台を離れ、大学生活に没頭するのはマイナス、との声もあった。が、亀治郎は、澤潟屋の「伝統」どおり、大学を選んだ。

「父や叔父さんを見ればマイナスなんてないですからね。大学へは行かないほうがいい、という人には、父や叔父さんを見てください、といいました」

 そもそも歌舞伎役者が大学へ進むようになったのは、亀治郎の曾祖父のさらに父の時代、明治の初期に坪内逍遥の書いた新作台本が読めなかったことがきっかけだったという。
《前庭梧桐昌昌》(ゼンテイのゴトウ、ショウショウたり)が読めなかった。

「ただ、庭に桐の花が咲いているというだけなんですけどね。明治の文学者が難しい漢文調の表現をしたのを読めなかった。それがきっかけで、これからの役者は学問を身につけないと、という伝統が生まれたんです」

 しかし、亀治郎は「前庭梧桐昌昌」を読むために大学に入ったわけではなかった。近松やシェークスピアを読むためでもない。

 慶応大学文学部の国文科に進み、古事記や日本書紀を読み、中国語を学んだ亀治郎は、授業を何度かサボった。サボりたくなくても、サボってみた。試験が近づくと、ノートの貸し借りもした。ノートを借りる必要がなくても、借りてみた。麻雀もやった。とくに麻雀が好きでもなかったが、雀卓を囲んだ。コンパにも積極的に出席した。

 大学生のやっていることは、すべてやってみた。大学生を演じるには大学生のやることをやらなければならない、という考えから、あらゆる大学生のモデルを演じてみたのだ。
 夜遅くまで図書館に残り、一人で勉強もしてみた。そういう大学生を演じている自分を、もう一人の自分が見つめ、「おお、大学生をやっているな」と思ったという。

《見所より見る風姿は、わが離見なり》(花鏡)世阿弥の境地である。
「おもしろかったですよ。役者の世界では得られない経験ばかりですから」

 役者の世界では得られない経験を、役者として体験した。亀治郎は、根っからの役者である――といいたいところだが、目の前にいる若者は、あまりに理知的で、論理的である。

「根っからの役者」と呼ぶためには、たとえ歌舞伎のような伝統芸能の世界でも、やはり、自己顕示欲が強くなければならない。他人に見られることに酔い、ウケて喜び、少々露出症的な要素も必要なはずだ。

「ははははは。そのとおりですね」

――そういう性格には見えないけど……。

「だって役者の家系に生まれたんですよ。DNAに入ってないわけないじゃないですか」

 そうなのだ。まったくの愚問だった。目の前にいる若者の頭の回転が、なかなかに鋭く速いものだから、新橋演舞場のオバサマやオバアサマたちに、水をかけて喜ばせてあげた姿を失念してしまった。たしかに、亀治郎は、根っからの役者である。

 愚問ついでに、さらなる愚問を。

――歌舞伎の世界に不満はないですか?

「ないですね」

――若者は不満を抱くものだけど……。

「でも、不満な点は自分で変えればいいわけですから。政治とか、自分で変えられないことには、不満も抱きますけど……」

――変えられる?

「ええ。そういう立場にいますから」

 フランスの哲学者アランは、《悲観主義は気分の問題だが、楽観主義は意志の問題だ》という言葉を残した。おそらく、「改革」とか「革命」というものも、悲観し、否定するのではなく、楽観し、肯定するところから生まれるものに違いない。

「型」や「伝統」を見事に肯定してくれた亀治郎に、私は自分の49歳という年齢を感じながら、心のなかで大きな拍手を贈った。

▲PAGE TOP
バックナンバー


蔵出し新着コラム NEW!!

人間は「走る」より「歩く」で進化する?

自動車レースは、安全運転を競う競走!?

「スポーツゴジラ」連載「走」第2回/未来の「走り方」は過去のなかにある!?

「スポーツゴジラ」新連載「走」第1回/「速さ」は産業革命以後の価値!?」

スポーツとは何か? ――「スポーツそのもの」の魅力を求めて

「大谷翔平報道」の洪水によって洗い流されるプロ野球の「負の歴史」を忘れるな!

衝撃の文春砲! 「五輪汚職疑惑」裁判に「スポーツ利権の帝王」は召喚されるか!?

パリ五輪/真価が問われる「平和の祭典」原点回帰へ理想論を愚直に掲げよ

スポーツによる「社会革命!」川淵三郎氏文化勲章受賞の意味は大きい

川淵氏の文化勲章受章が持つ意味/組織創りの「社会革命」評価

「アレ」を喜べない古い虎ファンの嘆き/阪神タイガースは、ただ勝てばいいのか!?

ちくま文庫編集部 K 様  from 玉木正之

日本スポーツ界よ!本質から目を背けず改革から逃げるな!

五輪談合ビジネスの崩壊/メディアの沈黙は不正共犯の証だ!

メディアとスポーツの関係刷新/アスリートはメディアを使った新しいカタチに逆転すべき!

日本のスポーツ界改革/未来を担うのは過去の利権と無縁の女性たちだ

日本のスポーツとアスリートを堕落させた戦犯は誰だ!?

「メディア」としてのアリを描ききった快著/『評伝モハメド・アリ』書評

2020東京オリンピック スポーツを食い物にした五輪と電通

特別対談:小林信也vs玉木正之/高校野球甲子園大会を廃止せよ!

夏の高校野球甲子園大会は、今年を最後に抜本的に改革せよ!

大甲子園の想ひ出

「速さ」は産業革命以後の価値!?

「オリンピック休戦決議」を破ったロシアに対してIOの取るべき態度は!?

五輪が《オワコン》であることを明快に証明した記録/本間龍・著『東京五輪の大罪: 政府・電通・メディア・IOC』ちくま新書

今年の3冊『生物はなぜ死ぬのか』『亡国の東京オリンピック』『剣道の未来』

カオスからコスモスへ−−若者たちの形造る「小宇宙」=矢崎良一『松坂世代』河出文庫〈解説〉

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(9)「大阪タイガース來る」 / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(10)遠藤忠「長嶋茂雄ヘルメット飛ばす」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(7)ベン・シャーン”National Patime" / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(8)ナット・ファイン『The Babe Bows Out』

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(5)hoda Shrball「Casey Stengel」 / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(6)「Baseball scene of Batter,Catcherand Umpire」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(3)玉井力三「ジョー・ディマジオ親子とヤンキースタジアム」/同(4)「ワールドシリーズのオフィシャル・プログラム1988」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(1)ニール・ライファー「シェイ・スタジアム」/同(2)「The American National Game of Base Ball.」

スポーツお薦めの一本!一冊!/『けんかえれじい』と『老人と海』

愛情あふれる「野球の素人」奮戦記/清武英利『サラリーマン球団社長』文藝春秋

戦前日本野球史の誤りを正す/坂本邦夫・著『紀元2600年満州リーグ 帝国日本とプロ野球』岩波書店

スポーツそのものを描いた小説〜ヘミングウェイ『老人の海』の凄さ、素晴らしさ!

六道珍皇寺・閻魔大王像――幼い頃に恐怖心を刻まれた閻魔様との再会

まえがき――今こそ「スポーツとは何か?」を考え直してみよう!

「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?

現在の「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?

東京五輪の遺産(レガシー)はなにか? スポーツの根源問う好機に

市川崑監督の映画1964年の『東京オリンピック』は、スポーツの素晴らしさを教えてくれた史上最高のスポーツ映画。はたして河瀬直美作品は、どんなオリンピック映画になるのか?

『彼らの奇蹟 傑作スポーツ・アンソロジー』解説

英語は難しい? 外国語とスポーツの不思議な関係

それはわずか50年前の出来事 高速道路と新幹線が初めて出現した時代の興奮

こころの玉手箱第3回「一本足打法のブルドッグ 旧ソ連、不思議な国家とその時代」

こころの玉手箱第2回「母がくれた小さな薬缶 常に一緒、激励の手紙にはマイッタ」

こころの玉手箱第1回「父の飯盒と水筒と勲章」

『ふたつのオリンピック東京1964/2020』訳者あとがき――そこにはただ風がふいているだけ……

猛暑の高校野球 改革せよ!試験期間中の予選もおかしい

政治経済問題は第1回大会から。オリンピックに未来はあるか?/ジュールズ・ボイコフ[著]中島由華[訳]『オリンピック秘史−120年の覇権と利権』早川書房

いまも京都はアンダー・コンストラクション/島田裕巳『京都がなぜいちばんなのか』ちくま新書

スポーツに映し出されたアメリカという国の本質/鈴木透・著『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』中公新書

スポーツ教養主義を押し進めたメディアの興亡/佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史 ベースボール・マガジン社と大衆教養主義』勉誠出版(3200円+税)

大相撲は日本文化の精華――それを「保守」することこそスポーツ(格闘技)以上の大相撲の役割なのだ

愛煙家には理解できない煙草の話 「卒煙」して初めてわかる元ヘビースモーカーの悩み

モンゴル会の実態把握を

スタジアムとは都市の文化の核となる存在である/後藤健生・著『世界スタジアム物語 競技場の誕生と紡がれる記憶』ミネルヴァ書房

2020東京五輪は環境問題も無為無策?

子規の野球への視点――それは、スポーツライターの原点

銃剣道はスポーツか? そのうちに、まさか竹槍も?

先人たちの語る日本マラソン低迷の理由/折山淑美『日本のマラソンはなぜダメになったのか−日本記録を更新した7人の侍の声を聞け!』文藝春秋社

元ボクサーたちの痛快な再起:沢木耕太郎『春に散る』朝日新聞出版・書評

2016年は没後400年〜シェイクスピアは未来永劫生き続ける超人(スーパースター)である

無駄でなかった小池提起〜しかし、問題はまだ山積

半歩遅れの読書術第5回/五輪とは何か 文明化を表象する平和運動

半歩遅れの読書術・第4回/五輪で何を撮るか ドイツの女性監督と市川崑

半歩遅れの読書術・第3回/ユーロ・サッカーとシェイクスピア 原作者の意図を超える面白さ

半歩遅れの読書術・第2回/モハメド・アリと南部麒六 悲歌の似合う雄々しい人生

半歩遅れの読書術・第1回/ドナルド・キーンとイチロー 伝統の魅力思い出す

猫ブームの日本で好かれている猫〜それはドラえもんのような「犬的な猫」?

大相撲こそ江戸の華。昔も、今も、都の華。

大相撲は「お国自慢」の文化――琴奨菊の優勝を日本人として喜ぶ

大学スポーツを考える

大相撲は日本の国技――と同時に、ユーラシア大陸全体に広がる格闘技文化なのだ

スポーツライターを引退しました

エンブレムがプロブレム〜創作とは過去を超えること

NHK視点・論点 「体育からスポーツへの変化を」

槇文彦グループの提言:低いキールアーチ構造がコスト高・長工期の原因である。

『スポーツ・アンソロジー彼らの奇蹟』(新潮文庫)は、何故か「死」と関わりを持つ作品が多くなってしまった。

スポーツと文学第5回/「人間ドラマ」礼讃の気風/競技描いた名作も多く

スポーツと文学第4回/運動会 躍動するパワー/壮士も近代女性も熱中

スポーツと文学第3回/思想を宿し物語る肉体/20世紀 覆る「精神優位」

スポーツと文学第2回/近代民主主義と武道/国際化と反時代2つの道

スポーツと文学第1回/古典に描かれた競技・日本人の個人技好みを映す?

日本の作家はスポーツが好き!?/数多い「日本のスポーツの本」に改めて注目しよう!

夏の甲子園・投手の酷使……最大の問題点は?

世界最強のブラジル・サッカーは、史上最悪の敗北からスタートを切った!(沢田啓明『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』新潮社)

京がたり 俺の祇園 いやで捨てたけど、好き

スポーツの正しい発展のために指導者ライセンス制度の確立を!

東京の新しい歌舞伎座が完成オープン/歌舞伎はナンデモアリの最高に楽しい大衆芸能ナノダ

あけましておめでとうございます。

スポーツする身体 十選/第9回スポーツする身体 パブロ・ピカソ『マタドールの死』/第10回スポーツする身体 ベン・シャーン『ハンド・ボール』

スポーツする身体 十選/第7回スポーツする身体エドガー・ドガ『観覧席前の競走馬』/第8回スポーツする身体ルネ・マグリット『迷える騎手』

スポーツする身体 十選/第5回ボナール『ボクサー』/第6回モネ『アルジャントレイユのレガッタ』

スポーツする身体 十選/第3回ディスコボロス(円盤を投げる人)/第4回クールベ『レスラー』

スポーツする身体 十選/第1回アルジェリアの洞窟壁画/第2回マチス『ダンス』

東京オリンピック〜戦後日本のひとつの美しい到達点

「黒人選手」は本当に速くて強いのか!?〜スポーツと五輪の過去・現在・未来

「美」で誘惑した女の一生――ライナー・ローター著『レーニ・リーフェンシュタール 美の誘惑者』(ライナー・ローター/瀬川裕司訳/青土社・2,800円)

プロ野球ビジネスの未来〜球界全体の新戦略を

日本体罰論〜いま改めて考える「スポーツ」と「教育」と「体罰」

東京の新しい歌舞伎座が完成オープン/歌舞伎はナンデモアリの最高に楽しい大衆芸能ナノダ

六道珍皇寺・閻魔大王像――幼い頃に恐怖心を刻まれた閻魔様との再会

大河ドラマは世に連れ、家族は大河ドラマに連れ……

京都駅の思い出

スポーツ振興くじ(toto)は「ギャンブル」や「金集め」だけでは語れない!

あなたは知ってる!? スポーツの疑問の数々…

五輪のあり方を考える〜ネット中継や交流も…/ロンドン・オリンピックはシェイクスピアに注目!?

「猫もするなり球遊び」スポーツは、世界(オリンピック)と地域社会(クラブ)をつなげる

「猫もするなり球遊び」オリンピックは人類の祭典!日本人にとっては?

二代目市川亀治郎さん(現・四代目市川猿之助)――伝統とは「変える力」

大学の教壇に立って……〜ジャーナリズムとアカデミズム

ランニングの歴史と魅力を伝える〜トル・ゴタス著『なぜ人は走るのか:ランニングの人類史』(筑摩書房)

読者からの質問への回答

『マーラーの交響曲』発売記念エッセイ〜いつか私の時代が来る、とマーラーは言った。

祇園町の電器屋の初荷

権力志向者がジャーナリストになる危険性――魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社

かつてラグビーは日本中を湧かせた!(上岡伸雄・著『釜石ラグビー栄光の日々松尾雄治とくろがねのラガーたち』中央公論社)

日本文化「大相撲」は「スポーツ」なのか?

オペラ(音楽)とスポーツの濃密な関係

塾や予備校は学校より大事?

「新道」という名前が消える寂しさ

孤立化、個別化する社会のあり方に警告(杉本厚夫『「かくれんぼ」ができない子どもたち』ミネルヴァ書房)

女心・男心…人間を描くため、肉体を描ききった本物の作家(虫明亜呂無『パスキンの女たち』清流出版)

松本修『「お笑い」日本語革命』(新潮社)書評「みたいな。」の元祖はとんねるずか!?

犬好き男の愛猫記

大魔神を巡る見事な「知的探検の旅」/小野俊太郎・著『大魔神の精神史』(角川ONEテーマ21)

企業の「所有物」と化したスポーツ・文化団体

スポーツ番組作りの「プロ」になっていただくために

「スポーツ放送はどうあるべきか?」を考える前に、考えるべきこと

書評『茶の世界史』/茶が映し出す過去の世界史&茶が匂わせる未来社会

思い出すのは仕事をしている姿

脳出血と恐怖心

現代社会の「怪物性」を説き明かす見事な一冊〜小野俊太郎・著『フランケンシュタイン・コンプレックス 人間は、いつ怪物になるのか?』青草書房

「劣等感・コンプレックス」とは、本当はどんなものなのか

あけましておめでとうございます

脳出血から復活できた理由(わけ)

「何か」を表現しようとする究極の本能

天職人〜あとがき

そばは京都にかぎる

総選挙の行方とスポーツ界

小泉首相の「趣味」と「文化政策」

行きつけの店は恋人に似てる?

アイ・ラヴ・サッポロ!アイ・ラヴ・ホッカイドウ!

日本文化の「型」と「カタヤブリ」と「カタナシ」の関係を横綱・朝青龍の「カタチ」から読み解く。

いま、ベネズエラで起きている「大事件」

「文化」の持つ本当の力

あけましておめでとうございます

煩悩の世界史〜『要約世界文学全集』(木原武一・著/新潮社)

「夢かうつつか…」逝った者へ…、残された者は…

オリンピックはスポーツではない

「天才」の多くなった世の中

『二十五時』との数奇な出逢い

わたしは猫になりたい。

紅旗征戎不有吾事 金は天下の周りの持ちもの…

アメリカ珍道中〜This is American Way

仕事人間の弁明

変わらないことの素晴らしさ

<二人袴>

女人狂言『茶壺 de Hermes』

私の行きつけの店・好きな店

島田雅彦vs玉木正之 ドイツW杯特別対談「選手を自由にさせたら高校生になっちゃった」

あけましておめでとうございます

個人的パラダイム・シフトに導かれた三冊

ゴシック・万博・ストリップ・吉本…を読む

現代と未来の世界を考えるうえでの「真の世界史情報」(井野瀬久美恵・著『興亡の世界史16 大英帝国という経験』)

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第3弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第2弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第1弾!

知識や情報なんて、ないほうがいい

現代日本人必読の一冊

タクシーと自家用車の違い

「天才」って何? ――まえがきにかえて

「ある女の一生」

「戦争映画」が好きな理由(わけ)

とかく京都のスポーツマンは……

道はどれほど重要なものか

祇園町の「生活」=「文化」

地獄八景万之丞乃戯(じごくばっけいまんのじょうのたわむれ)

わたしは猫になりたい。

読書日記〜稲垣足穂から梅原猛まで

アッピア街道に乾杯(ブリンディシ)!

「質より量」の読書は「質」が残る?

スポーツは究極の道楽?

久しぶりに「銀ブラ」でもするか・・・

行きつけの店は恋人に似てる?

権力志向者がジャーナリストになる危険性――魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社

ロジャー・パルバース著『旅する帽子』生身のラフカディオ・ハーンが幻想のなかに甦る

作者の名前も作品の題名も消えるほどのノンフィクションの名作〜デイビッド・レムニック著『モハメド・アリ』

戦争と軍隊の歴史

スポーツと音楽を通して出逢ったトリュフ

スポーツ・ジャーナリストにはスポーツよりも大事なものがある?

お薦めの本(2003年夏〜2004年春)

日本人は元気だ――24人の元気な日本人

美しい最後の素晴らしさ

「若い国」アメリカ

京都人の溜息

経済には倫理が必要である

オススメ脳味噌のマッサージ

吉本興業は匈奴である『わらわしたい――竹中版正調よしもと林正之助伝』竹中功・著/河出書房新社

虚実の皮膜――『イッセー尾形の都市カタログPART2』イッセー尾形/森田祐三・共著 早川書房・刊

胡散臭さ礼賛――竹内久美子『賭博と国家と男と女』(日本経済新聞社)

衝撃的な笑劇――レイ・クーニー『笑劇集』劇書房

翻訳って何?――『翻訳史のプロムナード』(辻由美・著/みすず書房・刊)

脳細胞の組み替え――『世界史の誕生』岡田英弘・著/筑摩書房(現・ちくま文庫)

長老の話――堀田善衛・著『めぐりあいし人びと』を読んで

古典の楽しさ

ドリトル先生 不思議な本

京都が消える

嬉しいこと――喜びは常に過去のもの

野村万之丞 ラジカルな伝統継承者(2)

野村万之丞 ラジカルな伝統継承者(1)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第5回=最終回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第4回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第3回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第2回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第1回)

先達はあらまほしきか?

旅の衣は篠懸(すずかけ)の

パチンコと飢餓海峡

最近の映画はつまらない?いや、やっぱり、映画はおもしろい?

神道、天皇、韓国・・・を読む。

はかなく、素晴らしい、味わい

京の祇園の極私的元服之儀

コースケ(野村万之丞)の遺言

ミレニアム歳末読書日記 楽しい世紀末

お金と勉強

親父ゆずりの数学好き

わたしの本棚(4) スポーツを読む

わたしの本棚(3) 祭りの原型

わたしの本棚(2) ドラマの感動

わたしの本棚(1) 振動する快楽

夏休み読書日記/スポーツ・身体・ジャーナリズム

銀行は痰壺処理会社

親父の隠したエロ小説

野村万之丞――伝統と格闘するパワー

女が動く時代、男は思索せよ

バック・オーライ

二十五時――わたしの好きな世界文学

「私の京都」

わたしの東京体験

SPレコードは生演奏と同じ〜蓄音機にはまってしまった!

感銘した一冊の本〜鈴木隆『けんかえれじい』

「情報過多時代」の楽しみ方

内面より外面

不味いものが食いたい!

ああ、肩が凝る。

父の勲章

京の昼寝

祇園町の電器屋の初荷

Copyright (C) 2003-2011 tamakimasayuki.com. All Rights Reserved. Produced by 玉木正之HP制作委員会. ホームページ制作 bit.
. 『カメラータ・ディ・タマキ』HOMEへ戻る