コラム「スポーツ編」
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掲載日2008-04-09

この原稿は、『現代スポーツ評論14号』(2006年5月20日発行/責任編集=友添秀則、編集=中村敏雄、清水諭/創文企画・発行)に寄稿したものです。自民党は、来年度から「スポーツ省」の設立をめざしてますが、はたしてそれが誕生したとき、高校野球や大学野球は、スポーツ省の管轄になるのでしょうか?それとも文科省にとどまるのでしょうか?常識的(!)に考えた場合は後者であるはずなのですが……。

大学はスポーツを行う場ではない。体育会系運動部は解体されるべきである。

 いまから20年以上前、現阪神タイガース監督の岡田彰布が早稲田大学で、讀賣ジャイアンツ監督の原辰徳が東海大学で、スター選手として活躍していた当時のことである。
IBAF(国際野球連盟)主催の世界選手権が日本で開催されることになり、日本野球連盟が社会人を中心とした日本代表チームを組織した。そのとき大学からは首都大学リーグ所属の原辰徳一人が選ばれ、他の大学リーグの選手は選ばれなかった。いや、東京六大学が代表チームに選手を出すことを拒否したのだった。

 まだ「スポーツライター」という名称が存在しなかった当時、その名称をぼんやりと意識しながら駈け出しの雑誌記者として仕事をしていた私は、東京六大学連盟の決定に納得できず、事務局長の長船麒郎氏を神宮球場で直撃した。すると長船氏は手のひらでテーブルをバンッ!と叩き、こういった。
「天皇陛下から下賜された賜杯を目標に闘っているリーグ戦があるというのに、それ以外の試合に選手を出すことなんかできるか!」

 東京六大学野球の春秋のリーグ戦が「天皇杯」であると知ったのは、そのときが初めてのことだった。が、そのときは、なるほど東京六大学は世界選手権よりも天皇杯を優先させたのかと思った程度で、それがさほど重大な事実であるとは認識できないまま、その事実について考えることをやめた。

 その「事実」が、再び頭のなかに蘇ったのは、1993年のJリーグ発足前後のことだった。それまでまったくといっていいほど顧みられることのなかった日本のサッカーが、突如雨後の竹の子のように全国的な盛りあがりを見せ、スポーツライターとして様々な現場に足を運んでいた私にもサッカーに関する仕事が数多く舞い込んだ。そして「サッカーの天皇杯」を取材したときに思い出したのが「野球の天皇杯」の存在だった。

 高校のサッカー部や地方公務員のクラブからJリーグのトップチームまで、すべて分け隔てなく参加できる「サッカーの天皇杯」のあり方に改めて気づいたとき、古くから野球部のある東京の六校の大学以外はまったく無縁の「野球の天皇杯」の存在が、きわめて奇異に感じられたのである。

 それ以降、仕事と私事を問わず、出会う人のほとんどすべてに「野球に天皇杯があることを知ってる?」という質問を口にした。飲み仲間はもちろん、ゴミ出しのときに顔を合わせた御近所さんからコンサートや芝居の公演のロビーで出会った知人、野球やサッカーの記者席で出会ったスポーツ関係者まで、片っ端から訊きまくった結果は、野球に天皇杯のあることを知っている人がほとんど稀にしかいない、という事実だった。

 かなり名を馳せたスポーツライターも、その事実を知らなかった。元プロ野球選手の評論家でも、知っていたのは東京六大学野球出身者のそのまた一部だった。テレビやラジオ局のアナウンサーも知らなかった。講演会の会場で壇上から尋ねたときは、知っていると手を挙げた人が200人以上の聴衆の中で1人いるかいないか、という結果だった。

 大正15(1926)年秋季リーグから東宮杯(摂政杯)が授与されるようになり、第二次大戦による中断ののち、戦後復活したリーグ戦に昭和21(1946)年秋から天皇杯が下賜された、という東京六大学野球の経緯は、明治時代にベースボールが伝播して以来、日本の野球文化の中枢を担った功が評価されたものだと容易に想像はつく。

 また、サッカー以外に大相撲や競馬や国民体育大会に天皇杯があることは知られていても、軟式野球、テニス、ソフトテニス、バレーボール、バスケットボール、体操、柔道、レスリング、学生陸上…といった競技にも天皇杯が下賜されていることは、一般の人々にはあまり(ほとんど?)知られていない。

 それらの事実を考慮するなら、東京六大学野球が天皇杯を争うリーグ戦であることを知る人が少なくても、さほど問題視することではないかもしれない。
しかし、事は「スポーツの問題」である。

 私は、スポーツとは誰もが分け隔てなく(差別されることなく)参加でき、楽しむことのできる国民共有の無形の文化財だと考えている。出自や学歴その他、スポーツ以外のどんなものにも影響を受けることなく、スポーツの実力のみを競うのがスポーツであるはずだ。また、そうでなければ、日本のスポーツ文化は本来可能な発展と飛躍を妨げられる。

 わかりやすく述べれば、スポーツを担う団体や組織はスポーツを第一義の価値とすべきであり、それ以外の価値が入り込むべきではない、ということである。早稲田、慶応、明治、法政、立教、東大といった東京六大学の野球部にとって、第一義の価値を有するのは大学なのか野球というスポーツなのか、という問いに対する答えは判然としている。大学の野球部(スポーツ部)の行う野球(スポーツ)が、大学(の研究教育活動)よりも大事だとは誰も考えていないはずだ。

 そのような明白な価値の体系(序列)が存在するなかでの野球部の栄誉(勝利)は、大学の栄誉へと転化される。さらに、野球というスポーツ(日本の野球文化)が利益を得る以上に、大学の利益に貢献することになる。

 この構図――スポーツよりも大事なもののためにスポーツが利用されるという構図――は、大学スポーツのみならず、企業スポーツ、高校スポーツ、中学スポーツ…すべて同種である。そして、それらが主体となり、スポーツを第一義と考える自立したスポーツクラブがJリーグの各クラブ以外にほとんど存在しないまま今日まで発展してきた日本のスポーツ界は、そもそも根本的構図が歪んでいる、ということもできる。

 欧米からの輸入文化としてのスポーツは、明治以来の帝国大学を中心とする大学がその受け入れ口となったため、そのような構図にならざるを得なかった、という事情もあった。が、まず何よりも、大学や高校や中学といった学校や、企業が中心となってスポーツが行われることは、スポーツにとって間違った構造である、ということが認識されなければならない。

 もちろん、大学生や高校生や中学生、それに会社員が、同窓や同僚の近しい仲間たちとスポーツを楽しむことまで否定されるべきではない。しかし、学校スポーツや企業スポーツが日本のスポーツを代表したり牽引したりするまでの実力や人気を得るようになること、また、そのような実力や人気を目指すことは構造的に間違っている、ということが広く認識されなければならない。なぜなら、学校や企業が第一義に目指すのは、(自分の)学校や企業の栄誉と利益であり、スポーツ全体の発展ではないのだから。

 しかしそのような間違った構造でしか発展することのできなかった日本のスポーツは、様々な「歪み」を生じさせてしまった。その代表的な「歪み」が、一般に「体育会系」と呼ばれる上下の序列関係である。

 スポーツとは本来「実力」(体力と技術)のみで評価される世界だが、それは本質的に反社会的な価値観ともいえる。日常の社会では長幼の序を尊び弱者を助け、ともに生活を営むものである。しかしスポーツでは、スポーツにおける実力者がその実力だけで評価される。

 そのような反社会的価値観を、大学(などの学校教育の現場)で教育するわけにはいかない。本来ならば、スポーツとは本質的に反社会的な価値観を含むものであり、スポーツでの価値と社会における価値は異なる、と教育すればいいのだろうが、「スポーツ=教育」という建前を前提にして学校(大学)でスポーツを推奨しているものだから、そのような二分論は入り込む余地がない。

 そこで学校(大学)のスポーツ部に長幼の序をはじめとする「社会的価値観」を持ち込んだ。本来相反する価値観を強引に持ち込むには、一般社会に存在する以上の強い規則が必要となる。そうして、先輩の命令には絶対服従、上意下達の「体育会系」という少々奇矯な社会が生み出された、と私は考えている。

 さらに体育会系社会は、進学や就職といった「利益のコネクション」をも有するようになり、「神・天皇・平民・奴隷」などとも呼ばれた理不尽とも思える階級社会を強固なものに発展させた。

 改めていうまでもなく、それらの構造はスポーツとはまったく無関係のものであり、スポーツの発展を妨げるものといえる。実際、体育会系社会に反旗を翻したため、希望の就職先に就職できなかったスポーツマン、大学の卒業認定を受けられなかったスポーツマン、日本代表選手に選ばれなかったスポーツマン……も存在する。

 それら大学スポーツに見られる反スポーツ的現象は、すべてスポーツよりも大学という組織を価値の上位に置くところから生じているもの、ということができるだろう。

 古くからの存在(それを「伝統」と呼ぶのだろうが)というだけで他の大学を排除するグループを組織したり、下部リーグに落ちそうになった有力大学が、自分が中心となりうる別のリーグを組織したり、全国的な人気を誇る競技会が国内の一部の地域の大学しか参加できなかったり……といった事態は、各大学が「一流」と見られるための権威主義の表れであり、スポーツ本来の「公平性」に反する非スポーツ的な行為であり、日本のスポーツ界全体の発展を妨げるものにほかならない。

 もっとも、それらは所詮「大学のスポーツ」なのだ。何も目くじらたてて非難するには及ばないのかもしれない。そもそも大学とは無縁の一介のスポーツライターなどが指摘する問題ではなく、大学とは無関係の者はただ無視すればいいだけのことかもしれない。

 とはいえ、日本の若いスポーツマン(高校生)たちの多くは、自分のやりたいと思う勉学や、将来社会人として身につけるべき技能などとはまったく無縁に、スポーツを行うために大学を選び、入学を目指している。そして大学本来の責務である教育研究とは無縁のところで、大学の栄誉と利益のために利用されている。

 その結果、なかには大学での勉強や学問よりも、「有名」大学の「伝統」あるスポーツ部でスポーツをしていることを自慢するような学生まで存在する。それが、昨今の体育会系学生たちの引き起こした諸事件につながったと短絡的に指摘する気はないが、学生の本分はスポーツでなく、勉強のはずだ。

 以上述べたことはすべて、地域社会のスポーツクラブがまったく未発達だったために生じた矛盾といえ、この国のスポーツの担い手が、大学などの教育研究機関や企業から地域社会に根ざしたクラブへと、今後移行することが望まれる。

 そして大学は大学の本分、学生は学生の本分に立脚し、スポーツに関する学問的追究ならばともかく、大会に勝って喜ぶだけの運動部やスポーツ学生、とりわけ「体育会系的運動部」は早晩解体されるべきだろう――などというのは、大学にまともに通ったこともなく、卒業もしていない者の戯れ言でしょうか?

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