コラム「音楽編」
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掲載日2006-01-09

JCBのPR誌『ゴールド』に2年間(1999〜2000年)にわたって連載したコラム『オタマジャクシはバッハの子』からの“蔵出し”第23回目。今回はティト・ゴッビの登場です。ティト・ゴッビとは何物か?マア、読んでみてくださいな。

20世紀最高の「歌役者」

 「あなたが最も感動した映画のベスト・テンを教えて下さい」
 時折、こんなアンケートが舞い込む。映画だけでなく恋愛小説やミステリーやSF小説や漫画の場合もある。プロ野球やオリンピックの名場面の場合もある。毎年師走になると「今年発売されたCDベスト5」「今年発売された本ベスト5」といったアンケートも、必ず舞い込む。
 これがなかなかの難題で、いつも回答に悩んでしまう。

 自分が「いい」と思ったものを素直に書けばいいだけなのに、なぜ回答に悩むのか? それは、「スケベ心」が働くからである。
 たとえば、映画のベストテンのトップに、私が『フィールド・オヴ・ドリームス』を選べば、多くの読者は、ああ、スポーツライターだから、と納得するだろう。が、面白味は感じないだろう。『ウエスト・サイド物語』を選んでも、音楽が好きだから、で終わってしまうに違いない。

 となると、ちょいと読者を驚かせるような「サービス」をしたくなる。というか、もっと自分が評価されたい、という「スケベ心」が働く。
 フェリーニかヴィスコンティを入れればいいのか、それともパゾリーニかゴダールか。『真夜中のカウボーイ』や『スケアクロウ』も・・・。いや、アメリカン・ニューシネマは団塊の世代にまかせておくことにして、『カッコーの巣の上で』だけを選ぼう・・・などと悩んでいるうちに馬鹿馬鹿しくなり、結局、さらさらさらとペンを走らせて、頭に浮かんだままのものを書いてしまう。そして、雑誌が送られてきて驚き、後悔する。

 『ブルース・ブラザース』を一番にした憶えはないけどなぁ・・・。『ムトゥ踊るマハラジャ』なんて、どうして入れたんだ! 『2001年宇宙の旅』と『ライフ・イズ・ビューティフル』は、まあ、いいかもしれないけど、ディズニーの『不思議の国のアリス』をベスト10に入れるなら、そのうえに『アポロンの地獄』くらい書いておかないとバランスがとれへんやないか・・・。あっ、ウッディ・アレンとヒッチコックを忘れてる!

 ほかの人の回答を見てみると、『旅芸人の記録』『81/2』『ブリキの太鼓』『パリ・テキサス』『フェリーニのローマ』などが並んでいる。ムムム・・・と唸っていると、横から覗き見した女房が一言。
 「ほかの人に較べて、あんたの選んだ映画はカルイなあ・・・」
 まあ、それが現実の自分であって、自分というものはなかなか変えることができないものだから・・・と胸のなかで呟き、雑誌は古新聞を入れる籠のなかへ・・・。

 そんなことを繰り返しながらも、懲りずに何度もアンケートに答えてしまうのは、編集者とのお付き合いもあるが、自分の好きなものを少しでも多くの人と分かち合いたい、という気持ちが働くからでもある。
 つい最近も、ある雑誌の編集部から、「あなたが最も好きな20世紀の歌手ベストテン」というアンケートが舞い込んだ。

CD/DVD
『ティト・ゴッビの芸術』
『ティト・ゴッビの芸術』
ヴェルディ『オテロ 歌劇』
ヴェルディ『オテロ 歌劇』
マリア・カラス『マリア・カラス-パリ・デビュー 歌に生き、恋に生き』
マリア・カラス『マリア・カラス-パリ・デビュー 歌に生き、恋に生き』
ヴェルディ『歌劇「リゴレット」全曲』
ヴェルディ『歌劇「リゴレット」全曲』

 マリア・カラスかシュワルツコップか・・・、デル・モナコかパヴァロッティか・・・、エディット・ピアフかビリイ・ホリデイか・・・、それとも美空ひばりか都はるみか・・・。伊東ゆかり、渚ゆう子、太田裕美というセンも・・・などと、「読者サービス」や「スケベ心」が渦巻き、頭のなかが猛烈に回転したあと、ふと素直になって、(いつものように)これだ! という回答が出現した。
 私の一番好きな歌手は、なんといっても、ティト・ゴッビなのだ!

 ご存知ない方のために、少しばかり彼の紹介をしておこう。
 ティト・ゴッビは、1913年生まれのイタリアのバリトン歌手。マリア・カラスやデル・モナコの全盛期(1950〜60年代)に、彼らとともに一世を風靡したオペラ歌手で、1959年に来日。ヴェルディの『オテッロ』(「オセロ」のイタリア語読み)でイヤーゴの役を歌い、オテッロ役のデル・モナコとともに、日本のオペラ・ファンの度肝を抜いた。

 その映像をLDではじめて見たとき、けっして大袈裟にいうわけでなく、私も腰を抜かした。
 それは、どんなシェークスピア役者が演じるイヤーゴよりも、見事に憎々しげなイヤーゴだった。目を大きく見開き、歌舞伎の見得を切るように立つ姿は、素晴らしく張りのある太いバリトンの声とともに、思わず「成駒屋!」と声をかけたくなるほどの迫力があった。
 そうなのだ。ティト・ゴッビは歌をうたう役者――「歌役者」とでも呼ぶべきオペラ歌手なのだ。その卓越した演技力は、CDに残された歌声だけでも、十分に堪能できる。

 ヴェルディの『リゴレット』のタイトルロールでは、娘(ジルダ=マリア・カラス)を奪った貴族たちに向かって、父親(リゴレット=ゴッビ)の怒りをぶつける。と同時に、道化としての我が身を嘆き、さらに娘が貴族の一人(マントーヴァ伯爵=ジュゼッペ・ディ・ステファノ)を愛していることに対する嘆きと哀れみと怒りの混じった複雑な感情を切々と歌いあげる。
 「ララッ、ララッ、ララッ・・・」と、リゴレットが意味のない言葉を口ずさむシーンがあるのだが、その「ララッ、ララッ」という一言一言にも、怒り、嘆き、哀れみ、自分に対する情けなさ、娘に対する愛情・・・といった感情が表現されている。
 そんな歌い方のできる歌手は――いや、こんな台詞を口にできる役者は、「歌役者ティト・ゴッビ」だけである。

 さらに凄いのは、プッチーニの『トスカ』でローマの警視総監スカルピアを演じている(歌っている)ときのゴッビである。
 これは、パリ・オペラ座とロンドン・コヴェントガーデン歌劇場で上演されたときの映像が(残念ながら第二幕だけだが)残されている。美貌の歌姫トスカ(マリア・カラス)を籠絡するため、彼女の恋人を拷問にかけながら、ときにサディスティックに脅迫し、ときに猫なで声で優しく迫る、そのゴッビの姿と歌声は、権力を有する極悪人の脂ぎった迫力と「悪の魅力」を存分に表現し、思わず背筋が冷たくなるほどだ。しかも、その凄味は、CDの声だけでも存分に味わえるのだ。

 さらにゴッビは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』(ドン・ファンのイタリア語読み)のタイトルロールでも、地獄へ堕ちる好色な極悪人を見事に演じている(フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルのCDが発売されている)。そしてレオンカヴァッロのオペラ『道化師』の映画版では、道化一座の座長の女房(ジーナ・ロロブリジータ!)と不倫をする優男(シルヴィオ)と、その優男を殺すことを座長に促す道化(トニオ)の二役を演じたりもしている。
 が、そんなこと以上になんといってもゴッビが凄いのは、喜劇も演じられることである。

 ヴェルディの『ファルスタッフ』(原作はシェークスピアの『ウインザーの陽気な女房たち』)では、女好きで腹の突き出た老騎士ファルスタッフの失敗譚を熱演し、プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』では、声色を自由に変えて遺産を横取りする機知に富んだ男(ジャンニ・スキッキ)を見事に演じている。それは、CDで声を聴いているだけでも、思わず吹き出してしまうほどの演技力だ。

 ジャン・ギャバンやジャック・ニコルソン、森繁久弥や緒方拳と同様、悪役も道化も、悲劇も喜劇も、どちらも演じることができて、はじめて名優といえるに違いない。
 私自身の声がバリトンだということもあって、「いちばん好きな歌手」となると、やっぱりバリトンかバスの低く渋い声の持ち主がいい、と思う。
 そうなると、1位はゴッビで、2位は美男美声のエットーレ・バスティアニーニ。3位はこれまた美男のバス歌手チェザーレ・シエピ。4位はヴェルディの『ドン・カルロ』でフィリッポU世を歌えば最高で、日本で見事な『黒田節』を披露したニコライ・ギャウロフ。5位は、教養あるところを示す「スケベ心」を出してディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ。

 続いてワーグナーの『ニーベルンクの指環』の最高のヴォータン役であり、シューベルトの『冬の旅』で心にしみる歌声を響かせるハンス・ホッター。そしてムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の最高のタイトルロールであるウジェーヌ・ネステレンコ。さらに、ニコライ・ギャウロフ、ロランド・パネライ、レナート・ブルゾン、マッティ・サルミネン、グスタフ・ナイトリンガー・・・と、バリトンとバス歌手の名前を連ねて、なかなかシブイ選択だな、と自分勝手に悦に入り、さらに泣く泣く最後の2人を切って捨ててベスト・テン選んだところが、しばらくして編集部から手紙が届いた。
 「今回のアンケートは、ポップス歌謡曲系の歌手に限らせていただきましたので、貴殿の回答は、失礼ながら割愛させていただきました」
 だったら、最初から、そういってくれよな。

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