コラム「音楽編」
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掲載日2008-06-11

この原稿は2002年の春に毎日新聞社ヴィジュアル編集部から出版された『DVDの魅力』というムックに寄稿したものです。コンピュータのなかを掃除していたら、ぽろっと出てきたので、“蔵出し”します。

クラシック音楽ファン、オペラ・ファンは、なぜDVDに狂喜しているのか?

 かつて、クラシック音楽ファンや、オペラ・ファンにとって、《映像》というものは、ただただ《夢見るもの》にほかならなかった。
  海外の一流アーティストによる演奏やオペラの舞台は、LPレコードで音のみを楽しむのが日常で、目を閉じ、想像力をたくましくして《夢見た》ものだった。

 たまにNHKテレビやNHK教育テレビが、ホロヴィッツやグールドのピアノ演奏、カラヤンやバーンスタインなどの指揮する姿を放送したときは、《夢》かと思いながら、画面を食い入るように凝視したものである。

 大阪フェスティバルホールでのバイロイト音楽祭しかり、イタリア歌劇団の来日公演しかり。クラシック音楽やオペラの《映像》とは、一年に二、三回しか楽しむことのできない、まったく貴重な体験だった。それは、いまからわずか三十年前後前の話である。

 やがて、ビデオテープ・レコーダーやレーザーディスクが登場し、事情は一変した。カラヤン、バーンスタインのみならず、トスカニーニ、フルトヴェングラーの映像が日常化し、パヴァロッティ、ドミンゴのみならず、デル・モナコ、マリア・カラスの映像までが、いつでも、好きなときに、家庭の居間で見ることができるようになった。

 そして数年前からは、DVDの時代である。クラシック音楽やオペラにとって、《映像》はもはや《夢見るもの》ではなくなった。気軽で、手軽な日常となった。
ウィーンのムジーク・フェラインザールもベルリンのフィルハーモニー・ホールも、ミラノ・スカラ座もメトロポリタン・オペラ・ハウスも、わずか一七センチの銀色の円盤のなかに入っているのだ。

 もはや、目を閉じる必要はない。いや、目は大きく見開く時代になった。音楽ファンやオペラ・ファンは、片手でディスクをプレイヤーに放り込み、ポンとスイッチを押すだけで、瞬時にしてアムステルダム音楽院ホールの客席にも、コヴェントガーデンの客席にも、座ることができるようになったのだ。

 これは、改めて考えてみれば、《夢のような出来事》というほかない。音楽とは、音がすべて――とはいえ、指揮者のタクトを振る姿、ピアニストが鍵盤に向かう姿、その指の動きを見ることによって、演奏家の音楽に対する「息づかい」を味わうことができる。

 カルロス・クライバーが指揮棒を振る姿は、まさに、その柔らかい動きそのものが芸術品であり、指先の細かな動きのひとつひとつを見れば、彼がオーケストラから引き出そうとしている音の実像が伝わってくる。

 昨年末に亡くなった日本音楽界の巨匠・朝比奈隆の指揮ぶりも見物だ。大正ロマンチシズムを漂わせるダンディな姿で指揮台に立ち、音に耳を傾け、目でオーケストラのメンバーに意志を伝える姿は、ベートーヴェンやブルックナーの音楽と真摯に立ち向かった彼の人生のすべてを語り尽くしているようにも思える。

 オペラの世界は、もはや映像ぬきには語れなくなった。いや、そもそも、ラテン語の「作品」(opus)の複数形である「オペラ」(opera)とは、その語意からして単なる「歌劇」ではなく「総合舞台芸術」であり、歌手の演技、細かい仕種、合唱団の動き、バレエ、舞台装置、衣裳等々の要素を含めたものが「オペラ」にほかならなかったはずだ。そのなかの「音楽」のみを聴いていた時代は、オペラ(作品全体)の魅力の半分も味わうことができなかったことになる。

 ウィーン国立歌劇場のリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』の絢爛豪華な舞台、バイエルン国立歌劇場のヨハン・シュトラウスの『こうもり』の楽しい舞台(いずれもカルロス・クライバー指揮)などを見ながら、ワイン・グラスを傾けるなどという行為を贅沢といわずして、何を贅沢といえるのか。

 はたまた、ヴェローナ野外歌劇場の『リゴレット』を見ながら、イタリア・オペラならではのコテコテの演歌の世界(ともいうべきイタリアの臭い)を味わうのも、素晴らしい贅沢というほかない。さらに、ワーグナーの大作『ニーベルンクの指環』のバイエルン歌劇場公演(サヴァリッシュ指揮・レーンホフ演出)やバイロイト祝祭劇場公演(バレンボイム指揮・クプファー演出)を見て、オペラの現代的演出の面白さを味わったり、メトロポリタン歌劇場公演(レヴァイン指揮・シェンク演出)を見て古典的(19世紀的)舞台の原点を楽しんだりするのも、自由自在。

 まさにDVDは、オペラ・ファンの《夢》を《正夢》に変えた魔法の道具、といっても過言でもないほどだ。
なかでも、マリア・カラスのDVD(『ハンブルク・コンサート』やパリ・オペラ座での『トスカ』第二幕)は、ただただ驚嘆するほかない映像である。残念ながらカラスの残した映像は数少ない。が、わずかに残された映像が、この不世出の大オペラ歌手の歌声だけでなく、天才的演技、驚嘆すべき仕種、表情を伝えてくれる。この大歌手は、イヴニングドレスをまとっただけのコンサートでも、顔の表情から指先の仕種までが、カルメンになり、マクベス夫人になっていたのだ!

 DVDの映像を画面で見ながら、時々本気になって思うことがある。それは、こんな贅沢を手軽に味わっていて罰が当たらないものだろうか、ということである。

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