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「ゆとり教育」に対する批判が高まり、ようやく文部科学省も重い腰をあげようとしているようだが、いったん緩んだタガが、どこまで締め直せるのか、甚だ不安である。
昨今の子供たちや親たちは、勉強は学校でするものでなく、学習塾や予備校でするものだと信じ込んで疑わない。
なにしろ小学校の授業では丸暗記はダメとされ、何でも自分で「考えさせる」らしい。だから、県庁所在地の都市名も、何県が日本列島のどこにあるのかも、明治維新が西暦何年なのかも、頭に入れることができない。
(私がスポーツ・ジャーナリスト塾を開講していたとき、「明治維新は西暦何年?」と質問して、一流大学を卒業した塾生が50人以上いるにもかかわらず、誰一人として答えられなかったのには唖然としたものだった。こんなことでは、欧米から日本にスポーツが伝播したのが明治10年前後……と話しても、それが世界史的にどのような時代だったのか、誰も見当がつかないことになる…)
「考える」という作業をするには、知識がないとダメなはずだが、私立中学を受験する小学生だけが、かろうじて塾で基礎知識を叩き込まれる。
高校受験にも塾通いは必須で、大学受験となると、受験する高校生のほとんどすべてが公立私立を問わず予備校通いを始めるという。なかには学校を休んで予備校へ通う生徒もいるらしい。
かくして親の子供にかける教育費は莫大な額に達し、少子化にさらに拍車がかかる。しかも学校と塾や予備校の二重の教育を受けているはずなのに、子供の学力が伸びたという話はまったく耳にしない。
小学校の低学年の頃から背中にリュックを背負って塾通いを続けた連中だけが、いわゆる一流大学に進み、さらに一流企業や官庁へと進むエリートと呼ばれる人々になる、という現象を、おぞましいと思うのは私だけだろうか?
先般JR西日本で起きた悲惨な事故では、亡くなった大学生の通っていた学習塾(!)の先生がテレビに登場し、故人を悼む言葉を口にしていた。
これほどまでに塾が社会的に認知されていることを、教育関係者が「恥」と感じるところから始めなければ、日本の教育改革は前へ進まないだろう。
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