コラム「音楽編」
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掲載日2006-11-21

この原稿は、宇野功芳指揮・新星日本交響楽団のCD『モーツァルト交響曲40番ト短調。ドン・ジョヴァンニ序曲、ハイドンのセレナーデ』に寄稿したものです。“ライナーノート・シリーズ第6弾”として“蔵出し”します。

音楽家はいかにして演奏に心をこめるのか?

 「いい演奏の音楽」を聴いたあと、ふと、我にかえって、いったいなぜ、自分は、いま聴いた演奏に感動したのだろう? などと思うことがある。その答えは簡単で、それは、心を動かされるような情調や情念や情熱が、演奏にこめられていたからにほかならない。
 しかし、疑問は、そこで終わらない。
 では、演奏家は、連続的に空気をふるわせるだけの、ただの振動でしかない「音」に、いったいどのようにして、情調や情念や情熱をこめるのだろう?

 弦楽器や管楽器など、澄明な音を出すのに一定の修練が必要な楽器ならともかく、グレン・グールドが弾こうが、ハイドシェックが弾こうが、あるいは私が傘を持ってその先で叩こうが、基本的に同じ圧力で鍵盤を押せば同じ音の出る装置であるピアノに、いったいどうすれば「心がこもる」のか、考えれば考えるほどわからなくなる。

 ましてや指揮棒を振るだけで、オーケストラから「心のこもった」音をひきだす指揮者となると、もはや魔術師と思うほかなくなる。ところが、たしかに「心のこもった演奏」と、そうでない演奏とが、存在する。まったく不思議なことだが、それは、疑いない事実なのだ。

 たとえば、このCDにおさめられている『ドン・ジョヴァンニ序曲』の冒頭に響く和音に耳を澄ましていただきたい。その響きは、ティンパニを通常よりも強めに打ちおろすよう指示し、さらに低弦の響きを少し長めに伸ばして強調させた結果、などという「解釈」では説明のつかない恐怖感に満ちている。

 さらに弦楽器が、不安をかきたてるような揺れる音を奏でたあと、聴く者は、上昇と下降とを繰り返す旋律(戦慄?)によって、いちだんとおどろおどろしい恐怖に背筋をふるわせられる。ところが一転してスピード感にあふれるメロディがあらわれ、じつは、それが「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と思えるようなドタバタ喜劇にすぎなかったのだ・・・と思ったところが、折々に響いてくる和音の不吉さは・・・。

 と、いった具合に、私の頭のなかは(いや、身体のなかは)、単なる「響き」ではない興奮に満たされてくるのである。

 あるいは『ト短調の交響曲』の冒頭の、弦が奏でる美しいメロディにも耳を傾けてほしい。これもまた、テンポを自在に揺らせ、テヌートを多用し、といった「解釈」では説明がつかないチャーミングな魅力にあふれている。そして、一音一音が、それぞれの響きをみずから噛みしめるように奏でられるなかで、ときには猛り、ときには嘆き、あるいは諦め、じつに短い間隔で、様々な思いが次々と変転し錯綜するほどにあふれ出る。

 なるほど、このポピュラー音楽にも転用された『ト短調の交響曲』とは、人間から迸(ほとばし)り出る様々な情念を、そのまま音に置き換えたものだったのだ!
 第2楽章の静謐きわまりないアンダンテも、この演奏で聴くと、心の静謐を希求してやまない人間の切々たる気持ちや、それが一瞬かなったときの喜びが、聴く者に痛みを伴うほどの美しさで伝わってくる。

 それに第3楽章は、ただのメヌエットとはとうてい思えない。まるで、人間は艱難辛苦に耐えて前進しなければいけないのだよ、そうすれば心の安らぎも得られるのだよ、と優しく諭されているような気持ちになる。そして第4楽章。これは激情の嵐である。人間とはかくも邁進しなければならないものなのか!

 私は、演奏会場で、この演奏に初めて接したとき、モーツァルトという天才の早すぎる晩年に思いを馳せ、改めて愕然とさせられた。苦悩を抜けて歓喜に・・・と思っていたのは、ベートーヴェンだけではなかったのだ。いや、苦悩の先には歓喜があるに違いないと単純に信じることができただけ、ベートーヴェンのほうが幸せだったかもしれない。それにしても、トランペットもティンパニもふくまないオーケストラに、これほどの情感をこめたモーツァルトが現れ出るとは・・・。

 いや、私がここで書きたかったのは、作曲家が楽譜に情感をこめる話ではなかった。ハイドンの『セレナーデ』の、これまたチャーミングな演奏もふくめて、指揮者の宇野功芳氏は、いったいどのようにして新星日本交響楽団からこれほどの情念に満ちた音を引き出し得たのか、ということだ。
 その確かな答えは、ワカラナイ。

 ただ宇野功芳氏の指揮する姿を思い起こせば、その答えが少しばかりわかるような気がしないでもない。
 言っちゃあ悪いが、宇野氏は、レナード・バーンスタインやカルロス・クライバーのように、音楽表現そのものを身体化したような美しい動きを見せる指揮者ではない。剛健ではないが質実であり、みずから音楽に酔うのではなく、懸命に音楽と取り組む。しかもこのCDにおさめられている演奏会では、宇野氏は指揮棒を用いず、十本の指をすべて使って、オーケストラから一音一音を丁寧に引き出し、それを磨き、豊かに響かせていた。

 その姿から感じたのは、宇野功芳という人物が、ほんとうに心の底から音楽が好きなんだ、という事実である。
 これはあまりにも単純なことかもしれないが、一流の音楽家といわれる人のなかにも(いや、そういわれている人物ほど)、音楽を奏でることより指揮棒1本で楽団員を統率することのほうに喜びを感じている指揮者や、音楽よりも音楽家としての評価や栄誉を得ることのほうを好んでいるような人物が、けっして少なくないとも思われる今日、ほんとうに音楽が好きな人物というのは、ひょっとして希有な存在なのかもしれない。

 “プロの指揮者”が毎日音楽を量産するなかで、宇野氏と新星日響によるコンサートと、それをおさめたCDは、私にとって、ほんとうの音楽の楽しみと触れることのできる貴重な瞬間、といえるのである。

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