コラム「音楽編」
HOMEへ戻る
 
表示文字サイズ選択:
標準
拡大
掲載日2008-01-09

この原稿は、昨年の大晦日、東京文化会館で行われたコンサート『ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2007』で販売されたパンフレットに寄稿したものです。残念ながら小生は足を運ぶことができなかったのですが、小林研一郎指揮(イワキオーケストラ)の演奏は、さぞかし熱のこもったものになったのでしょう。少々早いですが、コンサート会場でしか手に入らない原稿なので、ここに“蔵出し”します。

「ベートーヴェンの交響曲」その名声と誤解

BOOK
『ベートーヴェンの交響曲』(講談社現代新書)
11月20日発売!『ベートーヴェンの交響曲』(講談社現代新書)

「あらゆる名声とは誤解の総体である」 と、見事に言い切ったのは、名作『マルテの手記』などを残したオーストリアの詩人リルケだった。言い得て妙というほかない。 この言葉に従えば、ベートーヴェンという大作曲家と、彼の作品にまつわる名声も、「誤解の総体」ということになる。

 最近、指揮者の金聖響さんと共著で『ベートーヴェンの交響曲』(講談社現代新書)という本を上梓した(おかげさまで重版を重ねていますが、まだお読みでない方は、是非ともご一読下さい)。そのなかで聖響さんは、音楽史上最高の「名声」を獲得していると言えるベートーヴェンの交響曲にまつわる我々の「誤解」(先入観)を、片っ端から否定してくれた。

 たとえば……、奇数番号の交響曲は男性的で、偶数番号の交響曲は女性的であること……、第1番と第2番はハイドン、モーツァルトの影響が大きい古典的な作品であること……、第3番『英雄』でベートーヴェン独自の特色が出始めたこと……、第9番がフランス革命とつながりを持つ政治的社会的意味合いがあること……等々。

 それらの「誤解」を否定し、ベートーヴェンの交響曲は第1番から十分にベートーヴェン的であること……、とりわけ第2番が「革命的」新しさに満ちていること……、偶数番号の2番も4番も8番も存分に力強さや迫力に満ちていること……、第9番は政治や社会とのつながり以上に、ベートーヴェン自身の個人的宗教心(祈りや解脱への願望)に満ちていること……を、聖響さんは語ってくれた。

 もっとも、共著者である彼の意見を否定する気は毛頭ないが、冒頭に紹介したリルケの「箴言(しんげん)」に従うなら、ベートーヴェンの交響曲に対する「名声」の一翼を担う彼の意見も、「誤解」の一部分に過ぎない、ともいえる。

 では、何が「正しい」のか? その解答も、指揮者である聖響さんは、はっきりと答えてくれた。 それは、「ベートーヴェンの残した楽譜」だけだと……。

 ところが、音楽の楽譜というのは、はっきり言ってなんとも曖昧なもので、フォルテッシモにしろ、ピアニッシモにしろ、どれくらいの音の大きさが「正しい」のか、まったく判然としない。十六分音符の連続にしろ、1個の四分音符や二分音符にしろ、それをどのくらいの速さや長さで演奏すればいいのか、それすらも、明確ではない。そのうえにフェルマータがついていれば、なおさらだ。

 おまけにベートーヴェンは相当に悪筆なうえ、自ら「ラプトゥス」(狂気)と自称した精神状態で、次々と頭のなかに浮かんだ楽想を、猛スピードで書きまくったという。羽根ペンにインクをつけて書かれたその自筆の楽譜は読みづらい部分が多く、五線の上に2本の線がほぼ平行に書かれていて、クレッシェンドなのかデクレッシェンドなのか、あるいは何かを消そうとして引いた線なのか、そんなことすら見分けのつかない部分まであるという。

 つまり、乱暴に言い切ってしまうなら、ベートーヴェン(の交響曲)は、あらゆる点で大きな名声(すなわち「誤解」)を得ることのできる要素に充ち満ちているのである。 これほどのファクターが重なれば、ゲーテやシェークスピアが逆立ちしてもベートーヴェンの世界的名声には太刀打ちできない。バッハがいかに偉大で、モーツァルトがいかに天才と言われても、また、ビートルズの『サムシング』やジョン・レノンの『イマジン』が地球を覆う電波に乗って流れても、♪ジャジャジャジャ〜ン(ソソソ♭ミ〜)という単純な四つの音の響き以上には知れ渡っていない。

 それほどの大きな誤解、いや、大きな名声を獲得している音楽だから、いつか、どこかで、必ず、地球上に暮らす全ての人々の耳に跳び込んでくることになる。映画やテレビ番組のBGMとして、あるいは隣家や近所のオーディオ装置から……。私の場合は、自宅が電器屋だった関係で、店で売っているステレオ装置の販売促進用についていた試聴盤の17センチEPレコードだった。

 ニュー・パーカッション・オーケストラ(というワケのわからない楽団)による『ブロード・ウェイの子守歌』やハリー・ベラフォンテの歌う『ママ・ルック・ア・ブーブー』という歌や、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスによる『嫉妬』という音楽や、ステレオ効果を味わう汽車の走る音などとともに入っていた♪ジャジャジャジャ〜ンという音を、小学校の低学年のときに初めて聴いた衝撃は、いまも忘れられない。それは、生まれて初めての音のみ(音楽のみ)による衝撃ともいうべき体験だった。

 なるほど、これがベートーヴェンの音楽というものか……。と思ったものの、その後も、衝撃は止まずに続いた。 というのは、最初に聴いたフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の♪ジャジャジャジャ〜ン…とはまったく異なる♪ジャジャジャジャ〜ン…を次々と耳にしたからだ。もちろん、その衝撃は、現在も繰り返し続いている。

 それもまたベートーヴェン(の交響曲)の「名声」の結果であり、それをすべてリルケの言葉に従って「誤解」と言い切ってしまうのは、さすがに再現音楽家(指揮者)に対して無礼が過ぎるかもしれない。が、ベートーヴェンの音楽に、止むことのない衝撃の連続を豊かに生み出すパワー、すなわち、名声(誤解)を次々と生み出すパワーが存在していることは大いに喜ぶべきだろう。あらゆる衝撃にも、あらゆる名声(誤解)にも、そこには、ベートーヴェンならではというほかない響き、ベートーヴェン以外にはありえない音が存在しているのだから。

 こうして考えてみると、音楽家(作曲家)というのは、じつに幸せな存在だと言えるように思える。何しろ、作品に対するあらゆる「誤解」が、その作品の豊かさにつながるのだから。もちろん、そのような「誤解」を生むほどの見事な作品を生み出す労苦は大変なものだろう。が、文字を操る人間が、「あらゆる名声とは誤解の総体である」などと皮肉な箴言をひねくりだして斜に構えなければならないことに較べれば、「誤解」が豊かさに直結するオタマジャクシを並べる作業というのは、羨ましい限りと言うほかない。

 そんな思いは、私自身が文字と格闘する毎日を過ごしているからで、並べて例にあげるのも烏滸(おこ)がましいが、トルストイが音楽家の不倫を描いた『クロイツェル・ソナタ』を書いたのも、ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルにした音楽家の一生を描いた『ジャン・クリストフ』を書いたのも、その心の裏には、音楽家(作曲家)に対する羨望とコンチクショーという気持ちが存在したからに違いない。

 とはいえ、物書きにとって、さらに羨むべき存在は、再現音楽家(指揮者)である。何しろ彼らは、自らの誤解(失礼!)から、作品をさらに豊かにし、偉大なものにし、その名声をさらに広め、聴衆を感動させるという魔法を駆使できる魔術師なのだから。 はてさて、ベートーヴェンの第1番から第9番まで全ての交響曲が連続して演奏されるという今宵、コバケンこと小林研一郎なる魔術師は、いったいどんな魔法を使ってどんな「ベートーヴェン像」を出現させてくれるのだろう? 「全曲奏破」という魔術師にとっては大変な一夜、聴衆の皆さんは、日頃羨ましく思っている魔術師を今宵だけは羨ましく思うこともなく、その激奏のサポーターとして「全曲聴破」の客席に座られるのだろう。

▲PAGE TOP
バックナンバー


蔵出し新着コラム

トリエステ・オペラの魅力〜イタリア・オペラの神髄

玉木正之の『オペラはやっぱりオモロイでぇ』 第15期「オペラで世界文学全集!」

玉木正之のオペラへの招待 大人の恋の物語『メリーウィドウ』

『ジャンニ・スキッキ』の舞台は京都?

クラシック音楽ファン、オペラ・ファンは、なぜDVDに狂喜しているのか?

「不〜倫火山」大爆発!善男善女の皆さんも、煩悩まみれの皆さんも、みんな一緒に御唱和ください!「不倫、不倫、不倫、フリ〜ン!」

クラシック・コンサートは「真に新しい音楽」に触れる場所

オペラとは男と女の化かし合いを楽しむもの

50歳からのホンモノ道楽

『オペラはやっぱりオモロイでぇ』第14期「オペラ掘り出しモノ!」

山下洋輔ニュー・イヤー・コンサート ヨースケ&サド緊急“生”記者会見!『いま明かされる!反則肘打ち事件の真相』

「ベートーヴェンの交響曲」その名声と誤解

ベートーヴェンの「圧倒的感動」

ファジル・サイの魅力

スポーツは音楽とともに――フィギュアスケートはオペラとともに

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第3弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第2弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第1弾!

天才少年ヴィトゥスとテオと音楽と……

『オペラはやっぱりオモロイでぇ』第13期「オペラは、ゼッタイ演出に注目!」

<演歌 de おぺら(エンカ・デ・オペラ)>上演企画書

『指揮者列伝』ミニミニ・ダイジェスト「カラヤン・ゲルギエフ・セラフィン・バーンスタイン」

あけましてフリー漫才

男の子がヴァイオリンを弾くのは恥ずかしいことだった・・・?

『オペラはやっぱりオモロイでぇ』第12期「オペラは、祭りだ! お祭りだ!」MUSIC FESTIVALS IN THE WORLD

革命的斬新さを失わない音楽――それがクラシック

いつの世も変わらない「親子」と「男女」

日本ポップス史講座アンケート

待ち焦がれた“パリジャン”の本領

「浪漫派ベートーヴェン」を存分に楽しませてくれた演奏に心から拍手

音楽家はいかにして演奏に心をこめるのか?

JAZZとテツガク

ソロ(孤高)を求めてバンド(連帯)を怖れず!

我が「師匠」福島明也の魅力

城之内ミサ『華Uroad to OASIS』「ジャンル」を超えた素晴らしい音楽

懐かしい空間の響き

佐渡&玉木のぶっちゃけトーク

五嶋龍―「神童」の生まれ出る一瞬

ヤッタリーナ!ガンバリーナ!イタリーア!

スポーツと音楽――その親密な関係

アメリカのスポーツとアメリカの音楽

フィリッパ・ジョルダーノの魅力〜フィリッパの歌はイタリアの味

「私の好きな音楽」身体で感じる世界

玉木正之の『オペラはやっぱりオモロイでぇ』第10期「オペレッタを楽しもう!」

リヒャルト・シュトラウスのオペラは宝塚にふさわしい

日本人は「万葉集」以来「歌とともに生きている」

東方の奇蹟の二重唱

永遠の歌声

「原点回帰」の「山下洋輔ニュー・イヤー・コンサート2006」に贈る新春お笑い寄席 新作古典落語『人生振出双六』

20世紀最高の「歌役者」

クルマとラジオ

世界は演歌に満ちている

バーブラは諸行無常の響きあり

最高の「日本オペラ」

タイムマシンと冷戦時代

ニッポンは明るい!

春の祭典

シャンソンは高級?

イタリアはイタリア

ジャズはサッカー?

世界はひとつ?

大事なのは、質より量?内面より外見?

ビートルズはわかる?

無人島で聴く最後の歌

歌は世に連れない

クレオ・レーンの学歴

ひばりの川流れ

NASAと蓄音機

日本人の遊び心

「革命的音楽」は時代とともに消えてゆく?

究極のノスタルジー

『プロの仕事』

佐渡&玉木のぶっちゃけトーク(最終回)

「映画を所有したい!」と思うのは何故?

討ち入りや ゑひもせすまで ジャズに酔ひ――『ジャズマン忠臣蔵』講釈・前口上

ゲルギエフの引き出す無限の可能性/偉大な芸術とは、オモロイもんである。

冬の夜長にオペラ――その極上の面白さをDVDで味わう

都はるみさんの「世界」との新たな出逢い

天国の大トークバトル『クラシック あとは野となれ ジャズとなれ!』

超虚構音楽史―山下洋輔作曲「ピアノ・コンチェルト」の世紀の一戦

男と女の愛の形――悪いのはどっち?

「世の中に新しきものナシ」あらゆる創作はパクリである?

モーツァルトのオペラのおもしろさ

人を愛し、未来を信じ、時代を超越するパワー

バーンスタイン『キャンディード』の単純明快な世界

いつの世も変わらない「親子」と「男女」

<演歌 de オペラ>上演企画書

カルロス・クライバー〜〜実体験なき体験/〜夢のような体験

歌うピアニスト ―― G&G(グルダとグールド)

グレン・グールド<ガラス=音楽=グールド>

『ブルース・ブラザース』讃

翔べ! 21世紀へ!「エレクトリック・クラシック」の翼に乗って!

サロメ――官能と陶酔の神話の魅力

神野宗吉(ジャンニ・スキッキ)の娘・涼子(ラウレッタ)のアリア『好きやねん、お父ちゃん』(『私のお父さん』)

「子供(jr)」という大発見

NHK-FM『クラシックだい好き』 1〜6回プログラム

島田雅彦のオペラと小説――『バラバラの騎士』と『どんな? あんな?こんな? そんな!』

「オペラ忠臣蔵」のテロリズム

フリンオペラ年表400年史『オペラの歴史はフリンの歴史』

極私的ワーグナー体験の告白『私は如何にしてワーグナーの洗脳を解かれたか?』

ベートーヴェンの「朝ごはん」

サッカーと音楽の合体――それがスポーツ!それがワールドカップ!

オペラ「アイーダ」の本当の魅力

ヨースケのことなら何でもワカル!『ヤマシタ・ヨースケ・ジャズ用語大辞典』遠日発売未定 内容見本

Copyright (C) 2003-2008 tamakimasayuki.com. All Rights Reserved. Produced by 玉木正之HP制作委員会. WEBサイト制作 bit.
『カメラータ・ディ・タマキ』HOMEへ戻る