コラム「ノンジャンル編」
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掲載日2007-07-02

この文章は、最近「講談社現代新書」から発売された五嶋節・著『「天才」の育て方』の「まえがき」の冒頭部分です。上梓するにあたって、小生もスタッフとして構成・執筆に協力しました。とても面白い本に仕上がってますので、是非ともお買い求めのうえ、ご一読してください。

「天才」って何? ――まえがきにかえて

どこが天才?
 まず最初にお断りしておきたいことがあります。
 それは、「本を書く」ということ、そして、それを「世に出す」ということ、そういうことに対してためらう気持ちが、まだ私の心のなかにあることです。
 私は、みなさん御存知のように、ヴァイオリニストの五嶋みどりと五嶋龍という姉弟の母親として、また、みどりと龍にいちばん最初にヴァイオリンを教えた指導者として、世の中に少しは名前が知られるようになりました。

 しかも、みどりは十歳六か月、龍は七歳と九日で、プロのヴァイオリニストとしてデビューし、国際的な舞台で活躍するようにもなったため、いろんな人々やマスコミから「天才」とか「神童」などと呼ばれたりもするようになりました。その結果、私自身も、「天才の母親」とか「神童の母親」といった呼ばれ方をされるようにもなりました。
 このように「本を書く」お誘いを受けたり、それを「世に出す」機会を与えていただいたり、また、講演に招いてくださったりするようになったのも、「二人の天才を育てた母親」と見られているから、ということはわかっています。そして、それは、たいへんにありがたいことでもあるとも思っています。

 しかし、はっきり言って、私は、みどりや龍のことを「天才」とか「神童」と思ったことは、ただの一度もありません。他のお子さん方とは違う特別な才能があると感じたことなど、まったくありません。ましてや「二人の天才を育てた」などと思ったことは、ほんの一瞬たりともありません。

 正直にいって、成り行きまかせで現在まで歩んできたというか、二人の子供は、みなさんのお子様方と同じような、ふつうの子供です。赤ん坊のころには泣き、おむつを換える手間もかかり、きつく叱ったり、時には叩かないと私の言うことをきかないこともあり、成長すれば反抗期が訪れ、口喧嘩もし、青年期になると人生に疑問や悩みを抱き、少々悪いことにも手を出し……といった具合です。そんな二人の子供を、私は、すごく大事な存在であると思い、大切にしてきました。そして、これからもそうしたいと思っています。そのこともまた、みなさんが自分のお子様方のことを、大事に大切に思われているのと同じことです。

どこが天才やねん
 ですから、世の中の人々やマスコミから、みどりや龍が「天才」とか「神童」と呼ばれることに対しては、私が生まれ育ち使い慣れた関西弁で、「そんなあほな。どこが天才やねん。ふつうの子ですがな」と言いたくもなります。それでもなお「天才」とか「神童」という言葉をつかわれることに対しては、言葉がちょっと汚くなりますが、「くそったれ天才」「あほんだら神童」と言いたくもなります。

 この本の帯に大きな文字で書かれているそれらの言葉は、じつは、この本のタイトルとして私が思いついたものでした。
 それは、「天才」や「神童」という尊称は、本来ならモーツァルトやベートーヴェン、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロやピカソ、エジソンやアインシュタインほどの人物に対してつかわれるべき言葉で、みどりや龍のようなふつうの子供に対して言われるなんてとんでもない、という気持ちの表れでした。と同時に、そういう言い方をする人がいても、頭に血をのぼらせたらあかんよと、みどりや龍に対して自戒しなさいという意味を込めた言葉でした。

 しかし、編集部の方や相談にのってくださった方々から、ちょっと言葉がきつすぎるというか、汚すぎるというか、そういう意見が多かったので、最終的には少々控えめなタイトルにさせていただきました。
 そんなわけで、「二人の天才を育てた母親」というような目で見られ、本を書いたり世に出すことをすすめられたことに対して、「天才なんか育てた覚えはありません」と言い返しながらこの本を出版するのは、私自身ちょっと矛盾するような気もするのですが、どこにでもいるふつうの子供たちを自分なりに苦労して育ててみたところが、「天才」とか「神童」と呼ぶ人が出るような結果になってしまった、という意味では、みなさま方の――とりわけ世の中の子育てに苦労されているお母様方に対して、少しでも参考になるのではないか、と思った次第です。

成果があってこその「天才」
 ここで、「天才」とか「神童」という言葉がこの本を出すきっかけとなったわけなので、せっかくですから、それらの言葉について、私なりに少しばかり考えてみたいと思います。
 「神童」という言葉は、誰もが驚くほどの何らかの才能を発揮する幼い子供のことで、「童」という言葉が表しているとおり、子供に対してだけつかわれる言葉です。一方、「天才」という言葉は、大人に対してもつかわれます。それは、文字通り、生まれつき備わった「天賦の才能(天才)」に恵まれ、その才能を存分に発揮し、私たちにはとうてい不可能と思えるほどの見事な作品を創作したり、驚異的な発明や発見をするといった、素晴らしい成果を残した人のことを指す言葉であると思います。

 しかし、よく考えてみると、人々が誰かのことを「天才」とか「神童」と呼ぶときは、まず「素晴らしい成果」があって、それに驚くことから始まります。そのような「素晴らしい成果」は、よほどの生まれつきの才能がないと不可能だ、努力や訓練だけではできるはずがない、と思えるところからさかのぼり、きっと天性の才能があったに違いないと思われ、「天才」という言葉がつかわれるわけです。
 ここで重要になるのは、何よりも「成果」です。「天賦の才能」ではありません。

 いくら「天賦の才」に恵まれていたとしても、「成果」が見えないと、誰もその人のことを「天才」とは呼びません。「天賦の才」は、「成果」がないと誰にも見えないものなのです。
 モーツァルトにしろ、ベートーヴェンにしろ、ピカソにしろ、アインシュタインにしろ、素晴らしい音楽や絵という作品を創作したり、相対性理論という誰にも思いつかないような少々破天荒な理論を考え出したという「成果」が存在しているから、「天才」と呼ばれているわけです。いま例にあげた方々とは、とても比べものにはなりませんが、私の二人の子供たちが、ときに「天才」と呼ばれたりすることがあるのも、小さい子供にもかかわらずヴァイオリンを少々巧く弾きこなせるという「成果」を見せたりしたものですから、そのように呼ばれたりもしたわけです。

誰が「天才」かはわからない
 「天才」という言葉は、よくつかわれる言葉といえるでしょうが、「天才(天賦の才能)」それ自体は、誰も、見ることも、確かめることも、できないものなのです。ということは、そういう「天賦の才」というものが、ほんとうに存在しているのかどうか、それは、わからない、というほかありません。
 最新の脳に関する研究によれば、ピカソの造形の能力や、一流スポーツマンの身体を動かす能力などについては、脳に、通常の人々とは異なる構造や働きが備わっているらしい、ということがわかってきはじめたそうです。また、そのような脳の構造や働きの違いによって、さまざまな能力の違いも生じているそうです。

 ということは、いつか将来、赤ん坊が生まれると、その脳の構造を測定検査して、この赤ん坊には音楽の演奏に関する特別な能力が備わっているとか、一流のスポーツマンになれる特別な身体能力が備わっている、といったことがわかるようになるかもしれません。
 そうなれば、ほんとうに誰が「天才(天賦の才の持ち主)」なのかがはっきりとわかるようになるでしょう。そして、その才能を伸ばす英才教育を施そう、というようなことになるかもしれません。とはいえ、だからといって、いろんな分野で素晴らしい「成果」を残す人物が次つぎと現れるようになるのかどうかは疑問です。また、そのように生まれながらの才能がはっきりと見極められることが、はたして人間にとって望ましいことなのかどうか、それは非常に難しい問題であるように思います。

 ともかく現在では、さいわいなことに、誰がほんとうの「天才」といえるのかどうかはわからないまま、なにがしかの「成果」から推し量って「天賦の才」があるに違いないと推測される人が、「天才」と呼ばれているわけです。

子犬の才能は見抜けるけれど
 ここで、私が経験した一つのエピソードを紹介しましょう。
 それは、八歳になったみどりと一緒に、フランスへ行ったときのことでした。アスペン・ミュージック・フェスティヴァルという音楽祭に参加したのですが、時間の空いたときに、近くにあった犬橇を引く犬の飼育施設を見学させてもらいました。

 私もみどりも、犬が大好きなので大喜びで見学に行ったのですが、数え切れないほどの多くの犬が、小さく仕切られた小屋や檻で飼われていて、ちょっと可哀想な気持ちになったりもして、期待したような嬉しさは味わえなかったのですが、そんななかで、生まれたばかりの赤ちゃん犬と母親犬を見せてもらったときのことでした。
 赤ちゃん犬が五匹か六匹、小さな頭を競うようにしてお母さん犬のお腹に突っ込んで、一生懸命お乳を吸っています。そんな犬の家族がずらりと並んでいるところで、案内してくれた人に、こんな質問をされたのです。

 「大きくなったら、どの犬が橇の先頭を引くようになるか、わかりますか?」
 犬橇の先頭を引く犬は、もちろんリーダーとなる犬です。先頭を走って力強く橇を引くだけでなく、人間の指示に従い、ほかの犬もその指示に従わせるよう牽引する役割があります。そこで、「どの犬が……」と訊かれた私は、じっと赤ちゃん犬の顔をのぞき込み、見比べてみました。そして、「この犬」といって一匹の赤ちゃん犬を指さすと、案内してくれたフランス人も、「ウイ」といってうなずいてくれたのです。

 それは難しいことではありません。はっきり言って、誰が見てもわかることです。どんな人でも、よく見れば、正解を言い当てることができます。というのは、目が違うからです。目の輝きが違う。光りかたが違う。「栴檀は双葉より芳し」という諺がありますが、リーダーになる犬は、やはり赤ん坊のときから芳しかったのです。

 そのとき私は、隣に立っていたみどりをじっと見つめて、もちろん口には出しませんし、悟られないようにと注意もしたうえでのことでしたが、心の底で、「あかんなぁ。違うなぁ」と呟いたものでした。
 とはいっても、べつに落胆したわけではありません。私が「栴檀は双葉より…」とつくづく思ったのは、犬の話です。それも、犬橇を引くという将来の仕事まで決められている犬の話です。そんな犬の話は、人間にはまったく当てはまらないはずです。

 人間が生まれ、成長してゆく過程は、犬とは比べものにならないくらい複雑です。世の中の環境も複雑で、人間は多種多様な周囲の環境から、じつに様々な多くの影響を受けるなかで育ちます。そんな複雑な人間の歩みを、また、そういう歩みを経た将来の姿を、生まれたばかりの目の輝きや、顔つきだけから判断することなど、できるわけがありません。

パヴァロッティの産声伝説
 大テノール歌手のルチアーノ・パヴァロッティは、生まれたばかりに「オギャア」と叫んだ産声が、素晴らしいハイC(オクターヴ上のドの音)だった、などという話を聞かされたことがあります。が、それは明らかに、あとになってから創作された伝説だと断言できます。

 人間の赤ん坊の産声は、人種を問わず、みんな「ラの音」だそうです。周波数でいうと四四〇ヘルツ(一秒間に空気を四四〇回振動させる音)。生まれたばかりの赤ん坊の身体の大きさというのは、だいたいみんな同じくらいで、そのため声帯の長さにさほどの差が生じないため、どんな赤ん坊でも四〇〇〜五〇〇ヘルツの間の「ラ」の音に聞こえる音程で産声をあげるそうです。
(以下は、五嶋節・著『「天才」の育て方』(講談社現代新書/735円)をお買い求
めのうえ、お読みください)

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