コラム「スポーツ編」
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掲載日2018-12-17
この原稿は、塩田潮さんの新著『新版 東京は燃えたか オリンピック1940-1964-2020』(朝日文庫・刊)の解説として書いたものです。文庫の帯に「3度の挑戦は日本をどう変えたのか?そして変えるのか? ヒトラーやマッカーサーとの人脈を通じた周到な根回し、厖大な費用−−戦前戦後を通じ、招致の舞台裏を活写するノンフィクション」と書かれているように、また小生の解説を読んでいただければわかるように、これはオリンピックを招致した戦前戦後の三つの時代の、それぞれの時代の特色を書き表した興味深いノンフィクションです。1冊770円+税。ひとりでも多くのひとが購入して読まれることを願って“蔵出し”します。

「二度目」には何をするべきか?/塩田潮・著『東京は燃えたか』(朝日文庫)解説

 1964年の東京オリンピックのとき、小生は十二歳の小学6年生。そして生まれ育ったのが、京都の祇園町にある小さな電器屋だった。このふたつの偶然は、私個人にとって最高に幸運な出来事と言えた。

 12歳という年齢は、まだ心の襞も十分に柔らかく、周囲の出来事を素直に受け入れることができた。しかも、まだ中学生にもなっていない少年は、クラブ活動に時間を奪われることもなく、自分のやること以上に周囲の出来事に目を奪われる時間が十二分に存在していた。そのうえ電器店を営んでいた我が家には、当時京都市に三台しかなかったカラーテレビのうちの一台が、自分の家の店先に鎮座していたのである。

 松下電器(現在のパナソニック)が、当時のサラリーマンの初任給(約1万円)の23倍にもなる価格で売り出した「ナショナル人工頭脳カラーテレビ」で、東京オリンピックの開会式を見るため、町内のひとびとが五〇人以上、我が家の店頭に押し寄せた。狭い店で押すな押すなのすし詰め状態のなか、私は電器屋の長男坊として、子供用に二列に並べられた六脚くらいの折り畳み椅子の最前列のど真ん中の席に座り、「世紀のイベント」を目にしたのだった。

 現在のテレビ受像器に較べればはるかに小さな16形とはいえ、そこに映し出された光景は圧倒的な色彩と迫力で迫ってきた。誰もがそのカラー映像に目を奪われて静まりかえるなか、NHKのアナウンサーの声だけが響いた。

「先頭はギリシャ。騎手はジョージ・マルセロス君。紺地に白のギリシャ国旗が、いま国立競技場の真っ赤なアンツーカーの上に映えます」

「小さな国に大きな拍手。アフリカ、カメルーンはたったふたりの行進であります。健気であります。まったく健気であります……」

 そのとき私は椅子に座ったまま振り向き、子供たちの背後を取り囲むように立っていた大人たちのなかにいた父親に、「ケナゲって、どういう意味?」と訊いたのをいまも憶えている。そのとき目に飛び込んだ光景は、かなりショッキングなものだった。大人たちは誰もが涙を流していた。顔は笑っていたが、誰もが溢れる涙を手の甲で、あるいはハンカチや日本手ぬぐいで拭っていた。笑いながら泣いていた父親が、そのときどんな答えを返してくれたのか、それはまったく記憶に残ってない。私は、大正生まれの大人たちの涙と笑顔の意味がわからないまま、黙って顔をカラーテレビの画面に戻したのだった。

 いまでは、もちろんその意味がわかる。我が父親は帝国陸軍軍曹として日中戦争に三度応召され、顔面と肩と足に三箇所の銃創を負った。そんな戦争が終わってから、まだ十九年しか経っていないというのに、色とりどりの鮮やかなユニフォームに身を包んだひとびとが世界中から集まり、晴れがましく歩く姿をカラーテレビで見たのである。戦地であれ内地であれ、誰もが言葉で言い表せないような辛酸と苦労を味わったあとの平和の祭典に、涙を流さないほうが不自然だろう。

 1964年東京オリンピックのカラーテレビの前での「体験」は、のちにスポーツライターとしてさまざまなスポーツに関する記事や評論を書くことを生業とするようになった私にとって、常に「原点」として存在しつづけた。

 開会式だけでなく、その後の二週間、テレビを通して「経験」した数々の競技も同じ。女子バレーボールの金メダルや100mボブ・ヘイズの激走、マラソンのアベベの哲学者のような容貌や女子体操チャスラフスカの美しさ……などなど。それらの出来事は、近所のひとびとの驚きに満ちた喜怒哀楽の反応とともに、自分の職業にとっての「基点」になっていると確信できる。

 もっとも、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉もある。町の電器屋だった我が家にカラーテレビが出現した時代とは、どんな時代だったのか? 戦争が終わり、日本が独立を回復し、高度経済成長と呼ばれる社会が幕を開けた裏には、どんな経緯が潜んでいたのか? 本書は、そんな「時代の波(歴史の実相)」を解き明かしてくれる。

 そこには、互いにまったく関係のない「四つの注目すべき出来事」が存在した。すなわち、のちの「所得倍増計画」につながる「月給二倍論」。皇太子と正田美智子(現天皇皇后)の「世紀のロマンス」。「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線の工事開始。そして、東京オリンピックである。

 さらに著者の塩田潮氏は、第二次大戦前後の「歴史の流れ」が、けっして分断されたものではないことも見抜き、幻と消えた戦前の皇紀2600年(1940年)の東京オリンピックにも触れたうえで、次のように書く。《戦後のGHQによる公職追放は、世の中の人材の入れ替えという面で画期的な役割を果たした。旧体制下の指導者が一掃され、空いた席を二段跳び、三段跳びで浮かび上がった新人が占めた。その中には、もともと指導者となりうる実力と資質を持ちながら、戦前の体制になじめず、長い間、逼塞と沈潜を余儀なくされてきた人たちもいた。》

 さらに著者は、高度経済成長を導いた人物、新幹線建設や東京オリンピックの実現に情熱を傾けた人物に焦点を当てる。彼らは《全員が明治の生まれである。壮年期を迎えて敗戦に遭遇するが、戦争や敗戦など、若いころから辛酸を舐めてきた明治生まれの人たちは、へこたれずにもう一度、立ちあがったのだ。》

 そして2年後の2020年には、二度目のオリンピックが開催される。はたしてそれは、どんなオリンピックになるのか?

 1964年には、オリンピックで行われたスポーツも、「体育」という認識でしか捉えられなかった(だから一九六四年の東京五輪のあと「体育の日」が生まれた)。しかし2020年のオリンピックでは、それを契機にしてスポーツが体育だけでなく、知育も徳育もふくむ「真のスポーツ」として認識されるようになればいい、と私は考えている。

 それによって体育会系的モーレツ・サラリーマンが号令一下の命令に従って活躍した高度成長時代ではなく、ひとりひとりのスポーツマンが自分のアイデアや判断を駆使して活躍するSI(スポーツ・インテリジェンス)の時代が訪れることを期待しているのだが……。

 1964年の東京五輪が幕を閉じた直後に、作家の菊村到氏は次のような面白い文章を書き残した。開催する前には賛否両論が渦巻いたオリンピックだったが、《やはりオリンピックは、やってみてよかったようだ。富士山に登るのと同じで、一度は、やってみるべきだろう。ただし二度やるのはバカだ》(十月二十四日付読売新聞/講談社・編『文学者の見た世紀の祭典東京オリンピック』より)

 東京オリンピックのあとには、二度目の大阪万博、二度目の札幌冬季五輪も計画されているらしい。

「黄金の60年代」の「夢をもう一度」というわけではあるまいが、一度目の東京オリンピックの翌年には、「五輪不況」と呼ばれる不景気に見舞われ、企業の倒産が続出。税収が落ち込み、倒産対策のために戦後初めての赤字国債が、第二次補正予算で二千五百九十億円発行された。その「国の借金」が積もり積もって、いまでは千兆円を突破。そのきっかけが東京オリンピックだと言えるのかどうか、私にはよくわからない。が、二度目のオリンピックや、その他の二度目の「黄金の60年代再現企画」が、「やっぱりバカだった」などという声が出ないためにも、本書をじっくり読み直して、「二度目」には何をするべきなのかを、歴史のなかから考え直してみたいと思う。

 
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