コラム「音楽編」
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掲載日2005-12-26

JCBのPR誌『ゴールド』に2年間(1999〜2000年)にわたって連載したコラム『オタマジャクシはバッハの子』からの“蔵出し”第22回目。今回はレイ・チャールズの登場です。映画『Ray』は、もちろんまだ作られていないときの原稿です。

クルマとラジオ

 わたしは、クルマを運転しない。免許証を持っていない。それはクルマを必要としない環境に生まれ育ったからである。
 京都の祇園町という都会のど真ん中では、商売でもしないかぎりクルマは必要ない。ほしいものは、すべて徒歩で手に入る。

 私事ではあるが、一昨年末に親父が亡くなり、葬式や坊さんや香典返しの品物の手配、親父名義の預金通帳や自宅の登記簿等の書類の書き換え、それに墓地や墓石の手配等に右往左往した。が、すべてが徒歩で処理できた。寺、葬儀場、墓石屋、仏壇屋、デパート、銀行、郵便局、電話局、区役所、市役所、さらに足洗のための料亭までが、すべて歩いて行ける範囲にあったのだ。
 古い家屋の名義書き換えに必要な司法書士の事務所と法務局だけが少し離れた場所だったが、タクシーで7百円程度の距離だった。

 その便利さに改めて驚き、姉に向かって、「この町には、なんでもあるな」というと、姉は、「そうやな。アラビア・レストランから四川飯店まで、三味線屋から刀剣屋まで、なんでもある。ないもんは、ない。ちょっと奥に入ったら、覚醒剤もピストルも売ってるのんとちゃうか」などと笑いながらブラック・ジョークを口にした。
 以来、この町で「歩いて買えないもの」を頭のなかで探し続けている。が、2年たったいまも、まだ見当たらないでいる。

 大学に入るために東京へ越したあとも、下高井戸、吉祥寺と、交通に便利な都会で暮らしたため、クルマの免許は取ろうとも思わなかった。クルマを運転したい欲求がなかったわけではないが、免許を取ったところでクルマを買うカネがない。免許を取るカネもなかった。
 おまけに、無理をして免許を取れば、家の電器屋を手伝わせようと手ぐすね引いて待っていた親父に対して、免許を持ってないからという有効な言い訳がなくなってしまう。そんなこんなで、クルマを運転できないまま四十数年生きてきた。

 別段、日常生活に不自由を感じたことはない。アメリカやヨーロッパを旅行したときは、レンタカーで走れたら、もっといろんな場所を見て回れるだろうに・・・と思ったこともあった。が、まあ、その程度である。
 不在配達された郵便物を受け取るときなど、郵便局で、「免許証を見せてください」といわれてムッとしたことが何度かあったが、もう、その程度のことで気分を害される歳でもなくなった。酒好きの自分が、この歳まで大過なく過ごせてきたのは、クルマを運転しなかったから、とも思える。

 というわけで、免許証を持っていないことはプラスにこそなれ、マイナスはない、と確信していた。
 ところが、つい最近マイナス要因と思しきことに気がついた。いや、「マイナス」というほどオーバーなものではないのだが、ふと寂しさを感じてしまった。
 それは、タクシーに乗っている最中に、ラジオからレイ・チャールズの『アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー(愛さずにいられない)』の歌声が流れたときのことである。

 そのとき、クルマを運転しないということは、ラジオを聞く機会が少なくなるということに気づいたのである。
 十代のころは、よくラジオを聴いた。「電リク」(電話リクエスト番組)が大流行していたときのことで、家が電器屋だったこともあって、小学5年生のころから、部屋で勉強するときは、必ずラジオのスイッチをひねった。

 エルヴィス・プレスリー、パット・ブーン、コニー・フランシス、ブラザース・フォア・・・姉がいた影響か、リズムが激しいロカビリー(ロックンロール)系の音楽よりも、静かなポップス調の音楽のほうを好んで聴いたように記憶している。姉は、TV映画『サーフサイド6』に出ていたトロイ・ドナヒューがお気に入りだった。

 そのうち、初のTV宇宙中継を成功させた人工衛星の名前をタイトルにした『テルスター』が大ヒットし(演奏グループの名前は忘れた)、ベンチャーズが一世を風靡してエレキ・ギターのグループサウンズが出現し、ビートルズの時代へと突入したのだが、そんななかで、最も強烈な印象に残ったのが、レイ・チャールズの歌声だった。
 黒人特有の(と断じていいのかどうかはよくわからないが)粘りけのあるハスキーなレイ・チャールズの歌声は、エルヴィスの意気がったわざとらしい歌い方以上に抑揚が激しかったが、不自然さがまったく感じられなかった。それが、レイ・チャールズという歌手の自然な歌い方なのだと、素直に納得できた。

 『愛さずにいられない』『泣かずにいられない』『わが心のジョージア』といった静かにしみじみと歌いあげられる名曲の数々は、子供心にもしみじみと胸の奥深くまで入り込んでくるように思えた。歌を聴いて感動する、という最初の体験をわたしに教えてくれたのが、ラジオから流れてくるレイ・チャールズの歌声だったのである。
 しかもレイ・チャールズは、他の歌手とちがって、長く消えなかった。ロカビリーやロックンロールがロックと名を変え、ビートルズを頂点に様々なグループが次々と輩出されるなかで、エルヴィスが消え、パット・ブーンが消え、コニー・フランシスも消え、ブラザース・フォアも消えた(エルヴィスだけは、その後復活したが)。

 しかし、レイ・チャールズだけは消えなかった。懐メロにならなかった。
 『ホワッド・アイ・セイ』『アンチェイン・マイ・ハート』『旅立てジャック』『ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソウ』などのリズム・アンド・ブルースの名曲は、レイ・チャールズ独特の粘りのある声とともに、いつ聴いても新鮮で、ビートルズにもローリング・ストーンズにも、ピンク・フロイドにもディープ・パープルにも負けなかった。
 いや、彼の歌声は、いまもって古びていない。

 音楽映画の史上最高の作品である(と、わたしが確信している)『ブルース・ブラザース』のビデオは、中学生と高校生の息子や娘も大好きで、なかでも楽器屋の主人として出演しているレイ・チャールズが歌うシーンは、いまも何度も繰り返し、家族全員で見ている。
 その場面で、レイ・チャールズは、肩でリズムを取り、ボロボロのオルガンを弾きながら歌う。その歌声に合わせて、ブルース・ブラザース(ジョン・ベルーシとダン・アイクロイド)が踊り出すと、シカゴの町を歩いている老若男女も次々と踊り出し、街全体が、ツイストやスイム、モンキーやワトゥーシを踊る人々であふれる。

 じつに素晴らしい! 音楽の楽しさ、音楽の喜び、音楽の「力」が、これほど見事に映像化された例を、わたしは、ほかに知らない。その中心にいるのが、レイ・チャールズなのだ。
 彼の歌声は、ふと耳にした人の心を、即座に鷲掴みにして、揺り動かす。これほど「力」のある声、表現力豊かな特徴ある声の持ち主は(ジャンルはまったく違うが)マリア・カラスやルチアーノ・パヴァロッティなど、世界の音楽の歴史のなかでもほんの何人かを数えるくらいしかいないだろう。
 そんな素晴らしい歌声を、ラジオが教えてくれたのだ。

 タクシーに乗って、そのことに気づいたわたしは、ラジオをまったくといっていいほど聴かなくなった昨今、何か重大なものを聴き落としているのではないかと急に不安になった。そして、運転免許を取らなかったことを、生まれてはじめて少しばかり悔やんだのだった。

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