コラム「スポーツ編」
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掲載日2008-06-11

この原稿は、講談社のネットマガジン『MouRa(モウラ)』のなかの今はなくなってしまったコーナー『直言』(宮崎学氏主宰)に連載した『玉木正之のどないな話やねん』第15回(2006年9月21日アップ)に寄稿したものです。2016年のオリンピック開催都市に立候補するのは東京か、それとも福岡か…と騒がれたときに書いた原稿で、結局は東京が「日本代表」となり、つい先日(6月5日)その東京が「トップ」でIOC(国際オリンピック委員会)の一次選考を通過したというニュースが流れましたので、ここに“蔵出し”します。

五輪とは死ぬことと見つけたり

「殿、殿、殿」

「何事じゃ、三太夫。毎度ながら騒々しいことよのう」

「はっ。御意。しかし、殿。吉報が参りました」

「申してみい」

「はっ。かねてより博多の地とのあいだで争っておりました国際五輪競技会招聘出馬の件でござりまするが、いま公儀より早駆けが参り、われら江戸が日本を代表して出馬する事に相成りました。誠に恭悦至極」

「なんじゃ。そんなことか」

「……と申されますと……」

「そんなことは、遠の昔からわかっておったわ」

「…………」

「三太夫。耄碌したか。公儀による投票なんぞ表向きだけのこと。博多のごとき田舎侍どもがいくら力を注いだところで、公儀お膝元の江戸が敗れるわけなどない。そのくらいのこと、お主もわかっておろう」

「御意。恥ずかしながら三太夫、少々危機感を抱いておりましたゆえ……」

「危機感とはなんじゃ」

「はっ。昨今の地方分権の動勢が……」

「ははははははは。お主も公儀の口先に欺かれたか。地方分権なんぞ公儀の借金を諸藩に押しつけるだけのこと。中央集権に揺るぎあるわけはなかろう」

「しかり。投票結果を見ますれば三十三票対二十二票。十一票の大差にての勝利。老婆心とはいえこの三太夫、無用の心配に心を砕いた不明、恥じ入るほかございませぬ」

「何じゃと。三十三票対二十二票だと。わずか六票の差か。うぬぬぬ。公儀も味なことをしてくれるわい」

「はぁ……。三十三引く二十二が…六…とは…」

「お主、数もかぞえられぬのか。江戸か博多、どちらかへの投票とならば、五十五人中わずか六人の奉行の寝返りで逆転するではないか」

「御意。成程。意外なる僅差。博多支持の地方分権派の奉行めも少なくなかったと……」

「馬鹿を申すな。投票なんぞどうでもよいと申したではないか。江戸は端から決まっておる。もともと公儀が博多に出馬を呼びかけ、形だけの争いをさせたまでのこと。あまりの大差では博多が憐れとの惻隠の情から、おそらく票を動かしたに違いあるまい」

「そういえば、投票直前になって、投票用紙への記入場所を垂幕にて隠すよう求める奉行がおりました。どちらに投票したか、知られては困るとの配慮でありますな」

「茶番に構うな。大事はこれからじゃ」

「御意。この三太夫めも、自今以後が深憂でござる。北京、倫敦の後、再び東亜細亜の地に五輪の聖火が参るのも難しければ、亜都欄太を最後に五大会連続二十年以上にも及んで聖火が亜米利加の地を離れることには、大統領も黙ってはおりますまい。市俄古あたりが立候補しますれば、かなり手強き相手に……」

「三太夫。お主、誠に耄碌したのう。誰が本気でそのような時に五輪開催を望みおろう。我が本意は北京、倫敦、市俄古の次じゃ」

「お言葉ではござりますが、殿。それはさらなる難儀。市俄古の次となりますれば、蹴球世界杯を成功させた上で南阿弗利加が出馬。阿弗利加大陸初の大会で五つの輪を完成すべきとの目論見は国際的支持を得ましょうぞ。しかも天竺の新泥里伊も虎視眈々と狙いを定め、油金で潤う中東の産油国も黙ってはおりますまい。さればこの先の朝鮮半島の動勢の変化、唐の強大化も加わり、亜細亜の覇権を賭けた熾烈な争いと相成る次第。その際、万が一にも発展著しき天竺や産油国に、我が江戸、いや、我が日本が敗れるようなことになり相成り申さば……」

「たわけ。その程度の見通し、儂が考えぬとでも思っておるのか」

「は。ははぁ。恐惶恐惶」

「北京大会は亜米利加が唐を国際社会に引きずり出すべく仕掛けた企み。倫敦大会も、紐育に勝ち目なしと悟った瞬間、伊羅久戦争に反対した仏蘭西巴里にだけは開催させまいと決意した亜米利加の思惑。すべては世界の祭り事、いや、亜米利加の政(まつりごと)次第であることは明白じゃ」

「は。御賢察恐惶拝聴。ならば殿には何か秘策が……」

「ふふ、ふふふ、ふふふふふ。三太夫。お主、齢(よわい)いくつになった」

「は。はぁ。今年で八十五に」

「ならば、あと二十年。二千二十年の江戸五輪の時、お主は、もう、この世にはおるまいのう」

「は。おそらく」

「儂も、そのときは八十八。いまの大勲位と同い年とはいえ、この世におるかおらぬか……。少なくとも一線からは退いておるであろう。来春の武州藩主選挙の三選は五輪を旗印に楽勝とはいえ、その二年後、市俄古と闘って華々しく散るとき既に喜寿。再挑戦を旗印に四選を狙っても、どうなることか……。はっ。ははっ。はははっ。ははははは」

「殿。殿。如何なされました。殿」

「……心配無用。気は確かじゃ。儂は上方侍や名護屋侍のような不様な敗北は見せぬ。きちんと亜米利加に恩を売って去る。次回の東京で集めた票を亜米利加市俄古に譲れば、その次の投票では…。その後々のことは誰か、若い衆が考えればよかろう」

「殿。ならば、この度の事の次第は……」

「とにかく儂は格好良く幕を引きたい。負けても良いが格好良く…。五輪とは死ぬことと見つけたり。武蔵の『五輪之書』にもそう書いてあるではないか。あれ? ちょっと違ったっけ?」

「ハラホロヒレハレ……」

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