コラム「スポーツ編」
HOMEへ戻る
 
表示文字サイズ選択:
標準
拡大
掲載日2004-06-14

この原稿は、かつて存在した雑誌『カデット』(講談社・1992年9月号)に寄稿したものです。佐藤琢磨の活躍に大拍手を贈りたい気持ちをこめて、ここに蔵出し! 中味をさらに理解しようと思われる方は、ノンジャンルの蔵出し原稿と合わせてお読みください。

F1―― それは究極の男の遊び

 わたしは、F1グランプリをテレビで見るたびに、このボーヴォワールの言葉を思いだす。

<ひとは女に生まれない。女になるのだ。人間のメスが社会のなかでとっている形態は、どんな生理的・心理的・経済的宿命がこれをさだめているのでもない。文明の全体が雄と虚勢体との中間産物をつくりあげ、それに女性という名をつけているだけのことである>(『第二の性』より/生島遼一・訳/新潮文庫)

 オス社会である人間社会が、「女」という形態を押しつけている、とボーヴォワールは主張する。なるほどそうかもしれない。が、この主張には、じつに女性的な独断に満ちた偏見がふくまれているのではないか、とも思えるのである。この女性解放論者は、完璧な女性論を展開した。が、男の気持ちは何もわかっちゃいない・・・。

 たしかに、男性中心の<文明>はこれまで、女という存在を抑圧しつづけてきた。社会的には<女性>という<中間産物>の立場を押しつけ、<女>としては、ただ子孫を残すための器官としてしか、その存在を認めてこなかった。
 しかし、女は、いつの時代でもつねに、生まれながらにして女ではあった。月に一度の赤い血によって、妊娠によって、出産によって、そのことを確認することができた。「自分はまぎれもなく女である」と。

 では、男とは、いったい何なのか。何によって、みずからを男であると確認することができるのか。
 射精は、それ自体では何物も生みだし得ず、虚無的な落魄(らくはく)感すらただよわせる。肉体は、鍛えなければ男の姿になり得ない。膂力(りょりょく)も精神力も、そして権力も、自然が男ゆえに恵むものではない。すべてが後天的なものであり、獲得するものである。
 ならば、ボーヴォワールの言葉は次のように書きかえるほうが正しいのではあるまいか。<女は生まれながらにして女である。が、男は男に生まれない。男になるのだ>
 フランスで、初めてじっさいにこの目でF1グランプリを見たとき、この自分で書きかえた言葉の正しさを確認した。

 みはるかす地平線の彼方まで広がる緑豊かなブルゴーニュの丘陵地帯に、地を這う(はう)巨大な大蛇のようなサーキットがうねる。そこでは、近代テクノロジーの粋(すい)を結集した空力特性を備えたマシンが、太陽の光を浴びて無駄のない曲線のラインをきらきらと輝かせていた。そのボディ・カウルを開けると、なかから人間の腸(はらわた)のような複雑怪奇な形状をした大きなエンジンが出現する。そして男たちは、そんなエロチックなマシンを相手に、格闘しつづけていた。

 メカニック担当の男たちは、コックピットの作業場で、まるで宝石職人がダイヤモンドをとりあつかうような繊細な手つきで、ステンレスの箱から点火プラグを一個一個ピンセットでつまみだし、それをエンジンにとりつける。そしてアポロとソユーズの宇宙でのドッキングさながらの慎重さで、エンジンの回転軸をクラッチ・ボックスに結合する。油で手を真っ黒に汚し、息を詰めての作業に取り組む男たちの額には、汗がにじみ、したたり落ちる。

 そのすぐ横で、とつぜん猛烈な爆裂音が響き、エンジン・テストがはじまった。
 ウワーン、ウワーン、ウワーン、ウワーン・・・。鼓膜を突き破るほどの強烈な高音の波動と、下腹までもふるわせる猛烈な低音の振動に、全身が包まれる。大音響は無音状態を生みだす。エンジン音以外にまったく聞こえるもののない空間に立ちつくすと、否が応でも意識が覚醒され、聴覚以外の五感が鋭さを増すことを自覚する。
 ウワーン、ウワーン、ウワーン、ウワーン・・・。研ぎ澄まされた感覚は甘酸っぱい油煙の香りと大音響に酔い、思わず落涙を促すほどの理屈のない感動に激しく心が揺さぶられる。エグゾースト・ノ−トは、ブルックナーの交響楽のように全宇宙をふるわせて響く。

 その大音響のまっただなかで、メカニックは冷静に自己をコントロールし、コンピュータのディスプレイをにらみつづける。あるいはドライバーやスパナをにぎりしめて立ちつくし、一本一本のボルトやナットの状態を注視する。
 愛しさにあふれる手つきでマシンのボディを磨きつづける男もいる。万全にウォームアップしたタイヤの横に立ち、自分の出番を待つ男もいる。誰もが男として生きている瞬間を誇らしげに味わっているようだった。

 男たちの“生の瞬間”は、予選のタイム・トライアルから本番のレースの開始に向けて、刻一刻とヴォルテージを高める。そして決戦が始まる直前になると、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『ナブッコ』の合唱曲がサーキットに流れた。
飛べ、我が思いよ、金色の翼に乗って・・・
そして、やすらげ、我が故郷の丘の上で・・・
 いざ、スタート。26台のマシンが地球上で最大の爆音を轟かせ、疾走を開始する。一直線のコースを弾丸のように駈けぬけたマシンの群れは、油煙の香りを撒き散らしながら急ブレーキをかけ、アスファルトの大蛇の背中に吸い付くようにして、右へ、左へ、コーナーを走りぬける。

 わたしは、狭いコック・ピット(運転席)に身を沈め、ステアリングを握りしめた両腕に力をこめ、脚の踵で大地を感じながら背中や腰に次つぎと襲いかかるG(遠心力)と懸命に闘っている英雄の肉体に思いを馳せる。あるいは、悲鳴をあげてきしむタイヤ、弓なりにしなるシャーシー、熱を発するブレーキ、がっちりと絡み合って回転するクラッチ、真っ暗闇の金属箱のなかで踊るように波打つオイルやガソリン、火炎を吐き出し爆発しながらピストン運動をつづけるエンジン・・・などを頭のなかに思い描く。

 さらに、ボディ・カウルのすぐ内側にまるで脳細胞の神経叢(しんけいそう)のようにはりめぐらされた電気系統の配線と、その無数の細い電線のなかを青白い閃光を放ちながら走りぬける電気信号のイメージを思い浮かべる。そうして、ふたたび、みずからの肉体と神経と精神のすべてをマシンと一体化させ、激しい振動のなかで必死になって制御を試み、時速300キロで疾駆する男の存在に思いを馳せる。その瞬間のパイロットこそ、まぎれもない男であった。
 もちろん、タイヤ交換や不慮の事故に備えて待機するメカニックたちも、彼らを見つめる観客も、すべての男たちが、その瞬間、男になっていた。そして、そんな男たちに思いを寄せ、祈りを捧げる女たちがいた。

 レースが終わると、それまでの爆裂音が嘘だったのかと思えるほどの深い静寂が訪れた。それはまさに男のセックスそのものだった。残されたものは虚しいまでの空白感、虚脱感、落魄感・・・。そして、たったひとりの勝者と圧倒的多数の敗者、脱落者。しかし勝者といえども、明日の勝利の保証はない。ひとは、失敗と敗北を重ねることによってのみ、男となるのかもしれない。そもそも男とは、本質的に実りのない存在なのかもしれない。
 しかし、F1サーカスは、果てしなくつづく。残された空白感が深ければ深いほど、それを生みだした瞬間の充実感も深い、ということだけを信じて・・・。

 速さを競う以上に、まるでわざと失敗と敗北を重ねるためにつくられたかと思えるサーキットと、それを承知で限界に挑む人間機械系(マン・マシーン・システム)の物体。それは、男が男になる瞬間を得るための最高の遊び道具と言うほかない。

▲PAGE TOP
バックナンバー


蔵出し新着コラム

「八百長vs出来山」の大一番〜大相撲に『八百長』は存在するのか?

日本にスポーツジャーナリズムは存在するのか?

野茂の功績と日本球界の課題

人類は4年に一度夢を見る

水着で「言い訳」をしたのは誰?

世界史のススメ

『玉木正之のスポーツジャーナリスト養成塾』夏期集中講座

Jack & Bettyは駅の前

五輪とは死ぬことと見つけたり

セールスマンの死

日本人野球選手のMLBへの流出が止まらない理由

深い衝撃

大学はスポーツを行う場ではない。体育会系運動部は解体されるべきである。

スポーツニュースで刷り込まれる虚構 <森田浩之・著『スポーツニュースは恐い 刷り込まれる〈日本人〉』NHK出版生活人新書>

メディアのスポーツ支配にファンが叛旗

スポーツと体育は別物

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第5回(最終回)「W杯守備重視の傾向は今後も続く?」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第4回 「ブラジルは何故ロナウドを使い続けた?」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第3回 「個人のサッカーの差がこんなに大きかったとは…」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第2回「世界のランクBからAへ昇るには…」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第1回「追加点を取るという国際的意識に欠けていた」

巨人の手を捻る

中日ドラゴンズ監督・落合博満の「確信」(加筆版)

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第3弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第2弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第1弾!

「朝青龍問題」再考

大相撲の改革の契機に

“日本のサッカー”は“現代日本”を現す?

スポーツとは合理的なもののはずなのに……

世界陸上と日本のスポーツの未来

デデューの「復帰」に学ぶ「カムバック」に必要なもの

特待制度は「野球の問題」か?

学校はスポーツを行う場ではない!

動き出すか?球界の真の改革

東京オリンピック〜戦後日本のひとつの美しい到達点

「八百長vs出来山」の大一番〜大相撲に『八百長』は存在するのか?

日本スポーツ界における「室町時代」の終焉

「水泳ニッポン」は復活するのか?

スポーツはナショナリズムを超えることができるか?

「歴史の重み」による勝利は、いつまで続く?

スポーツ総合誌の相次ぐ「廃刊・休刊」に関して考えられる理由

廃刊の決まった『スポーツ・ヤァ!』をなんとか継続できないものか!?

日本の野球選手はなぜアメリカを目指すのか?

日本のプロ野球と北海道ファイターズに未来はあるか?

私の好きな「スポーツ映画」

スポーツへの熱狂を肯定する

東京・福岡「五輪招致」のナンセンス?

政治と格闘した宿命のチャンピオン〜モハメド・アリ

日本のスポーツ界は「中田の個人の意志」を前例に

「求む。新鋭ライター」〜玉木正之の「第5期スポーツ・ジャーナリスト養成塾夏期集中講座」開講のお知らせ

1個のボールが世界の人々を結ぶ

「型」のないジーコ・ジャパンは大丈夫?

社会はスポーツとともに

「日本サッカー青春時代」最後の闘い

スポーツは、学校(教育の場)で行われるべきか?

常識を貫いた男・野茂英雄(日本人ヒーロー/1995年大リーグ新人王獲得)

「玉木正之のスポーツ・ジャーナリスト養成塾第4期GW期集中講座」開講のお知らせ

最近のプロ野球は面白くなった!

人生に「アジャストメント」は可能か?

「栄光への架け橋だ!」は、五輪中継史上最高のアナウンスといえるかもしれない。

スポーツの「基本」とは「ヒーロー」になろうとすること?

2005年――「2004年の奇蹟」(選手会のスト成功)のあとに・・・

アジアシリーズ日韓決戦レポート『日本の野球はどのように進化したか?』

2005日本シリーズに見た「短い闘い」と「長い闘い」

イーグルス1年目をどう総括する?

スポーツとは経験するもの? 想像するもの?

阪神電鉄VS村上ファンド――正論はどっち?

高校野球の「教育」が「暴力」を生む

『スポーツ・ヤァ!玉木正之のスポーツ・ジャーナリスト実践塾』進塾希望者への筆記試験

ナニワの乱痴気

スポーツが開く未来社会

タイガースって、なんやねん 第10回「星野監督・阪神・プロ野球/それぞれの未来」

タイガースって、なんやねん 第9回「この先は、どんな時代になるんやねん?」

タイガースって、なんやねん 第8回「ミスター・タイガースはおらんのか?」

タイガースって、なんやねん 第7回「誰がホンマのファンやねん?」

タイガースって、なんやねん 第6回「関西は「豊か」やからアカンのか?」

タイガースって、なんやねん 第5回「星野さんは、コーチやなくて監督でっせ」

タイガースって、なんやねん 第4回「球団職員にも「プロの仕事」をさせまっせぇ」

タイガースって、なんやねん 第3回「星野監督は当たり前のことをする人なんや」

タイガースって、なんやねん 第2回「今年のトラにはGMがおりまっせ」

タイガースって、なんやねん 第1回「今年はバブルとちゃいまっせ」

「関西・甲子園・タイガース」=バラ色の未来――あるタクシードライバーの呟き

第V期スポーツジャーナリスト養成塾夏期特別集中講座・配布予定資料一覧

失われた「野球」を求めて――「楽天野球団」は「新球団」と呼べるのか?

浜スタから金網が消えた!

わたしが競馬にのめり込めない理由(わけ)

プロ野球ウルトラ記録クイズ

島田雅彦vs玉木正之 対談 『北朝鮮と闘い、何がどうなる?』

野球は、なんでこうなるの?

投手の真髄――PITCHING IN THE GROOVE

「球界第二次騒動」の行方は?

2005年日本スポーツ界展望〜「真の新時代」の到来に向けて

日本のスポーツの危機

野球は「学ぶもの」でなく、「慣れ親しむもの」

ライブドア堀江社長インタヴュー「落選から西武買収まで、すべて話します」

球団・選手「金まみれ」の甘えの構造

地域社会に根ざすスポーツ

新球団『東北楽天ゴールデンイーグルス』に望むこと

闘いはまだまだ続く

中日ドラゴンズ監督・落合博満の「確信」

奇蹟は起きた!

さようなら、背番号3

プロ野球ストライキと構造改革

「メディア規制法」とスポーツ・ジャーナリズム

黒船襲来。プロ野球維新のスタート!

パラリンピックを見よう! 日本代表選手を応援しよう!

アテネ大会でオリンピック休戦は実現するか?

「NO」といえるプロ野球

プロ野球選手が新リーグを創ってはどうか?

買収がダメなら新リーグ

「逆境こそ改革のチャンス!」

あの男にも「Xデー」は訪れる・・・

F1― それは究極の男の遊び

「戦争用語」ではなく「スポーツ用語」を

スポーツは国家のため?

阪神優勝で巨人一辺倒のプロ野球は変わりますか?

「高見」の論説に感じた居心地の悪さ

原稿でメシを食ったらアカンのか?

アメリカ・スポーツライティングの世界

<戦争とスポーツ>

長嶋野球の花道と日本球界の終焉

スポーツを知らない権力者にスポーツが支配される不幸

ニッポン・プロ野球の体質を改善する方法

草野進のプロ野球批評は何故に「革命的」なのか?

理性的佐瀬稔論

新庄剛志讃江――過剰な無意識

無精者の師匠、不肖の弟子を、不承不承語る

誰も知らないIOC

日本のスポーツ・メディア

Copyright (C) 2003-2008 tamakimasayuki.com. All Rights Reserved. Produced by 玉木正之HP制作委員会. ホームページ作成/WEBサイト制作 bit-ビット- bit.
『カメラータ・ディ・タマキ』HOMEへ戻る